「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<特別寄稿> 集団的自衛権の議論は国民投票で結着を

集団的自衛権の議論は国民投票で結着を
                                   黒猫

 国会審議では安保法制の違憲性が焦点になっています。憲法学界では違憲とする意見が圧倒的で、野党はこれを追い風に政府を追及しています。

 しかし、私は、現在の安保法制の問題、つまり集団的自衛権の行使を認めるかどうかは、国民が直接判断するべき事柄だと思います。一内閣や国会議員だけで決める問題ではないと思うのです。

 憲法9条について、政府は「集団的自衛権は行使できない」と解釈してきました。現在の日本が拠って立つ平和主義は、この政府解釈に基づいています。これを「集団的自衛権を行使できる」とすることは、平和主義の内容を変更するものです。そして、平和主義の内容を変更するということは、私たち国民や国土の安全に大きな影響を与えます。政府は、安保法制は戦争を抑止すると言っています。確かにそういう一面はあるかもしれません。
しかし、集団的自衛権を行使するとなれば、状況によっては、日本が武力を行使し、あるいは武力攻撃を受ける可能性が高まります。

 集団的自衛権の問題は、私たちの命に関わる事柄であり、また憲法の平和主義の根幹に関わる事柄でもあります。ですから、国民がみんなで考えて結論を出すべきです。自公と他の野党は、集団的自衛権や安保法制の賛否で対立していますが、憲法改正の国民投票は避けたいという点では共通しているように思います。双方とも国民投票で敗れることを恐れているのでしょう。特に野党にとっては、目先の国会審議を考えれば、安保法制の違憲性を声高に主張することが大切かもしれません。しかし、集団的自衛権の問題は、そもそも誰が結論を出すべき問題なのか、よく考えてもらいたい。憲法改正の国民投票によって国民の判断を仰ぐことを主張する政党が出てくることを望みます。

<特別寄稿> 世界が100人の村だったら。 ―「資本論」超入門 +信用創造ちょいたし

世界が100人の村だったら。 ―「資本論」超入門 +信用創造ちょいたし
矢島俊一(shn)

100人のうち20人をとりあえず「資本家」と呼んでおく。残り80人は「労働者」とする。

生活水準はみな同じであり、(消費財をコメで代表させるとすると)一年に「コメ」一俵を消費する。この世界の総産出は「コメ」100俵である。

世界を一つの「企業」とみなす。

通貨は「1ドル金貨」とし、100枚の金貨が「企業」の手の中にある。コメ1俵=1ドルで「労働者」の賃金も1ドルである。

「企業」の手の中にある100ドルのうち80ドルは「資本」であり、20ドルは前年度の「利潤」である。

「企業」はまず20ドルの利潤を資本家に支払う。

つぎに、「企業」は80ドルを投下して80人の「労働者」を雇い「コメ」を生産する。80人の労働者はその金で80俵のコメを買い一年間の生活に当て、一方でコメを生産する。ところで一人1俵を消費して一年間働く労働者は一年に何俵のコメを作ることができるか。

馬とか牛を連れてきて農場で働かせたとして、その馬が一年間に食べる飼料より以上のものを生み出さなかったとしたら、馬を飼う意味がない。

トラクターのコスト以上の「剰余」をトラクターが生まなければトラクターを農場で使う意味がない。

これは当たり前だ。狼やライオンが一日走り回って自分が生きる分の獲物しか手に入れられないとしたら(剰余が存在しないとしたら)、彼らは子供を育てられないことになる。

この世界では一人の労働者は一年に1俵のコメを消費し1.25俵のコメを生産する。0.25が剰余である。全体では80人の労働者が100俵を生産する。そのうち80俵は来年度の労働者の消費に当てられ、20俵が「企業」の手に残り、資本家がそれを20ドルで買う。

「企業」は80ドルを生産に投入し100ドルを得た。20ドルの利潤が実現した。100ドルの金と100俵のコメが一回転した。この経済体は単純再生産を繰り返しながら存続することができる。



ではここから数字を動かしてみよう。

労働者の賃金を引き下げ0.9ドルにしたとする。賃金の総額は72ドル。労働者は全体で72俵のコメを買い、「企業」の手には28ドルと28俵のコメが残る。

20人の資本家が28ドルの利潤を得て28俵のコメを買うとすると貧富の格差は発生するが、世界は豊かにならない。といって増えた分の利潤8ドルをため込んでしまうとコメが売れ残る。

「搾取」の度を高めても総産出は増えない。労働者の取り分が8減っただけで、利潤を増やしても世界経済のパイは大きくならない。パイを大きくするには総産出を増やさなければならない。

資本家が8ドルを工業に投下して(何ならこのとき資本家も自分の生活水準を0.9ドルに下げて10ドルを新投資に振り向けるでもよい。)トラクター工場を作ったとすると、(農業から工業に労働者が移動する。)たとえば結果として「労働者」が工業労働者10人、農業労働者70人の世界になると、コメ(消費財)の産出は87.5俵に減少し世界は貧しくなる。工場が完成して農業にトラクターを投入したときにやっとコメの生産が増える。例えば120俵に増えて1.2俵が1ドルで買えるようになれば労働者は0.9ドルの賃金で1.08俵のコメを得ることができる。

このとき、100ドルの金貨が増えた量の財(120俵のコメ+資本財の損耗分など)を買うことになり、世界がデフレになる。マルクスの場合金が相対的に高くなると金採掘業の利潤率が高くなって資本が金鉱山に投入され金貨が増え総算出の金額も増えるとしているけれど、今なら紙幣を印刷するとか、デジタルマネーを操作するとかして購買力を増やして物価を安定させるのだろう。ところでこの操作は一種の贋金作りなわけだから、ここで増えたドルを誰のものにするかで損をする人と得をする人が出てくる。金貨の生産なら、コスト=収入は経済法則に従って「正しく」分配される。

(ところで、これらの数字は適当につくったのであって、まともに計算してはいない。農業分野と工業の利潤率が等しくなるかとか、工業の生産設備はどのようにして蓄積されるかなどは無視している。マルクスの再生産表式を見ながらやればよいのだろうけれどやらない。ここでは利潤を増やしてもそれだけでは経済のパイは大きくならないことが示せればよい。また、「マルクスに価値論はいらない、分配論で推してゆけばよい」というジョーン・ロビンソンの提案を尊重して「価値」には触れない。)

資本主義の初期に資本を蓄積するには国民の消費水準を下げなければならない。農業しか産業がないのだから農民からの収奪を強化しなければならない。これはイギリスでも日本でもロシアでも当然そうなのであって、迂回路など存在しない。ロシア革命とは巨大な開発独裁の一種だ、とバーナムは喝破したけれど、メニシェビキたちの悪夢、(早すぎた革命――コムニストが社会主義の名の下に国民を収奪して資本主義的原始蓄積を遂行する)と理解するのが正解なのだろう。資本主義の代用品としてのコムニズムととらえれば、200年の資本主義の歴史を20年で駆け抜けたロシア共産党は使命をそこそこ果たしたといえる。

巨大な貧しい農民人口を抱えた中国のような国で、コメからトラクターに生産をシフトさせると膨大な餓死者が出る。また逆から考えると薄く広く国民から集めた資源をトラクター工場に振り向けようとしたときに、人口増加が起こっていて、その人口を養うためにその資源が食いつぶされてしまったら、国民一人当たりの資本装備率を上げることができない。人口を減らす、もしくはそれができなくても少なくとも人口爆発をとめなければならない。中国共産党は「一人っ子政策」を最優先の課題としたらしいが、「資本主義の代用品としてのコムニズム」として当然の論理に従っている。魔法のような経済システムは存在しない。人間的自由とか民主主義に反するなどと馬鹿なことを言ってはいけない。

この資本主義的蓄積はいつ終わるかというと、国民から「搾取」した剰余を資本家が生産過程に投資できなくなったとき――資本家が蓄積の主体であることをやめ、ただの寄生者の階級になったとき資本主義は終わる。収奪者が収奪され、資本の社会化が日程に上る。

(「会社は社員のもの」ならそれは「生産手段の労働者所有」ということだ。)



ところで近代経済学では利潤をどう説明するか。(というか、まともに説明できない)

100ドルで買った商品を110ドルで売った。その10ドルが利潤だとすると、その10ドルは買った人が余計に支払っただけであり、お金の総額が増えることはない。お金が増えたのだとすると、それは単なるインフレだ。10パーセントの利潤を実現するには10パーセントのインフレが必要になる。

経済は結局商品で商品を買うのだから、高くなった商品で高くなった商品を買うことはできる、と考えると、それは全般的物価騰貴だ。すべての物価が上がっただけだ。

クマさんがりんごを一個、八つぁんがアンパンを一個持っている。まずクマさんが八つぁんにりんごを100円で売り、八つぁんがクマさんにアンパンを100円で売る。次にクマさんが八つぁんにアンパンを110円で売り、八つぁんがクマさんにりんごを110円で売る。……


マルクスは、自分の帳簿の数字に0を足して喜んでいる、とおちょくりをいれていたはずだ。



あるオランダという国でチューリップの投機が始まったとする。投機に参加した人の持ち金は総額で100万ギルダーだったとする。するとチューリップの総額は100万ギルダーを超えることはできない。現金取引をしているときはたとえば1個120万ギルダーのチューリップなどということはありえない。ここで、1個10万ギルダーで買ったチューリップが6個ある。これは売れば20万ギルダーになるはずだからそれで120万ギルダーのチューリップを買おう、などとやると、数字はいくらにも、たとえば200万ギルダーにも増えるがそれはバブルであって、決算したときには100万ギルダーに戻る。戻らないとしたらどこかでいんちきをして贋金を紛れ込ませたのだ。

100人の人口、100俵のコメ、100ドルの収入の世界で誰かが10ドルの贋金を作ると、1人1ドルの収入では0.91俵のコメしか買えなくなり、贋金を作った人は10俵を手に入れることができる。贋金を作った人の増えた分のコメは他の全員からくすねたものだ。

ある資産が年1万ドルの収入をもたらしているとき、例えばある世界では資本還元して100万ドルの資産価値があったとすると、その100万ドルはそうみなしているだけで人の頭の中にしかない額であって、現実のお金ではない。いっぽう1万ドルの収入(現実のお金)とは、支払った人から受け取った人に移動しただけだ。その資産が2万ドルの収入をもたらすようになったら資産価値は200万ドルに増えるがその殖えた100万ドルは増えたとみなしただけで現実のお金が増えたわけではない。持ち主が2万ドルの収入では物足りなくなって、その200万ドルの資産を売って現金に換えて200万ドルの購買力を手に入れた場合には、その200万ドルは買った人が出したのだ。頭の中のお金の数字は増やすことができるが現実のお金は移動するだけだ。

また1万ドルの収入を産む資産が、利子率が変化して評価額150万ドルになったとして、その50万ドルは果たして「増えた」のだろうか。

この世界が1年に産出する財の総額が1億ドルだったとすると、1万ドルの年収入で世界が産出した財の1万分の1を買うことができる。資産額が100万ドルでも150万ドルに増えても、それ自体は購買力にはならない。頭の中で「みなした」お金と実際の購買力になるお金はきちんと区別してとり扱われなければならない。

金融工学とは競馬必勝法の類なのではないだろうか。ただし競馬場ではお金は増えないが、金融工学でお金が増えたとしたら彼らがより多く消費する分は世界中からくすねたものだ。投機で世界のパイを大きくすることはできない。

株価総額を増やす、などということに意味はない。株価がいくらであってもその金額で全部が売り切れるわけではない。売り始めたとたんに株価は下がり始める。売り逃げして儲けた人の分は売りそこなって損した人の分が移動するだけだ。

「100俵のコメ」の世界でいくら投機を繰り返してもコメが120俵に増えるわけではない。コメを増やすには現実に生産資本を追加投資しなければいけない。利子、配当はその時の利潤からの分け前だ。

資本があると(なぜだかはわからないが)利潤が生まれる、というのは見かけの運動にごまかされている一種の天動説だ。利潤はお金が移動するだけで、増えたのではない。



信用創造をもう一度考えてみる。

サミュエルソン経済学13版に倣って準備率10パーセントとする。

業種・職種によって経済活動の回転速度、サイクルは異なるだろうけれど、単純化のためすべてのサイクルは同じとして話を進める。同じく単純化のため単純再生産の経済とする。


1サイクル目。

ミズ・ボンドフォルダーが甲銀行に1000ドルを預ける。

甲銀行はA氏に900ドルを貸し出す。

1000ドルが預金された時点で、総購買力の中から1000ドルがいわばスリープ状態になる。準備率10パーセントということは100ドルが預金者によって使われることを前提としているのだから、実際には900ドルがスリープである。不足している900ドルの購買力はA氏に貸し出された900ドルが埋める。

A氏がB氏に900ドルを支払う。(ということはB氏が900ドルの商品をもっていたわけだ。)

B氏は900ドルを乙銀行に預金する。



2サイクル目

ミズ・ボンドフォルダーが甲銀行に1000ドルを預金する。…

ここからあとはサイクル1と同じになる。違うのは乙銀行に預けられた900ドルだ。

乙銀行はC氏に810ドルを貸し出す。C氏はD氏に810ドルを支払い…と信用創造の説明では続くのだがすぐ気がつくように、サイクル1ではすべての商品が売り切れている。ということはC氏は誰から買ったのだろう。サイクル1に割り込んだのだろうか。すると誰かがはじき出されていることになる。


ところで貸し出しがあったのなら、返済もあるはずだ、それはどうなったのだ。

信用創造の説明では1000ドルの預金は次に900ドルの預金を生み、その900ドルは810ドルを生み…とやっていくと最終的には1万ドルの預金になる、というがその1万ドルとは何なのか。

ある人が買い物をして1000ドル支払った。1000ドルを受け取った人は10パーセントを手元に残し900ドルの買い物をした。900ドルを受け取った人は810ドルの買い物をし…とやっていくと最終的には1万ドルの買い物が実現することになるが、その1万ドルとは何か。お金の流れを追跡してすべてを積算しただけだ。最初の1000ドルが最終的には1万ドルの買い物をしたのだから、この1000ドルは1万ドルなのだといったらおかしい。この1000ドルで1万ドルの買い物ができるはずだといったらおかしい。

誰かが誰かにお金を払ったときにはその反対向きに商品が移動しているはずだ。そしてその商品はどこかで生産されていなければならない。生産、交換の無限の連鎖を集計して1万ドルになったのだから、無限の未来に実現するはずの購買力の総計を、無限の未来に実現するはずの商品の生産がまだ存在していない現在の時点の購買力にしてしまうのはおかしい。

逆からいえば1000ドルが1万ドルの買い物をしたときには、その反対向きに1万ドルの商品が移動してしまっている。もう買い物は済んでいるのだ。

1000ドルの預金は900ドルの預金を生み、900ドルの預金は810ドルの預金を生み、最終的には1万ドルの預金になるのだから、1000ドルを証拠金として1万ドルを貸し出すのはそれと同じことだ、というのが信用創造だというのだがこれはおかしい。

最初1000ドルの預金は最終的に1万ドルの預金を生む、というのは無限の経済のサイクルを集計するとそうなるという話であって、それまでには無限の商品の生産のサイクルがあったはずだ。その無限の商品の生産のサイクルを無視して無限のサイクルの果ての預金の集計額・積算額を現在の貸出額(=購買力)にしてしまうのはおかしい。

全世界の年間総産出額は1000兆ドルだと聞いたことがある。ちょうどいいから1000という数字を使おう。


世界が1000ドルの年産出額だったとする。すると世界の年総収入も1000ドル、年総購買力も1000ドルである。ここですべての収入が預金され、預金は引き出されることがないとする。

だから準備金は必要なく、100パーセントが貸し出されるとする。


1サイクル目

ミズ・ボンドフォルダー(この場合この世界の全住民を代表する名前だと思えばよい)が1000ドルを甲銀行に預ける。この時点ですべての購買力がスリープしてしまいすべての商品は売れない。

甲銀行がA氏(これも全住民のことでよい)に1000ドルを貸し出し、A氏はB氏(これも全住民のことでよい)に支払いをする。つまりすべての商品が売り切れる。一方には1000ドルの購買力が預金としてスリープし、貸し出された1000ドルが1循環する。


2サイクル目

すべての住民が(ミズ・ボンドフォルダーと呼んでもよい)手元の1000ドルを(甲でも乙でも…でも何でもよい)銀行に預ける。この時点で預金総額は2000ドルになるがそれはすべてスリープしている。銀行は新たに1000ドルを貸し出し、その1000ドルがこの世界を1循環する。


3サイクル目

預金額が3000ドルになり、以下同じ。

これはどこまで続くかというと、1000ドルの産出に対し、1000ドルの購買力があるのだから無限に続き、かつ、準備率0パーセントなのだから1000ドルの本源的預金は最終的に無限大の預金を生むことになる。

そしてこのとき、それと同じことなのだからといって銀行が無限大のドルを貸し出ししたとしたら、…

無限の貸し出しが続く間には無限の返済があったはずだ。その返済を無視している。

信用創造というのはこれと同じことをやっている。ばかじゃないか。

信用創造の理論というのは数式を解いただけだ。現実の経済の描写ではない。

数学パズルであって、経済学ではない。


もう一度繰り返すと、

1000ドルの購買力が預金された。準備率10パーセントというのは預金者が引き出して使うということを前提しているのだから、100ドルの購買力はアクティブになっていて900ドルの購買力がスリープ状態になっている。だからその900ドルのスリープ状態の購買力と同額を貸し出すことができる。

銀行が900ドルを貸し出し、それが支払いに使われれば合計1000ドル分の購買力がアクティブになる。

900ドルの支払いを受けた人が900ドルを預金すると900ドル分の購買力がスリープ状態になるが、そのうちの10パーセント、90ドルは預金者が払いだすという前提なのだから実際にスリープするのは810ドルであり、だからこそ810ドルが貸し出すことができる。

こうやっていくと預金額は、1000+900+810+… =1万ドルになるから、それとおなじことだからといって、最初の1000ドルを準備金としていきなり1万ドルを貸し出すというのは――そもそもある額の購買力がスリープしてしまうから、それと同額の貸し出しができるはすであるのに、そのスリープしている額を総計していきなりアクティブな購買力にしてしまうのは、論理的に破綻しているのではないか。

そもそも金細工師が預かった金貨をなぜ貸し出すことができると思ったかというと、それが引き出されないとわかっていたからだ。準備金を越える預金は預金者には使われないという前提で貸し出しが行われたはずだ。その引き出されないということが前提になっている預金額を延べ数を集計して現在の購買力として貸し出してしまえば購買力だけが10倍になってしまう。これは現実の経済の中に対応する商品を持たない、本物の贋金だ。(その贋金は誰の手に入ったのだ。)

商品の総額=収入の総額=購買力の総額という自由市場経済の前提はどうなったのだろう。竹中先生お得意のセーの法則はどうなったのだろう。

これは自由主義市場経済の理論が自己破産を申告しているのではないか。

「商品の総額=収入の総額=購買力の総額」が回転するのだとすると、利潤が増えていないのがバレバレになってしまう。何とかして利潤を増えたことにするために理論のアクロバットをしなければならなくなってしまうのではないか。

ちなみに最初の100人の村では、商品の総額=収入の総額=購買力の総額、が成立していて、かつ、利潤もちゃんと存在している。

URL http://homepage2.nifty.com/okutamahomeless/jokyoshn.htm

<特別寄稿> 政治家の野心、野望、驕る政治を阻止しなければ

政治家の野心、野望、驕る政治を阻止しなければ
lily

安倍政権の政治はどこを向いているのであろうか、
一つも国民の意思を反映した、政治を行っていないようである。
会期延長し成立しようとしている。
安保法制などは国民のほとんどは望むべきでない政策に他ならない。
単に政治家の野心や野望からなし遂げようとしているにすぎないように思えてしょうがない。
今究極に成立させなければ日本に危機が及ぶのであればであるが、
戦争に参加することは、必然的にリスクは避けられない、そのリスクは無用なものでしかない、
そうしてその無用なリスク犠牲が拡大こそすれ、収まることはないようになるのである。
国防上の備えは、現状の制度で十分対応できるということが言われている。
あえて無用な犠牲リスクが拡大するような、
安保法制は国民はこぞって阻止することを望んでいるであろう。

<特別寄稿>安保関連法案をめぐる国際金融資本との戦いと政局への影響

 みなさま、はじめまして!

 5月の末に実質4年ぶりに帰国し、日本一新の会の予備会員から維持会員にしていただいた海治(うみじ)と言います。

 帰国後最初の大イベントである日田研修小旅行に参加させていただく機会に、自己紹介も兼ね、私が今抱えている課題について懇親会で述べ、みなさまのご意見を伺いたいと思っていたところ、多摩出張所のみなさんによる投稿の募集があったので、自分の考えをまとめる良い機会だと思い、投稿させていただきました。

 以下では、会期延長の眼目である安保関連法案の構造的背景について私なりの分析を加え、その中でのカジノ法案の位置づけについて説明し、日本の政局をめぐる期待を述べた後、私が最近感じたことに触れて締めくくりたいと思います。


●本稿の狙い - 戦争の誘因となる国際金融資本の利益追求を抑制する

 私は、南米で生まれ、子供時代をサンフランシスコで過ごしたのですが、小学校では喧嘩するたびに「リメンバー・パール・ハーバー」と言われました。そうした原体験から、原爆投下に至る太平洋戦争(日本側では大東亜戦争)の原因論に関心を持ち、大学では、アジア大学の学長も務められた故衞藤瀋吉先生に師事し、戦前の日中関係や日米交渉について学びました。また、自分の生まれた南米にも興味を持ち、日米関係と比較検討するために米国の対南米政策史について調べていました。

 そうした努力の結果、判明したこと。それは、統一的な法体系が整備されていない近現代の国際社会では、利益追求のみを目的とする近視眼的な国際的経済行為、特に国際投資が、投資の保全を目的とする武力行使、すなわち戦争の大きな誘因となるという事実でした。

 従って、以下の論は、国際平和を維持するという視点に立ち、戦争の誘因となる、国際金融資本のエゴイスティックな利益追求を批判する主張であるため、その点についてご理解願いたいと思います。


●国際金融資本の行動原理 - 収益最大化を目的とする軍事的緊張の醸成

 米国でベストセラーになったジョン・パーキンス著、『エコノミック・ヒットマン』。軍閥とも言える国際金融資本が、債務の不履行を理由にして投資先政府を乗っ取ることを最初から狙い、資金を貸し付け、最後は軍事力まで持ち出してその国の資産を奪取する様子が克明に描かれています。特に恐ろしい点は、彼らが、投資収益をあくまでも囲い込む一方、世論操作、要人の暗殺、テロ(偽旗作戦)等によって投資先とその隣国との対立を煽ることです。そうすることで、債権の回収や保全を目的とする軍事的威嚇、そして軍事的緊張がエスカレートした際に発生する戦争という(彼らの目から見た)「コスト」を外部化し、隣国とその納税者に転嫁させるわけです。

 例えば、南米における私の活動拠点であるパラグアイは、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイと戦った三国戦争(1864年-1870年)により、「開戦前の52万人の人口は21万人にまで減少した。成人男性に至っては、3分の2以上(9割とも言われる)を失った」(wikipedia: パラグアイ > 三国同盟戦争)とされています。これは決して誇張ではありません。事実なのです。

 三国を背後から操っていたのが英国でした。理由は諸説ありますが、パラグアイの学界では、「英国(に本拠を置く国際金融資本)による借款の受け入れを拒否したからだ」と根強く信じられています。返済を拒否したことで攻め込まれるならまだしも、均衡財政に努め、借款の背後に潜む意図を見抜いた聡明な国民的指導者が貸し付けを断ったが故にその国が滅ぼされてしまう。それが、国際社会の冷酷な現実です。三国は、当然ですが、英国から貸し付けを受けていました。明治維新の際の幕府方が言ってみればパラグアイ、薩長が三国に相当するのかもしれません。


●日米安保 - 現在も続く「保守」対「革新」という2項対立

 翻って現在の安保関連法案の背景ですが、上述の基本原理に、米国の経済力の低下と中国の経済的な台頭という要因が加わります。欧米諸国政府を実質的に支配している国際金融資本は、対外投資を保全するための軍事力として米軍に頼ってきましたが、米国の財政困難(これも国際金融資本が直接、間接に引き起こしたものではないでしょうか)から、米軍がもはや棍棒としての役割を果たせなくなってきた。そこで、日本に肩代わりを求めているわけです。ですから、日中を争わせて漁夫の利を得るのは誰か?について真剣に考察する必要があります。

 日本社会の指導層も、こうした構造については、戦後の比較的早い段階からわかっているため、日米安保については、完全に隷属している一部勢力を除き、こうした外圧に表向きは追従しつつ、その流れを自主防衛の強化に役立てようとする勢力(自民党主流)と、自主防衛路線も含めたあらゆる軍事力強化が、戦前と同様、最終的には国際金融資本に利用される結果に終わると確信し、真っ向から否定する勢力(革新勢力)とが、対立しつつ、時には協力し、国内で複雑な政治過程を生み出してきました。こうした基本構造は現在も変わっていないと思います。


●米国共和党 - キリスト教と反共主義

 日本人にとって日米関係、特に米国の対外政策の理解を困難にしている要因が宗教とイデオロギーです。日本の防衛政策に決定的な影響を及ぼす米軍との結びつきの強い米国共和党を象徴する二つの理念が、キリスト教と反共主義ではないかと考えています。この両者の関係ですが、キリスト教を信奉する保守派の間では、「インターナショナリズム」を媒介とする社会主義と国際金融資本との結びつきが疑われており、それが反共主義の一大根拠とされています。その説によれば、社会主義経済体制は、「共産党」という少数者によるあらゆる生産手段の独占により、一面において、資本集中を極限まで進めた最も高度な資本主義形態としての側面を備えている。また、マイノリティや革命的勢力は、国内的には弱者であるため、外国勢力と結びつきながらその点を隠し、その支援を受ける傾向も見られる。彼らは、ロシア革命や社会主義体制に寛容な米国の民主党を例に挙げます。

 さらに、信用創造、すなわち通貨発行機能に着目し、通貨発行権の私物化が金融の一大問題点であるとする考え方も存在します。以下は私の見方ですが、中東を含む西洋では、全般的に東洋ほど温暖な気候と降雨に恵まれず、従って農業生産力が低いために、牧畜に頼らざるを得なかったのではないでしょうか。それ故に有史以来、商取引が発達する傾向にあり、それに伴って金融も発達したのではないか。その金融の肥大が、やはり現代と同様、富裕な商人の台頭・私益に貪欲な支配階級の登場とそれに伴う社会的混乱、そして戦争を生み、その経験が金融の肥大に対する歯止めとしてのキリスト教、特に利子を取ることへの戒めを生み出したのではないか。旧教、特にギリシャ/ロシア正教がその伝統を色濃く受け継いでおり、共産主義が(キリスト教に限定してはいないものの)国際金融資本と同様にキリスト教を排斥していることも、国際金融資本と共産主義との結びつきを疑わせる一因になってきたのではないかと考えています。


●対中脅威論 - 投資の向きで判断できる相矛盾する二つの流れ

 以上のことから、米国における反中は、一面において、「自由貿易」と「株主資本主義」のかけ声のもと、労苦の成果である技術や資産、そして雇用を国民から奪い、中国に与えてきた国際金融資本に対する不信と怒りが投影されたものだと見ることができます。また、TPPの性格については、「中国包囲網だ」、「日本の保険金融分野の自由化が狙いだ」など、諸説があるものの、米国には、実は条項がほぼ固まった段階で中国が参加することが想定されており、これにより日米の産業の空洞化と国際収支の悪化がさらに加速する可能性を危惧する見方も存在します。さらに、中国における国際金融資本の影響力が強まり、中国が国際投資を受動的に受け入れている姿勢から、米国に代わり、国際金融資本の尖兵となる危険性も指摘されており、あながち否定はできません。

 従って、米国における対中脅威論には実は真っ向から対立する2系統があり、それを見分ける基準が、資本の流れる向きだと思います。すなわち、対中投資を加速/継続する(国際金融資本と米国民主党がその役割を担っている)と同時に中国に対する軍事的圧力を積み増していく(共和党内のネオコンが担っている)勢力と、対中投資にブレーキをかけ、できれば資本・技術・雇用を米国に還流させたい勢力(共和党保守派)です。現状では、国際金融資本が外為相場をコントロールする(元安を維持する)ことで、米国から中国への投資の流れが維持されている一方、豊富な資金力を背景にネオコンを送り込み、保守派を排除して共和党の主導権を握った結果が現在の米国政界の姿ではないかと考えています。



 いずれにしても、現状を放置すれば、我慢強く、十分な情報も与えられていない日本人はともかく、米国国内における国際金融資本への反感がさらに高まり、デフォルトをきっかけに内戦に突入する可能性さえあると見ています。


 そうなった時に日本はどう対応するのでしょうか?


 そこで問題になってくるのがカジノ法案をめぐる今後の対応です。


●カジノ法案 - 共和党の意向

 実は米国共和党が、カジノ法案を推進する大きな圧力になっています。イスラエルの(反ネタニヤフ色の強い)ハーレツ紙が2月15日、ネタニヤフ首相が米国のラスベガス・サンズのオーナーでカジノ王であるシェルドン・アデルソン氏の営業許可を進めるよう日本政府高官に働きかけたと報じました。アデルソン氏がネタニヤフ首相の最有力後援者であるとともに共和党最大のスポンサーの一人であり、3月3日に行われたネタニヤフ首相の米議会演説に至る経緯により再確認されたアデルソン・ネタニヤフ両氏の共和党との強い結びつきを考えると、仮になんらかの形の働きかけが行われたとすれば、共和党の意向をも代弁したものである可能性が高いと考えています。

 同様に安倍首相の米国議会演説の場合も、ネタニヤフ首相の場合ほど民主党との軋轢が表面化していないものの、やはり上下両院で多数派を握っている共和党の意向が色濃く反映されていたと見てよく、カジノ法案の推進も、暗黙のうちに安倍首相の国際公約に含まれていると見て良いと思います。


●シェルドン・アデルソン氏 - ネオコンか、保守派か?

 繰り返しになりますが、共和党は、大きく分けて、キリスト教を精神的基盤とし、比較的倫理的かつロシア正教擁護という観点からプーチンにもどちらかと言えば寛容な保守派と、国際金融資本を代弁し、潤沢な資金力にものを言わせて共和党の主導権を握った反プーチンのネオコンとに2分されます。他方で、自民党、特に清和会は、もともとは共和党の主流であった保守派との結びつきが強かったものの、ネオコンが共和党の主導権を握るのに伴い、自民党内でもネオコンに同調する形で新自由主義的な主張が活発になっています。

 アデルソン氏は、イランに対する好戦的な発言からネオコンと同一視されているものの、金融を直接的背景としていない点、宗教色の強いネタニヤフ首相や、軍需に代わる民需として軍産複合体に宇宙開発を提案し、2010年にカトリックに改宗したニュート・ギングリッチ氏を前回の大統領選挙の共和党予備選において後援している点を考え併せると、むしろ共和党保守に近いメンタリティの持ち主ではないかと見られます。


●カジノ法案をめぐる国際金融資本と共和党保守派のスタンスと安倍政権への影響

 従って、国際金融資本の側では、カジノ法案の成立とラスベガス・サンズの誘致ないしは資本参加の実現に失敗し、それが民主党に有利に働けばそれでよし、仮に成功したとしても、その恩恵をネオコンが享受すればそれでよしとする一方、保守派にとって有利に働くようであれば圧力をかけるというスタンスだと思います。現状では、民主党とネオコンという2段階のハードルを越えて保守派を間接的に支援することは至難の技であるように思われる一方、国際金融資本に対する反発の高まりが予想を超えれば、可能性が見えてくるようにも思われるため、今後の推移を見守りたいと思います。いずれにしても、カジノ推進が滞れば、米国における重要な支持勢力である共和党の信認を失い、安倍政権が党内における求心力を失うとともに、総裁選における対立候補の台頭または政権交代に向けた動きが加速する可能性があります。


●8月解散はあるのか? - 政策連合に至るシナリオ

 安保関連法案とTPPで追い詰められた場合、かつての野田政権の場合と同様、解散総選挙になる可能性は十分にあると思います。ただし、まとまりを欠く野党の現状、そして政権担当能力を示せなかった民主党への失望から、野党が全面的に信認を受けることは考えにくいと思います。そのため、自民党が、国際公約に縛られ、外圧の受け皿としての役割を引き受けるために安保関連法案やTPPに反対できないグループと、安保関連法案やTPPへの反対を鮮明にするグループとに割れ、後者を核にした連立政権が実現するというシナリオの方がまだ現実味があると思います。ただし、新政権が外圧に対して安倍政権以上に効果的に対応できる保証はないため、自民党を割るインセンティブがどれほど働くかに疑問が残ります。

 従って次善の策として、現政権が、そうしたリスクに対応し、党議拘束を緩め、派閥単位での意志表明を容認することで、選挙互助会としての自民党を維持しつつ、首相には党派色の薄い人物を推戴し、政策協定により案件ごとに柔軟かつ機動的に政策連合を形成するというシナリオの方が説得力があり、この国難を前に十分な実現可能性を秘めているのではないでしょうか。

 そこで問われるのが、野党の政策調整能力、そしてかつての民主党のように自民党・官僚機構全体を敵視するのではなく、案件ごとに柔軟に連携していく姿勢ではないでしょうか。


●分割統治との戦い

 筆者は、「divide and rule(分割統治)」の超克と日本人の大同団結を唱道しているため、安保関連法案など、民族の存亡に関わる重大問題を契機に、従来の政党の縛りが弱まり、「国民代表」の理念に一歩でも近づくのであれば素晴らしいことだと考えています。逆に、安保関連法案やTPPに反対する自民党議員を除名し、郵政選挙における小泉政権のようにいわゆる「造反議員」に刺客を送り込むようであれば、野党が、比例名簿に載せるなどの方法により、「造反」した勇気ある議員たちを守り、支えるべきだと思います。郵政選挙における野党の対応は、与党に劣らず、同じ日本人として恥ずかしいものでした。


●私が国会議員であったなら

 最後に私事で恐縮ですが、2010年の参院選に新党改革から東京都選挙区に立候補したものの、落選後、これといった政治活動をしておらず、この国運を左右する重大な局面で何もできない自らの不明を恥じています。

 私が国会議員であったなら、与野党、特にカジノ法案に批判的な公明党や共産党の本部に日参し、カジノ法案の重要性について説く一方、同法案への反対を良い意味での取引材料として活かし、アデルソン氏を通じてユダヤ/イスラエルロビーと接触し、安保関連法案やTPPによる対日圧力を弱めるよう働きかけることができたかもしれません。国会議員のみなさん、特にカジノ議連の構成議員には、是非ともそうした方向で奮闘していただきたいと思います。


●もう一つの官民格差

 その一方で、選挙の時に痛感したことなのですが、民間の立場から行政や政治に関わってきた実績が正当に評価されにくいという思いもあります。29年間にわたってさまざまな形で霞ヶ関や永田町の政策立案に関わり、かなり乏しい報酬で高度な成果をあげてきたと自負している私にとって、官庁の仕事につきものの匿名性と守秘義務が障害となり、過去の業績を公表できず、業績として事実上カウントされなかったことがとてもショックでした。良い仕事さえしていればわかってもらえるという思いから、審議委員などの肩書きや論文発表の重要性を顧みなかった私も甘かったのですが、同様の立場にありながら、ステップアップの機会を閉ざされている人々の顔を思い浮かべると、事は私個人の問題にとどまらないように思います。

 民間の立場から政策立案に従事している人々の裾野は広く、政策立案能力と経済観念・庶民感覚を兼ね備えた優秀な人材のプールを形成しており、その意味では、例えば政策担当秘書にはうってつけの人材の宝庫だと思います。


●政策担当秘書の資格認定に関わって感じたこと

 ところが、現状では、①〔司法/公認会計士試験、国家/外務公務員I種試験、認定試験の合格者〕、②〔博士号取得者、顕著な業績を証明する著書のある10年以上の実務経験者〕、③〔公設秘書5年以上、実務経験が10年以上の者〕など、かなり厳格な資格制限があるため、前述の障害と相まって、そうした人材が資格認定を受けるのは困難です。さらに、議員が落選してしまうと失職してしまい、また資格を取得しても枠が国会議員の数に限られており、採用される見込みが低いなど、身分が不安定であるため、①のカテゴリの人々の参入を期待することには無理がある一方、②のカテゴリの人々には秘書としての適性が欠けるため、公設秘書の枠を1人分増やす効果しかなく、「議員立法の補佐という本来の導入目的を達しているとは言いがたい」(wikipedia: 国会議員政策担当秘書 > 概説)とする見方もうなづけます。


 入札価格の大幅な下落により、民間の立場から政策立案に携わる優秀な人材を確保するのがますます困難になっており、そのことも、国家公務員の事務負担の増大、ひいては士気の低下を招く一因ではないでしょうか。報酬が下がっている上に実績にもならないのであれば、人材が逃げていくのは当然であり、現状を放置した場合、政策立案に従事する人々の質の低下、引いては行政サービスの質の低下に拍車をかけることになりかねないため、その点をとても危惧しています。

 最後の方は愚痴めいてしまいましたが、ご意見・ご質問などございましたら、遠慮なくお寄せください。かなり広汎なテーマを限られた文字数で扱っているため、言葉が足りず、誤解され易い箇所もあるかと思うため、みなさまのご意見や疑問点を参考にして書き直したいと思います。何卒ご指導ご鞭撻賜りたく、どうかよろしくお願い申し上げます。



平成27年7月7日(七夕ですね!) ※

海治 広太郎

※有難くも同時期に複数の方からご寄稿頂き、特別寄稿は1日1掲載までと(暫定的に)致しましたため、本日までお待ち頂いてしまいました。
  お待ち頂いた皆様、恐縮でございました、ありがとうございました!(anndue)

<特別寄稿> 平和で安全な世界を構築するために

平和で安全な世界を構築するために
桂 秀光

軍需産業、武器商人業界で大もうけされている以外の方々は、
他の細かい政策は、ともかく、日本、そして、世界で、戦争や紛争が次々と勃発し、
戦死者の方々が、毎日、何十人、何百人、何千人と出ることを、
本気で望んでいないと思います。では、どうしたら、平和な世の中を構築できるのでしょうか???

現在の国際的な国境の概念は、
1648年に締結された、ヴェストファーレン条約(Peace of Westphalia)が基になっています。
この条約による体制を、ウェストファリア体制(Westphalian sovereignty)といい、
非常に簡単に説明すると、国境は、たった一本の線でなければならないという考え方です。
従って、1648年以降、今日まで、約400年弱の間、この体制のおかげに、多くの戦争、紛争が世界各地で勃発し、多くの戦死者が生まれ、軍需産業、
武器商人業界が大もうけできるようになったのです。

ですから、日本、そして、世界で、永久平和を実現させたいと本気で思われる方々は、
ウェストファリア体制(Westphalian sovereignty)を終わらせるために、
努力すればよろしいのではないかと思います。

あいまいな国境の実現です。
北方領土も、竹島も、尖閣列島も、そして、樺太も、あいまいな、
複数の国の共同地域として、運営していくことに合意できれば、
1648年以降で、初めて、南極地域以外で、共同地域という新たな概念で、
平和な社会を運営できることになります。

この新たな体制を永久世界平和の模範として世界中で使ってもらい、
世界平和に貢献するというのが、
これからの日本のあるべき姿だと考えます。

もちろん、ウェストファリア体制で、
ボロもうけされている方々、そして、安倍晋三首相と彼を支える仲間達のように、
これから軍需産業や武器商人としてがっぽりもうけようとしている方々も、
がたくさんおりますので、実現は容易ではないかもしれませんが?!

具体的には、とりあえず、日本の現在の防衛費の半分位を、
日本政府が招聘する国費留学生をのため。および、
日本が領土問題を抱えている地域に日本の国立大学を建設し運営するために
使ったらどうかと考えます。

そして、北朝鮮や中国を含む日本の近隣諸国、そして、全世界から、
大量の留学生を受け入れ、彼らに博士の学位を取ってもらって、
帰国して頂き、「日本は私たちに博士の学位を取らせてくれた素晴らしい国だ。
こういう、日本を攻撃してはいけない。」という意識を、
日本国外のこれからそれぞれの国の指導者になろうとする方々に
植え付けるのです。

このような地味な努力によって、
10年後、20年後、30年後、そして、100年後、
日本を攻撃するような意識を持つ日本国外の指導者がいなくなるように
し向けることが、日本の平和と安全を将来にわたって
守っていくことではないかと考えます。

日本の国立大学大学院博士課程後期に
国費留学生を3年間一人呼ぶ経費は、
600万円弱、
一方、ミサイルの価格は、一発、数千万円から数億円、
大砲一発は、数十万円から数百万円、
機関銃の弾一発は数百円から数千円といわれています。

また、市街戦を8時間行う経費は、片側だけで、
数千万円から数億円かかるとも言われております。

そして、いくら武器や弾薬を使って敵を倒しても、
憎しみの連鎖で、いつまでも紛争が続いてしまうことは、
北米の某超大国がここ数十年にわたって行ってきたことを
見ればわかります。

世界平和を実現するためには、
いくら儲かるからと言って、
軍需産業や武器商人が潤う政策を実行するのではなく、
極端な富の偏在をなくし、
きちんとした判断力を持てる人間の養成を
国際的に行うことです。

それをしない限り、いつまでも紛争、戦争は続き、
武器商人と軍需産業だけが儲かる
世の中が続きます。

良識のある政治家の皆様には、
些細な思想信条にとらわれることなく、
御自身の利権ばかりを考えず、、
行動されることを期待致します。

マレーシア政府招聘・クアラルンプール大学工学部駐在外国人講師
インド共和国タミルナードゥ州・コーヤンブットゥー工科大学客員講師
博士(農学)・東京農工大学
桂 秀光
( かつら ひでみつ )
http://www.katsura.dk
プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
<特別寄稿を募集致します>
当出張所では、森友問題について
「自身でブログを開設するほどではないけれど、ぜひ物申したい!」というあなた様の原稿を
tama.nipponissin@gmail.com にてお待ちしています。報酬はございませんが、必ず(明白な悪意や公序良俗に反する場合を除き)掲載させて頂きます。
よろしくお願い致します。

田吾作、みうら、anndue

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