「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 独立未だならず  NO.199

 民進党代表戦が行われ前原誠司が対抗馬の枝野幸男を破って選ばれた。それにしてもこの選挙ほど世間の関心をよばなかった例は少ないのではないか。原発、日米安保、憲法などの重要問題での両者の意見の相違が見られない。率直に言えば自民党内でも通用する考えだから国民が期待する訳がないし、毒にも薬にもならないのだから自民党からは当選歓迎の秋波が送られる。国会議員の中で8人が無効票を投じたというのだから党内のまとまりのなさは相変わらずだ。とっくにこの党の消費期限が切れているのに存在すること事態が日本の民主主義の混迷ぶりを表しているとも言える。
 ところで小生にとってこの党が蛇蝎の如き存在に化したのは、アメリカを後ろ盾とする勢力が謀略を巡らし小沢一郎や鳩山由紀夫を追い出した時の、当時の党内反主流派の面々の党外勢力に呼応した反党行為のためである。当時から自民党やアメリカを第一と崇める勢力がいてその後の民主党・民進党の主流となったのだから日本の政治自体が悪化し劣化したのは当然の成り行きだった。
 だが問題は野党が一致した行動をとらなければ自公の出鱈目な横暴政治にストップをかけられないことである。そのためには野党間の取りまとめ役が必要になるし、そうなると結局は小沢一郎の出番としか思い浮かばない。
 野党間の選挙協力は進むだろう。それしか自公に勝てる要素がないからだ。しかしその動きと同時に、なりふり構わぬ小沢一郎攻撃が動き出すことも明白だ。自公、マスメディア、財界、背後に就くアメリカなどは死に物狂いで暗躍する。日本の政治は何回か対米自立の機会を作り出しその度に自立派は敗北せざるを得なかった。
 これが戦後72年の日本の現実だ。
(2017.9.2)

<田吾作の声> 勝負を超える感動      NO.198

 夏の甲子園が終わった。たかが野球、されど野球との思いは強い。何が心を引き付けるか、全力を集中した無心のプレーが観客それぞれの思いとオーバーラップするからだろう。小生にとっては激しい戦いを終えた後の本塁ベース前での両チームの礼を交わす場面が好きだ。この習慣が生まれたのは大投手だった空谷を擁する松山商業が始めたものだと野球本で知ったのは夢中で読んだ小学生の時だった。
 日本人のスポーツ感には必ず勝負だけではない選手の振る舞いが及ぼす部分がある。真剣勝負を戦った相手への敬意を忘れない。自らと同じく背負ったものは様々あり互いに栄光を目指した暁での試合であり、非情であっても勝負をつけねばならない。その結果勝っても一呼吸し健闘を称え合い今後の互いの精進を誓う礼儀は感動を呼ぶのだ。最近は勝ったら所かまわず感情を露わにするスポーツ選手が珍しくなった。相手を慮らない風潮が日本をますますつまらない社会にしている。
 日本人は爾来「道」が好きだと言われてきた。だがそれは昔であって、現実には今は結果であるモノ・カネを取れるかが大事で、過程での心の部分は無駄だと切り捨てられるのが多い。勝負が全てのアメリカ型合理主義的感性が世間を覆っている。
 さて高校野球だが無論今の世相を反映した出来事が起きない訳ではない。強打者松井秀樹を全イニング敬遠策で臨んだ明徳義塾にはスタンド中からブーイングが飛んだ。そう言えば早実清宮の高校通算本塁打が話題になったが、これまでの記録を保持していた選手はプロには進まず、鉄道会社に就職したという事実を知った。自分の能力を見極めた決断だといい清々しい気持ちになったことは言うまでもない。
 球児に幸あれ。
(2017.8.26)

<田吾作の声> 恥を知らぬ日本人   NO.197

 夏は平和と戦争を考える機会が多い。沖縄戦、原爆投下と目白押しだが、何といってもポツダム宣言受け入れを決めた8月15日がメインであることは誰にも異存がないところだろう。例年通り戦没者追悼式が行われたが(テレビ参加の小生にとって)心に響くものがない。オキナワ、ヒロシマ、ナガサキと大きく異なる点だ。
「戦争の惨禍を繰り返してはならない」という言葉の何と空疎なことか。日本のアジアの民への加害者責任は微塵も感じられない。 戦争自体を抽象化することで責任を曖昧にするという、奥ゆかしい日本語の特性を最大限利用した誤魔化し戦法にはやり切れない。日本文化の特徴の一つとして「恥」があげられるが、15日に頻繁に使われた惨禍、悲劇、苦しみなどという言葉を乱用する輩こそ恥知らずの連中だとしか思えない。
 最終局面では責任を回避するのが日本の支配者だが、そのために「主語」を使わず日本語の迷路の世界に誘いぼかす。勿論、こうした姑息な「忘去法」が日本人以外に通じないのだから、彼らが魔法の言葉を使う相手は日本国民である。敗戦を認めず終戦と言い包めるのも同様のやり方だ。要は何の反省もしてないし、無駄死にさせられた多くの民の追悼などしていない。反省したふりをしているだけだ。
 一級の戦争犯罪人の孫シンゾウが式典の主催者であるのは(ドイツなどヨーロッパ諸国からすると)マンガとしか思えないだろう。アジア諸国からは悪夢としか映らないだろう。しかも平然と世界中にアメリカの傭兵として軍隊を派遣する道を開いたのだからまともな歴史家なら腰を抜かすに違いない。戦前回帰策を次々に打ち出す日本に世界平和を語る資格はない。
 過去に学ぶとは今を正すことだ。
(2017.8.19)

<田吾作の声> 核兵器は絶対悪   NO.196

 「唯一の被爆国」というのが日本が世界に向け核問題を発する際の常套句となっているが、先の国連での核兵器禁止条約に加わらなかったことで世界中から顰蹙を買っている。当然ながら広島平和式典でシンゾウは被爆者から直接強い怒りの声を浴びた。日本の安全がアメリカの核の傘に依存しているから条約には加われないというのが彼の言い分だが、幾多の問題で黒を白と言いくるめ煙に巻いてきた言葉の魔術師が反撃を食らったという訳だ。
 式典ではシンゾウは「核兵器国と非核兵器国双方に働きかけ橋渡し役を果たす」と語ったが、その欺瞞性は同じ式典での平和宣言で「市民社会は核兵器が自国の安全保障に何の役にも立たないことを知り尽くし核管理の危うさを気付いている」し「核抑止の概念にとらわれてはいけない」と喝破されている。その上、「核兵器は絶対悪」と規定したのだから、絶対悪の廃止に条件付けをするシンゾウに分などありはしない。
 今や80カ国以上の国が参加する式典になっては資格がなくとも出ざるを得なかったのは一国の総理という体面だけだろう。世界中に怪しい口先男の正体を露わにしたのは皮肉としか言いようがない。おまけに宣言は何回となく為政者へ「誠実な対応」を呼びかけている。まるでシンゾウへのダメ押しではないか。言葉だけでは駄目よという。
 小生には原爆忌と結びつけたくなる花でもある夾竹桃が今年も周りに咲いている。例年以上に暑いと感じる日々だが、夾竹桃には凛とした趣きがある。愚かな人間の殺りく兵器の応酬が最終兵器と呼ばれる原爆の製造投下につながりヒロシマ、ナガサキの悲劇を招いた。アメリカの核擁護を行うシンゾウを夾竹桃は何を語っているのだろうか。
(2017.8.7)

<田吾作の声> シンゾウ疾患に延命措置は要らない  NO.195

 大臣を入れ替え第3次安倍内閣が発足した。文字通り挙党体制でありことの深刻さを物語っている。憲法改悪に反対する岸田文雄を党3役に、総裁選で立候補さえ妨害した野田聖子や原発推進に反対の河野太郎を大臣に取り込んだことだ。しかし政策的にもシンゾウと一番近いと思われる石破茂を外したところが彼の小心な性格を表している。買収し恫喝して国会議員数では有利で安倍一強などと言われるほど権力を確立したが、ヒラ党員間では圧倒的に石破に負けることを自覚(嫉妬)しているので排除したのだろう。反自民の小生が言うのも可笑しいが、シンゾウは党よりも怨念を採る男なのだ。執念だった筈の憲法改悪もあっさり放擲することにも表れている。
 シンゾウは記者会見で、国有地売却の森友・獣医学部新設の加計の両学園問題、防衛省日報問題を自ら国民に不信を招いたと謝罪した。そのための内閣改造で疑惑隠しとの印象は否めない。後任の新大臣も解明するとの強い意思は見られない。
 忘れられないのは防相を辞任した稲田朋美が笑顔で離任式に臨んでいる映像だ。かって舛添要一は高額な海外出張、公用車での別荘通勤、美術品購入が公私混同・公金意識欠如と問題になり都知事を辞職したが、定例記者会見さえ開かず説明を放棄したことが批判を浴びた。ケチな舛添の行動と違い稲田の行動は国の安全に関係し重要性から見れば比較にならない。だのに曖昧に逃げ切ろうとする姿勢は見過ごせない。
 天下国家を言う割には卑近なのがシンゾウだが、国民の信頼回復を本当に願うなら堂々と問題の当事者に説明させるべきだ。勿論、両学園の役職に就いていた夫人も。蚤の心臓では終わらせない。
(2017.8.4)
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日本一新の会 (多摩出張所)

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