「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま> 直観の貧困

感性なんてものがアテにならないことは心得てるつもり。一目惚れを後悔する一生もあったろうし、知的怠慢の正当化にも供されてきた。
ここでは便宜的に、無知や先入観を含む感覚としての「直感」と、証明不能な確信を含む洞察としての「直観」を区別して、後者について考えてみたい。

先日の読書会(内藤正典氏著 「トルコ 中東情勢のカギをにぎる国」)、地理の先生のRさんが「第一次世界大戦後に線を引いた領域国家ていう考え方、これからどうなるのかしら」と話した時、目が合って、ドキッとした。
そうだ、先生てのはこうやって時々、目を合わせて生徒の集中をチェックしていた。聞いているかどうか、立証はできなくても、目が合えばバレちゃう。
続いてMさんの発言、「あの大臣て自分が理解してないことを答弁してるのが、はっきりとわかるじゃない?」。異論はない。でも、それを証明するのは難しい。
この世の中、「(面倒だったり、原理的にムリだったりで)証明はできないけど、確かにわかる」という、直観的領域は意外に広い。

アル中の友人宅を訪ねると、彼は母親と私を置いて「ジュースを買ってくる」と部屋を出た。戻ると、あきらかに酒臭いのだが、指摘するとムキになって否定する。
疑惑を否定しきれさえすればOKで、私が信じるか否かは眼中にないみたい。
スマホ中毒の娘も同様の症状を示しているところをみると、依存症というのは、人と人の間に在る直観的領域を見失いがちな病なのかもしれない。

安倍政権の人達にも同じ症状が散見される。「バレバレでも逃げ切れれば勝ち」という国会答弁の影響は、いまや社会全体に拡散して、信用収縮ならぬ「直観収縮」が懸念される。

恥ずかしながら、私もよく、「私の頭脳で対応できなくて申し訳ありません」という気持ちになる。それでいて心底では「こんな複雑な社会で、何が正しいかなんて、わかるはずもない」と開き直ってもいる。なのに、情報をかき集め、自分なりに考えるのは、頼りない直感を少しはマシな直観に高める努力に他ならない。

ものごとが最終的には多数決で決まる民主主義で、議論という過程を省略できないのは、それが満場一致の理想を求めて止まないからではなく、議論自体が有権者の直観を養うからではないか。
一人ひとりの有権者がそれぞれの努力や経験で培った直観から投じる一票。その総和となる集合知に従えば、「神の見えざる手」よろしく、最適な人を議会に送り、最適な意思決定が得られる(はず)。代議制民主主義の基礎には、そんな公理が埋め込まれているのかな。

今日の文明社会を築き上げた、民主主義というシステムに私は感謝する。
しかし、文明は本能を鈍麻する。直観が本能の道連れになれば、民主主義の基礎が腐り、耐震工事を求める不安の声が高まる。そして現れる「この道しかない」というスローガンの先に私は、ろくでもない厄災しか思い浮かばない。

フェラ・クティは「アフリカに民主主義は通用しない」と言った。彼らは道ですれ違うだけでお互いの力量が直観的にわかるので問題が起きない、と。「democracy」を「demonstration of crazy」と揶揄した彼には、このシステムの欠陥が見えていたのかもしれない。
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コメント
No title
前川元事務次官と佐川理財局長、詩織さんと山口敬之氏、山尾しおり氏と稲田明美氏
比較して、どれも後者のほうが信用できると本気で感じているヒトに会いたい。
正直な気持ちを聞かせてくれるなら、ビールくらい、おごる。
2017/06/06(火) 11:46 | URL | みうらま #LkZag.iM[ 編集]
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