「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま> 二極化する美女とネトウヨ化する中間層

 私が育った40年前の京浜地区では、美女は中学校でケバイ娘に進化して、十代で子供を産むことになっていた。
 例外がないとは言わないから、とりあえず、聞いて欲しい。
 美女は十代で子供を産みヤンママとなり、二十代前半で離婚して、水商売をしながら子供にじゅうぶんな愛情をそそぐ余裕もなく三十代を駆け抜けていく。
 愛情不足で成長した美女の娘は、やはり美女なので、愛情と性欲の区別もつかないまま、前述のルートをたどり、蒲田や川崎のサービス業を支える労働力となる。
 彼の地では、こうして薄幸の美少女と貧困がセットになって再生産されていた。

 先日、山口 真由という弁護士がテレビに出ているのを見て、ため息まじりに、つぶやいた。
 「天は二物を与えず、なんてのは・・・嘘だな」
 それを聞いたカミさんが、
 「あたりまえじゃないの、そんなこともわからないの?」と呆れたように、くさす。
 その指摘は、天の不公正や諺の欺瞞性に向けられたものではない。「え、なんで?」と問うた瞬間、彼女の冷徹な現実認識に思い至り、慄然とした。
 そうなのだ。高学歴の男は、モデルのような美女を嫁にもらい、高学歴と美貌がセットになって再生産されていたのだ。

 もしも私が生まれ故郷の京浜地区を出ること無く、北千住という下町で十数年を過ごすこともなく、今の文教地区に十数年を暮らすことがなければ、この構造をビビットに受け止めることは、できなかったかもしれない。だから、以下はひとつの仮説として、読んで頂きたい。

 上記、2つの事例は、美女の二極化を示している。
 美女が二極化すれば、中間層は「会いに行けるアイドル」の尻でも追いかけているより、ほかははないだろう。
 この救いのない現実にブチ切れた青少年や壮青年の思考や行動がヤンキーのそれに相似するのに不思議はない。しかし、早めのドロップアウトにより思春期限定のアウトロー的価値をテコに薄幸の美女を獲得する豪胆さがあれば、はなから衰退する中間層にしがみついていたりはしないはず。そこで、そんな彼らが活躍と発散の場をネット空間に求めたことにより、大量発生したのが、いわゆる「ネトウヨ」なのではなかろーか。
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