「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま> 「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる」(施 光恒)

 本家、事務局の大島さんから、この本を紹介された。
 漠然と嫌悪感を感じていた「英語崇拝」の風潮と、明確に危機感を感じている「新自由主義」の増殖、両者の関係が構造的・歴史的に、ジグソーパズルのピースがピタリとはまり、雲が晴れたような気分。この場を借りて、大島さんにお礼申し上げます。

 欧州の近代化をもたらしたのが、言語の統一化ではなく、その正反対の(当時、知識や教養を独占していた)ラテン語の各国語への翻訳である、という指摘は私にとってコペルニクス的転換。フィリピンやインドが英語によって国民が分断され効率的に植民化されたこと、日本は翻訳作業の国民的努力により現地語を(近代の教養を語りうる)国語にまで高めたことで近代化や経済成長を成し得たこと、延いては日本人のノーベル賞受賞者が多いことまで、スッキリと理解できて「眼から鱗が落ちる」どころか「俺の眼て節穴だった?」と自分の迂闊さに少し驚くほど。

 近代的なことを語れない「現地語」しか持たない民族は奴隷化され、語りうる「国語」にまで高めることに成功した日本は植民地化を逃れたという解釈に湧きだす、先人の英知への敬意、努力への感謝、三木谷浩史氏が総督気取りの呑気なお猿さんにも見えてくる。

 私がバブルの前後、十数年を北千住で過ごし、今も毎月、浅草に泊まりがけで遊びに行くのは、江戸弁の香り残る下町言葉が聞きたいからでもある。
 どんな方言にもあるように、江戸弁でしか言い表せない「感じ」がある。江戸弁が標準語に進化する近代化の過程で切り捨てられた多くの「感じ」は、現地語が国語に進化するための代償だったのではないか。落語は江戸弁の鎮魂歌なのではないかしらん。

 コペルニクス的転換を果たした私の脳には、現政権の唱える「地方創生」が、言語を含む地方の標準化、中央化、東京化、植民地化に過ぎず、新幹線の駅前みたいな、のっぺらぼうに思えて仕方がない。これでは生贄になった江戸弁が報われない。
 ひとたび、日本語が近代の教養や現代のビジネスを語りうる国語にまで成長したのであれば、そこからは日本中の方言がそれを上手に取り入れることで、個性を殺すことなく、現代社会に適応して、生き延びられるはず。

 そいつが死んだ江戸弁への供養てもんじゃぁねーのかい、んぁ?、はとバスの客相手に寄席でやってる江戸弁なんざ、生臭坊主の説教だ、あんなんぢゃ仏さん浮かばれやしねーやぃ、どーでぇ、そのへん、ちょいと、ご隠居にも聞いてみよーじゃねえか。
 いや、まったくだね、くまさんや。生きた方言で現代を思考し、語ることができればですよ、きっと井上ひさし先生の「吉里吉里人」みたいな町や村が、あっちこっちに生まれるはずだ。そりゃ、あんまり荒っぽくちゃぁいけませんよ、荒っぽいのは。それでも、こりゃ、その、目出度いことなんじゃないかと、あたしは思いますがねえ・・・、おお、だいぶ冷えてきましたよ。ま、一杯やって、お行きなさいな、、
スポンサーサイト
コメント
No title
先日のミラーマンの打ち上げ、
小林節先生(にとって、想像するに、あまり、居心地がいい席には思えないけど)、
「最後までお付き合いくださった」と教えてくれた、Hさん。
「みんな、一生懸命なのよ」と。

感動して、本サイトへの書き込みを増やしてみてたりして。^^;
2015/11/05(木) 11:56 | URL | みうらま #-[ 編集]
No title
私もこの本拝読しました~。

元々幼児からの英語教育には拒否感があり
英語を流暢に(欧米人のように)喋れるようになったところで
喋りたいコト(中身・考え)がないのでは意味がなく
まずは日本語でしっかり考えられる人間になってからでも遅くないと思いますし
また英語が世界共通言語的に使われている現状は渋々認めるにせよ
欧米人のような発音・語彙で話せないと恥ずかしいなどと思う必要はなく
彼らは外国語を学ぶ手間が省けているのだから、寧ろどんな片言でもナマリでもピジンでもクレオールでも有難く思い、聞き取る義務がある!

…と思っているので、溜飲が下がった思いです(笑)

数年前に、英語教材の宣伝でまだ生後半年くらい?のベッドで横になってる乳児の耳元でネイティブ英語の音声教材を聞かせている映像を見て
心底気色悪いと思いました(^^;)

本の中で、英語が公用語的になり日本語が土着語になり下がる危険性・その弊害(英語をマスターできない、特に低所得者層などの、職業等の格差の固定化など)に警鐘を鳴らされてましたが
英語化を進めようとしている連中は寧ろ、日本語を土着語どころか完全になくしてみんなが英語で生活すれば問題ないじゃんくらいに思っていそうで、油断ならないです。

ワタシなどむかし古文の授業をサボってしまったので、日本の素晴らしい古典をまともに読めなくてこの歳になって後悔してますが
英語ばかりになったらそれこそ過去との断絶ですね。
1984年のニュースピークどころの話じゃないです。
ワタシ昔宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩が凄く好きで
さすがに古文というほどではないので、現代文の感覚で普通に読めていましたが
先日なんとなくググったら、この詩を「現代語」に直してほしいという
ヤフー知恵袋の相談をたまたま見つけ、衝撃を受けました。
現代っ子はそうなのか…と。


2015/11/05(木) 20:05 | URL | anndue #-[ 編集]
No title
インドに貧乏旅行してて、長い時間、列車に揺られて疲れたので、身体を休めるため、ちょと高級なホテルに泊まった時、そこの連中のプライドの高さに驚いた。
私を見下してるだけでなく、アメリカ人も見下しているの。
「私達のマナーは英国流なのだよ」て。
おー、植民地化てのはこーゆーことか、と思った。
で、今、日本がそこに向かっているとすれば、インターネット時代にずいぶん、古典的な手法が採用されたもんだなー、なんて。
2015/11/06(金) 10:26 | URL | みうらま #-[ 編集]
No title
>「私達のマナーは英国流なのだよ」

わぁ~なんか逆に切ないですねぇ。
南アのアパルトヘイト時代の日本人の「名誉白人」扱いを思い出しました。

>インターネット時代にずいぶん、古典的な手法が採用されたもんだなー

明治の鹿鳴館のように、西洋踊りを真似する程度で留めてほしいです(笑)
そうしてるあいだに自動翻訳技術が完璧になればいいですね(^^)


2015/11/06(金) 12:43 | URL | anndue #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
<特別寄稿を募集致します>
当出張所では、森友問題について
「自身でブログを開設するほどではないけれど、ぜひ物申したい!」というあなた様の原稿を
tama.nipponissin@gmail.com にてお待ちしています。報酬はございませんが、必ず(明白な悪意や公序良俗に反する場合を除き)掲載させて頂きます。
よろしくお願い致します。

田吾作、みうら、anndue

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
RSSリンクの表示
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR