「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま>言葉が終る時

 安倍晋三首相は5月15日の記者会見でも、6月11日の党首討論でも、「政権が自由に憲法解釈を変更してもよいのか」という質問に、気色ばんで「守っていく責任」を強調するばかりだった。目の前の質問に答られないで、国民の負託に応えられるもんなんでしょか。

 公開の場で意見を戦わせる手続きが無ければ、民主主義はただの多数決。言葉を戦わすことができなければ、暴力で戦うよりほか無くなっちゃう。国会が「数の暴力」の場になって、国家が暴力をふるえば戦争になる。言葉が死んでしまえば、社会は空気が支配するようになって、ゾンビ化したコトバは思考や相互理解ではなく、暴力の道具に成り下がってしまう・・・

 ん? てゆか、もうなってるじゃん。

 そか、民主主義はもう、終っていたのか。そこに独裁者が現れて好き放題やっているのだ。独裁者が御用学者を集めて諮問委員会を作ったり、日銀やNHKを人事で操るような、まどろっこしいことをやってるのは、国民にそのことを気付かせないためだったのね。

 2009年に消費税反対をマニュフェストに歴史的政権交替を果たした後、民主党の菅直人元総理は「消費税増税に政治生命を掛ける」とまで言った。2011年の衆院選挙で「反TPP、脱原発依存」を公約に大勝を果たしたした自民党の安倍政権は正反対の方向へ逆噴射して、公約になかった憲法の牽強付会で大忙し。

  言葉と一緒に民主主義は死んじゃったんだな、きっと。民主主義が終っていることに気付かない人達は「信じられない政党が多い」とは感じても「信じられる政党なんか無い」ということに思い至らない。なぜなら、マスコミが希望の光を与えてくれるから。「ヒドイ連中に騙されてしまいましたね、今度はコレ。この人達が信用できるかもしれませんよ」て。

 「信用できない政党」と「信用できないマスコミ」が合わせ鏡のように現実を映しだすと、考える材料が永遠の彼方へと消えてしまう。だもんだから、一票を片手に立ちすくんでいる、ていうのが日本人の政治に対する現状なんじゃないかしらん。

 民主主義が終ってるってのに、16年衆参ダブル選挙に向けて、政党の再編が始まった。立ちすくむ人達の受け皿になるべく、現政権と対極的な理念を持つ議員や政党が、じわじわと歩み寄りつつある。それは誠に結構なことなんだけれど・・・

 新自由主義者の世界観がよく弱肉強食て形容される。ケダモノだって生態系を破壊するほどには食べないし、共食いだってしない。畜生にも劣る餓鬼の道。修羅や畜生に代わりに「なぜ、そうなってしまうのか」を問うのが考える葦ってもんでしょう。立ちすくむ人達を耳ざわりの良い公約で囲い込みマーケティング戦略の勝利を得たとしてもですよ、「人間を幸福にしない日本というシステム」を改革できないことは歴史的政権交代を成し遂げた民主党政権で実証済みなわけですよね。「数が無くては何もできない」けれど「数だけ集めても何もできない」ことを私達は知っちゃってる。

 なので、新たに結集した人達に「今度は大丈夫、信じてください」てお願いされても、信じるに値する根拠、民主党の失敗から何を学び反省したのかを示して頂かないと、安倍総理の「再び"戦争をする国"になることは断じてありえない」てのと同じ空手形に過ぎないわけで、政権交代に期待し裏切られ、今、安倍政権の恐怖に震える国民が抱く政権交代へのガッカリ感に見合うだけの、民主党政権失敗に対する原因究明と再発防止策が必要なんじゃないでしょか。

 共生や脱原発の旗印に、小異を捨てて大同に就く人達のなかには、前原や野田みたいな寄主を食い殺す獅子身中の虫が必ず入り込むので、現勢力に対抗するため結集する方々には、陸山会事件に対する見解を曖昧にして欲しくない、と思うのであります。


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