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<みうらのま>選挙に関する3つの雑感

選挙に関する3つの雑感

4・4・2の法則

 平野代表はこう考えているそうだ。
 最初の4は組織票、お次の4は浮動票、そして最後の2は不投票。
 私は以前、最後の2だった。若い頃は毎日が楽しく、その後は仕事が忙しくて、選挙どころじゃなかったし、政治に興味が無いどころか、政治家を志すような奴はみんな嫌いだった。

 細川政権の出来る頃、私は「お次の4」となった。
「へーえ、政治って変わるんだあ」
 そう思えることは、少なからず刺激的だったし、自社政権が誕生した日には、55年体制ってなんだったんだ?と考えずには居られなかった。
 それでも、何か行動したのは、自衛隊のイラク派遣に反対して一度だけデモに足を運んだくらいだったし、それさえ、予想外の集まった人数の多さに大喜びする主催者に鼻白んで、途中離脱した。

 311、正確には原発事故をきっかけに私の政治に対するアプローチが変わった。選挙の時だけ、テレビがほのめかす変化への淡い期待を追い掛けるのではなく、継続的に、そして深く考えるようになった。政治家や政治団体に寄付をするし、対立する両方の政党のサポーターや党員になったりもする。議員事務所に電話をかけるし、デモや抗議行動、ときには検察庁や裁判所にも出掛けるようになった。
 それでも、私は、まだ「お次の4」のままだ。それを誇りにさえ感じている。
 水草のように浮動するのではなく、自分の意志に従って浮動したい。


東京都知事選挙
 世代や時代といったクラスタ化は便宜的な意味しかもたないことを前提に、いまさら、ではあるが、先の都知事選を振り返ってみる。

 年齢別に見ると70代の舛添氏支持率が高い。これはネットの情報に触れず、テレビを信じることができる世代で投票率も高いので、選挙での影響力が大きいのは間違いない。が、やがて戸籍が鬼籍に移り、長期的には影響力を失うだろう。

 若年層での田母神氏支持率の高さ。これに不安を感じるヒトも多いが、20代から30代は人口も少なければ、投票率も低い。彼らはテレビの影響が少なく、ネットから情報を得ている若年層。そのなかでもまた少数派の「選挙に行く人達」だ。しかし、その潜在力は三宅洋平が獲得した個人票や山本太郎の当選でも証明された。
 先の衆議院選挙で大勝したが、獲得した票数は大敗した2009年の選挙と変わりなかった自民党も当然、この世代の潜在力に注目する。
 これからの選挙の鍵は、この世代の「選挙に行かなかった人達」の獲得合戦になっていくだろう。

 んが、この局地戦で日本一新の会は、あまりに不利だ。なぜなら、平野論説は140文字のお手軽文化に適合しない。平野論説は、知識や経験に裏打ちされた思考力や洞察力に応じて、効能を発揮し、英知の恩恵に浴することができる種類のテキストだからだ。なので、私は日本一新の会がこの小さなパイの奪い合いに参戦するのは間違っていると思う。
 彼らの理想は今後、間違いなく一定の支持を獲得する(と私は予想する)が、平野代表の能力は、彼ら自身が理想の前の現実に直面し、目的のために手段が不可欠だ、と気付いた後に求められることになる。

 脱原発、秘密保護法、その他デモに行けば目立つのは、60代を中心とした先輩方。先の70代と括らせていただいた年齢層より中心が10年、若い。いわゆる団塊世代だ。彼らは、
・60年代末から70年代初頭の政治の季節に青春を過ごした経験がある。
・社会人として1つの仕事を成し遂げた実力がある。
・仕事と子育てを終え、ネットでうかつなホンネを発言して職を失うリスクから自由である。
・311以降の惨事便乗型資本主義が矢継ぎ早に繰り出す狂気のなかで、じっくりと新聞や本を読み、考え、監視する時間を持つ。
・日比谷公園から銀座を経て国会議事堂まで歩く意志と健脚がある。
・そのために観光バスを連ねて上京する財力もある(人もいる)。
 最近になって、週刊ポストや現代だけでなく、文春や新潮までもが「老いらくの恋」をテーマにした記事を毎週のように掲載するようになったのも、彼らの社会的影響力の大きさを物語っている。

 世代や時代といったクラスタ化は便宜的な意味しかもたない。広告会社の社員がマーケティング戦略と称して、パワポのグラフをレーザーポインターで指し「この世代へのアピールするためにツイッターやフェイスブックで・・・」といった詐術的気恥ずかしさに耐えつつ、私は敢えて言う。
 日本一新の会の理念は、この世代を中心とした前後10年の人達を筆頭に共有されるべきだ。


民主主義
 「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」というチャーチルの言葉は、「よく聞く」だけじゃなく、よく「まったくだよな」と、思い起こしてしまう。
 とくに原発事故以降、何度、噛み締めたか分からない。

 国土や海を汚した、何万年も残る放射性廃棄物。その恩恵を受けたのは、私の親と私の世代、まだ幼い娘を加えても、3世代足らず。しかし、娘には未だ選挙権がない。
 原発について選挙でその賛否を表明できなかったのは娘だけではない。大地や海の動物から細菌まで、つまり、成人した国民以外の全ての生き物が、その意志決定に参加できなかった。
 選挙によってその賛否を表明できなかったのは生き物だけではない。これから生まれてくる生き物、子々孫々や、すでに今生を退いた代々のご先祖様、誰も原発の賛否を表明できなかった。

 というわけで、今を生きる私達、有権者はさまざまな生き物や、もう生きてないものや、まだ生きてないものを代表しているわけだが、そう考えると、どうしても不安になり、自問自答してしまうのが、
「はたして、私達はそれに値するのか」てこと。
 これを自分に問えば、どうしても、心もとなくなるわけだけれど、そこで、私は開き直ることにした。
「それでは、誰が代表できるのか?」と。
 人間の技術が創り出した産物、今、ステージに上がっている人間が決めるより他、ないじゃないか、と。
 そして調子にのって続けて言いたい。
「あなたたちだって、私達と同じ時間に生きていれば、きっと同じ選択をしただろう」と。

 だから私は、福島の原発事故がこの海と国土の今と未来の生き物にどんなに深刻な影響を及ぼしても、絶望はしない。
 私が絶望しつつあるのは、原発の再稼働や海外輸出を求める政府の了見に対して、だ。

 そして、ついまた思い起こしてしまうんだけれど、もう、この言葉にシニカルな含みはない。
「まったく、最悪の政治形態だ」

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