「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま> 森友学園ー見るものが見られるものへ

 ご多分に漏れず、森友学園問題をウォッチしている。
 厳密に言えば、森友学園問題を通して、「メディアを」ウォッチしている。

 「ネットでここまで騒がれているのに、なぜ、テレビでは取り上げない?」といった声が高まる中、最初に放送したのがテレ東だったというのは愉快だった。
 その後、恐る恐る、ぽつりぽつりとニュース番組が取り上げ始め、視聴率が取れるとみるや、ワイドショウのメディア・スクラムが始まった。
 しかし、よく見ると放送時間は増えたが情報量はそれほどでもなく、問題は矮小化され、コメンテーターは切り離されたトカゲの尻尾と戯れるような具合になっていった。
 ところが、ニュースソースのほとんどを菅野氏に独占され、彼がツイッターを通じてネタを小出しにして情報をコントロールしたことにより、メディアは篭池劇場の政界への延焼を防ぐことに失敗、続いて氏を怪しい人として菅野劇場化する演出にも失敗した。

 通常、メディアが見た「事実」が市民に伝えられる構図が、奇しくも菅野氏のツイートにより、メディアが「事実」を作り出す工程そのものが市民に開陳され、メガネのレンズの汚れを見るように、見るものが見られるものに転換した。この三角測量のような機会を与えてくれた菅野氏に感謝、感謝。

 この構図が生み出した擁護するものすべてをアホに変えてしまう森友学園問題に、火中の栗を拾う田崎スシローや池田信夫はじめ、塚本幼稚園を推薦してきた日本会議の文化人達の忠義心もへったくれもない逃げ口上など、豪華バイキング料理のような1ヶ月ではあったが、いよいよ、明日、籠池氏が国会に登場。

 「民間人を国会に呼ぶのは」なんて抵抗してた連中が、籠池氏が安倍昭恵氏の学園寄付に触れた途端、掌返し。主演の役人や知事の国会招致も、参考人招致もすっとばして、瞬く間に証人喚問が決まった。この経緯からみて、与党はなりふり構わず、味噌樽ズボンを仕込んででも、偽証罪をでっちあげて公開処刑を実行、阿吽の呼吸でメディアは「第2の永田メール事件」と騒ぎ、国有地と設置認可の疑惑を籠池氏に背負わせたまま、闇に葬るつもりだろう。追い込まれたフリージャーナリストが失踪なんてオマケさえつくかもしれない。
 そうなればこの国で、メディアは二度と飼い犬の手を噛むことはなくなり、検察は沈黙し続け、司法は腐り、北朝鮮のような監視国家になってしまう。

 大袈裟に感じる人もいるかもしれない。そうあってほしい。悪い夢は話したほうが現実化しない、悪魔は名前を呼ばれたら消え去る、そう思って縁起でもないことを書いてみた。
 皮肉と魂を込めて言う。皇国の興廃この一戦にあり。
 暴れるトカゲの尻尾をトカゲ本体が軍靴で踏み潰すような籠池劇場の幕引きを許さずに、きっちり、大阪府と財務省の疑惑を暴き、願わくば、でんでん劇場の終演につなげてほしい。

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<田吾作の声> マスコミよ、カイより始めよ   NO.176

 欧州の右傾化、排外主義が強まっているという。過日、その先陣を切ったオランダの国政選挙では極端なイスラム排除を主張する政党の伸びが予想より下回り政権獲得には及ばなかった。マスメディアに安堵の声が広がった。中身を知るとより強硬な方針を掲げる政党が新たに議席を獲得したり、与党第一党も従来方針を右寄りに転換しているというから安堵する事態ではない。相変わらず荒唐無稽なメディア報道である。
 今後続くフランスやドイツの選挙でも保護主義の台頭として「危機」を強調するだろう。それはトランプ報道でも同様である。小生とて世界の政治情勢への懸念は人語に落ちないが、彼らの報道が説得力を持たないのは肝心の視点を欠いているからだ。それは我が日本国総理シンゾウが国際社会の先導役を果たしているのを批判しないという姿勢であり、見事なほどのダブルスタンダードに他ならない。要は他国の批判は自由に出来るのに自国の権力に対しては全く批判できないのだから堕落としか言いようがあるまい。
 3月3日の東京新聞で、昭和の日本社会の右傾化は軍部が新聞社幹部を片っ端から酒を飲ませ親密な関係を作ったことが背景にあると、半藤一利が語っていた。そう言えば全国紙幹部とのシンゾウとの夜の懇親会が頻繁に行われているとの情報をミニコミが伝えている。日本のマスコミの第一の使命は日本社会の健全な発展に寄与することにある筈だ。流行りの言葉で言えば「ジャパン・ファースト」である。だのに権力者と同席することで一端の社会的地位を甘受し権力者におもねる様は情けない。彼らには戦争協力者との反省も、むのたけじの生き方への矜持もないらしい。第4の権力と呼ぶ意味が興味深い。
(2017.3.18)

<みうらのま> 酔払うとなくなる記憶について

 酔払うと記憶がなくなる。
 当出張所の面々も同様で、今年の新年会の翌日には反省して「次回の集まりはアルコール抜きでね」と固く誓いあった。
 「権力に対する人間の闘いは、忘却に対する記憶の闘い」ともいう。こんなことでは「日本一新の会」の看板が泣いてしまう。

 とくに私の場合、話した記憶はあるのに誰に話したかは憶えていない、ということも多い。「話したい」が先にあり、相手なんて誰でもいいとでもいうのか。自分本性が知れるようで、ほんとに恥ずかしい。

 もっとも、酔わなくても記憶力は減退の一途を転げ落ちている。
 しかし、年齢を理由にはしたくない。平野妙観の顔が浮かぶからだ。
 もちろん、アルコールのせいにもしたくない。禁酒を勧められるからだ。

 そこで思いつくのがネット検索。
 ワープロが普及し始めた頃、「漢字が書けなくなった」というオジサマの嘆きを多く耳にした。ネット検索が普及した今、固有名詞を脳ミソから引っ張り出す能力の低下は多くの人に見られる傾向なのではないか。
 飲み屋の会話でも、「えーと、なんつったっけ、あの女優は…」などといって、スマホが登場する機会が増えた。ガラケーの時代なら「忘れる程度のことなら、話題として持ち出すな」という場面ではあるが、関心が高くても固有名詞を記憶しているとは限らないのだから、仕方がない。


 書店で買い求め、読了した直後でも、著者の名前を憶えているとは限らない私などはきっと、ネット社会の最先端で病んでいるのだ。老化やお酒のせいではなく。

<田吾作の声> マッチョ男に注意   NO.175

 マッチョな男に魅かれるのは世の常かも知れない。何せ男を強調し肉体でも言動でも「強い」イメージをひけらかしぷんぷん匂わすのだから、日々不甲斐ない自分が情けないと思い苛まれている庶民にとっては時として憧れの対象ともなり得る。そういう御仁の一人石原慎太郎元都知事が豊洲市場移転問題疑惑の釈明記者会見に登場した。
 見るからに体力も低下しかっての元気のいい時の面影はなく、老いた醜悪な姿は哀れさえ感じた。現役当時から自らの責任など感じられない言いっぷりは相変わらずで、間違っていたとしてもそれを承認した議会も含めた都全体の責任だと言い逃れる。東条英機だけが戦争責任を負うべきでなく国民全体の責任だとする一億総懺悔の思考法と全く同じ論理である。彼の現役中には週勤2日という怠慢状態を放置したマスコミ(権力を失った者への追及は鋭いのだから面白い)さえ総批判を加えた。それにしても現知事小池百合子への批判を再三行う意趣返しは彼らしい。
 ところで慎太郎は現役時代には田中角栄を真っ向から批判する急先鋒だった。角栄を金権政治家と決めつけるのも結構だが、自らの公私混同した都知事時代の乱脈ぶりを見ると彼には批判の資格さえない。新東京銀行破綻での1400億円損失に加えての今回の豊洲問題での巨額費用、多額の都予算を費した海外視察などの疑惑を検証すべきだろう。その慎太郎が折からの角栄ブームに乗じて角栄を礼賛する本『天才』を著してしこたま原稿料を稼いだのだから驚きた。恥知らずの見本である。
 虚像が剥がれた彼の実像は、気は小さくて責任もとれない者が権力を握るとそれを威光にして他者を見下し分限のない行動に走る姿だった。やはり騙された都民も悪い。
(2017.3.10)

<みうらのま> プレミアムな方々によるプレミアムフライデー

 富の再分配は、人類始まって以来、政治の第一義であるが、近代国家においては、司祭と政府が、祭りが行政から、分離独立している、と大学の頃、本で読んだ記憶があります。

 行政の埒外、天下御免でストレス発散することを許される祭りが、民衆を結びつける力になり、やがてそれが、御上に対する民衆の示威行為になっていくのは自然のなりゆきかも、と実感したのが、一昨年、日本一新の会・日田市研修のあとに先輩が案内してくれた、博多と飯塚の山笠でありました。

 といっても、祭りが社会転覆を志向している、とかいう剣呑な話ではなくて、民衆の潜在的エネルギーの誇示は、行政に対する「しっかり仕事をせねば、アレがこっちへ向かってくる(汗)」という圧力になっていて、総体としては社会を安定させるパーツとして機能していた、という考えです。

 そして現代、祭りを失った人達は、生演奏を聞いたり、飲み屋で騒いだりして、ストレスを発散するわけですが、「プレミアム・フライデー」とかいう、御上の掛け声で経済を活性化させようという考え方に私が反感を禁じ得ないのは、ひとえにそれが官製祭りだから、なのであります。

 絶滅の危機に瀕する中間層の可処分所得を遊興費に投じさせるような消費行動を誘起する政策に、「プレミアム・フライデー」と名付けてしまうセンスは、ナチスの「シャワー室」にも通じる事務的作為を感じてしまうのです。

 どうせなら、三社祭の間、浅草では消費税0%!とかのほうが、
 「そりゃ、景気が良いや、ぱーっとやろう、ぱーっと!」
 といった空気が醸成されたりするのではないかしらん。



<田吾作の声> 教育って何だ     NO.174

 文科省の天下り報道を見ていると、この国がつくづく病み腐っていると感じる。集中した権限をフルに使い退役後の幹部を思いやりぬくぬくした生活保障を考える部署があるのも驚きで、国立大学は完全に植民地化している。この事実だけでも利益相反行為ではないのかと怒りが沸く。現役官僚が予算配分で手心を加えることは天下った先輩への配慮であり、自らへの第二の人生への投資にもなるのだから。
 国立大学の独法化は国の予算合理化の中で生まれ、大学は研究費を削られ利益を上げるために企業との連携が進み今や一体化している。実利につながらない基礎研究は軽視されるという深刻な事態になっている。私立も含めて大学自体が学問/研究の府というイメージが薄れ、学ばない考えない学生排出の場と化している。
 昔は貧乏人の子弟の救いは授業料の安い国公立大学へ行くことだったが、今や軒並み授業料が高騰し大学生は勉学よりもアルバイトに精を出さざるを得ない現実が一般化している。奨学金を借りた学生には、就職後も長いローン支払いの人生が待っている。非正規が半数を占める格差社会は奨学金の返済を許すような余地を与えない。奨学金返還「人生のリスク」、強制執行10年で120倍、という記事が新聞の一面に踊る。その横にあざ笑うかのように文科省問題の記事が並ぶ。
 国会では大阪の私立学校への国有地をただ同然で払い下げた問題が焦点を浴びている。そこの教育内容は戦前の教育勅語の内容を再現した酷いもので、中韓憎め・シンゾウ万歳を幼児に教え込むという。しかもこの「安倍晋三記念小学校」の顧問にシンゾウの妻が堂々と名を連ねたというのだから唖然とする。なのに地検特捜部は動かない。ヤレヤレだ。
(2017.3.3)
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