「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま> 埃っぽいステーキ

 30年近く前の話。
 IT土方にありがちなデスマーチと化したプロジェクトで、私は毎晩、先輩と社長室に寝袋で寝泊まりをしていた。
 ある日、エアコンが壊れて寒さに凍えなから目覚め、そのまま仕事をしていると、社長に呼び出され、先に入室していた先輩と一緒に「エアコンを壊した」と社長が並べる小言を朦朧としたアタマで聞いていた記憶がある。

 そんなことを思い出したのは「南スーダンでPKO活動をする自衛隊の部隊の活動記録に、今後『戦闘』を使う際は注意するよう統合幕僚長が指示した」という記事が気になっているからだ。

 戦闘が目の前で起きている現場へ、温泉みたいにヌルい場所から日誌に使う用語を注意されて、どんな聖人君子なら素直に従えるというのか。
 彼ら自身が「戦闘」と呼んだその場所から、帰国してほしくない政治家や役人が、「憲法に違反しないよう『武力衝突』という言葉を使うように」だってさ。
 「ふざけんな」てのが感情を持つ人間の正常な反応ではないか。
 「暴走した関東軍」てやつも、現場にはそんな気持ちが充満してたのかも、と想像してみる。

 デスマーチは1ヶ月後、現場を厚木の工場に移し、私の残業時間は230時間を記録して、会社の黒い金字塔になった。
 社長は昼になると遥々、東京からやってきて、まだ半醒半睡状態の私をBMWに乗せ、スシやステーキを食いに連れ出した。
 「この場所(国会)から心からの敬意を表わ」された自衛隊員の皆さんが味わった拍手は、あんなふうに、苦く埃っぽい味がしたのではないかしらん。
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自殺幇助の働き方改革  NO.173

 働き方改革が声高に叫ばれている。国会でも論戦が繰り広げられマスメディアも関心が高い。中身を知るとこの改革なるものの陳腐さといい加減さに呆れる。論点が絞られた今、争点は残業の上限を幾らにするかで揉めているのだ。働き方という言葉からは想像さえ出来ない現状なのだ。
 総理シンゾウが国会本会議で、「1億総活躍の大きなカギは働き方改革だ。働く人の立場に立った改革、意欲ある皆さんが多様なチャンスを生み出す、労働制度の大胆な改革を進める」と宣言したことから始まった。1億総活躍の手段として働き方をどうするかがそもそもの出発であるし、「働く人」という言葉を出しながら使う者(資本家)の立場で使い勝手の良い仕組みに作り変えようという狙いであったことが容易に見抜ける。
 労働基準法で労働時間の上限を1日8時間、週40時間と定められているのに、労使協定があれば月40時間、年間360時間の残業が可能である。それに特別条項を設ければ無制限に可能というのが現行だ。要はざる法の典型である。その改正を目指すシンゾウの試みは、年720時間上限というのだから呆れ果てる。社会問題化した電通の若手女子社員の過労死自殺を制度的に補強するのかと言いたくなる。まるで過労死の犠牲者を弄ぶかのような行為だ。
 そもそも法がありながら例外規定を次々に設けて法を骨抜きにする体質こそ問題にすべきである。残業を認める、それに上限を設ける、上限に更に例外を設ける、その上に繁忙期は別よ、こうした仕組みが問題の根幹だろう。政府による典型的な脱法行為幇助の見本だ。
 働き方改革と言うなら、ノルマに縛られず働き甲斐の持てる環境こそ作るべきだし、労働時間は労基法の完全遵守だけでいい。
(2017.2.21)

<田吾作の声> 沖縄人!   NO.172

 辺野古が唯一の解決策とはトランプ政権の国防長官の発言である。有無を言わさぬ姿勢は狂犬と呼ぶに相応しい。そこには沖縄県民の平和を願い自由な空間を取り戻したいという気持ちなど入り込む余地など見られない。例えれば公衆の面前でならず者に不自由を強いられ屈辱に晒される同胞が面前に居るのに、取り巻くわれわれ国民はホゾを噛むしか出来ない状況とでも言うべきか。
 何もできない「本土」のわれわれと違い沖縄県民はあらゆる手段で抵抗し基地反対の意思表示を行ってきた。全ての国政選挙で基地反対派を当選させ政府の政策転換を求めてきたがシンゾウは聞く耳を持たないばかりか、日本国の実質的支配者であるトランプとゴルフ遊びに興じ全面的な恭順の意を表したのだから県民の絶望的な心が伝わる。
 多くが政府広報化したマスメディアの中で気骨ある報道姿勢で信頼の厚い東京新聞だが、その論説副主幹長谷川幸洋が司会をした東京MXテレビの番組で、一方的なヘリパッド反対派への中傷(それも全く嘘だらけの内容)発言を野放しにしてコメントせず実質的に容認したことが今年に入って問題となっている。批判に耐えかねて主幹が謝罪したが本人は開き直っているのだから事態は深刻である。沖縄の関係者はこの有様をどう見ているだろうか。結局ヤマトンチューは所詮沖縄を見下し差別しているだけだ。沖縄戦でも本土防衛の盾にしただけだったし、昭和天皇もソ連の侵攻を恐れ米軍の沖縄統治を支持し県民を見捨てた。そうした沖縄差別は今も変わらない。こうした見方であっても当然だろう。
 沖縄の問題は実は日本人とは何かという点にまで及ぶ。本土の体たらくは「県民」から「沖縄人」へと意識の転換が進むと思われる。
(2017.2.16)

<みうらのま> 二極化する美女とネトウヨ化する中間層

 私が育った40年前の京浜地区では、美女は中学校でケバイ娘に進化して、十代で子供を産むことになっていた。
 例外がないとは言わないから、とりあえず、聞いて欲しい。
 美女は十代で子供を産みヤンママとなり、二十代前半で離婚して、水商売をしながら子供にじゅうぶんな愛情をそそぐ余裕もなく三十代を駆け抜けていく。
 愛情不足で成長した美女の娘は、やはり美女なので、愛情と性欲の区別もつかないまま、前述のルートをたどり、蒲田や川崎のサービス業を支える労働力となる。
 彼の地では、こうして薄幸の美少女と貧困がセットになって再生産されていた。

 先日、山口 真由という弁護士がテレビに出ているのを見て、ため息まじりに、つぶやいた。
 「天は二物を与えず、なんてのは・・・嘘だな」
 それを聞いたカミさんが、
 「あたりまえじゃないの、そんなこともわからないの?」と呆れたように、くさす。
 その指摘は、天の不公正や諺の欺瞞性に向けられたものではない。「え、なんで?」と問うた瞬間、彼女の冷徹な現実認識に思い至り、慄然とした。
 そうなのだ。高学歴の男は、モデルのような美女を嫁にもらい、高学歴と美貌がセットになって再生産されていたのだ。

 もしも私が生まれ故郷の京浜地区を出ること無く、北千住という下町で十数年を過ごすこともなく、今の文教地区に十数年を暮らすことがなければ、この構造をビビットに受け止めることは、できなかったかもしれない。だから、以下はひとつの仮説として、読んで頂きたい。

 上記、2つの事例は、美女の二極化を示している。
 美女が二極化すれば、中間層は「会いに行けるアイドル」の尻でも追いかけているより、ほかははないだろう。
 この救いのない現実にブチ切れた青少年や壮青年の思考や行動がヤンキーのそれに相似するのに不思議はない。しかし、早めのドロップアウトにより思春期限定のアウトロー的価値をテコに薄幸の美女を獲得する豪胆さがあれば、はなから衰退する中間層にしがみついていたりはしないはず。そこで、そんな彼らが活躍と発散の場をネット空間に求めたことにより、大量発生したのが、いわゆる「ネトウヨ」なのではなかろーか。

本音剥き出しの時代    NO.171

 いやはや世界はトランプの「呟き」に振り回されている。その様は進歩とか、理性とか、協調や常識など「糞くらえ」という一人の男の独壇場であり、人間とは一体何なのだという問いかけさえしたくなる。
 隣国と結んだ(それもアメリカに圧倒的に優位な内容の)国際法NAFTAを見直す(今以上にアメリカ優位な内容があるのか?)、オサマビン・ラディンなどテロ犯の多数を占めるサウジなど(何れも彼の投資先国だという)はスルーしテロ犯入国者ゼロなのに嫌いなイスラム圏7カ国からの入国を拒否する、批判的な(とは思われないが意に従わない)マスメディアを罵倒し入国拒否の大統領令を無効とした連邦裁を攻撃し(そもそも形だけだが)3権分立制にまで挑戦する。凍結されていたインディアン居留地を横断するパイプライン建設を認めるという露骨な人種差別・石油資本擁護の政策もある。
 誰にも待ったをかけられないのはアメリカの圧倒的な軍事力の存在と、それを自由に操れる大統領権限がある。かって暗黒街をカポネが支配出来たのは比類なき残虐性と強力なマシンガンの力だった。今や一人の狂人が白昼堂々しかも世界中を戦々恐々とさせているのだから、事実は小説より奇なりを地で行く光景だ。アメリカの本質が露わになり我々にとって目覚める機会でもある。
 どの国もトランプの行動に呆れ距離を測っているのに、唯一人狂人に取り入り振り切れんばかりに尻尾を振る輩がいる。馬鹿としか思えないのがシンゾウである。TPPに拘り二国間を迫ら今まで以上の不利益協定を結ばされる、尖閣への安保適用と引き換えに南シナ海への自衛隊派兵で中国と対峙させられる、素人でも予測できる危険が迫っている。
(2017.2.9)

<みうらのま> 流行遅れの欲求としての所有

 本家の平野大明神が「日本一新運動」の原点―353」で以下のように述べている。

 「かつての『重化学工業資本主義社会』では人間の所有欲求が価値観として許容されていた。これらの限界が明らかになった現代『自己中心所有欲の価値観』は人類滅亡への道となる。」
 そして、
  「『情報社会』に相応しい価値観を早急に形成させることが必要である。それは社会的公正を確立させ、適切な結果平等を実現させる「共生の価値観」ではないだろうか。」
 と提言する。
 つづく、「 恥ずかしながら、私は超アナログ人間である」はご謙遜、知というものは、デジタル・アナログの垣根など悠々と飛び越え、事象の本質を洞察する。
 知は御大に遠く及ばないものの、ITで禄を食む者として、及ばずながら、屋上屋を架す気持ちで平野論説を補強してみたい。


■マルクスもマーシャルも
 商品としての情報は、無限に減らないし、無数にコピーできる。
 これだけで、資本論で価値実態とされる労働価値説や需給曲線による価格決定論は通用せず、「『情報社会』に相応しい価値観を早急に形成させることが必要」であることは言を俟たない。

■所有から消費へ
 若者のクルマ離れの本質は、所有離れ。
 「かつての『重化学工業資本主義社会』では人間の所有欲求が価値観として許容されていた」が、それが限界を超えれば、ライフスタイルは所有を伴わない消費へと転換する。
 ガルブレイスが80年代に指摘したように、大企業は実は商品ではなく差異=欲望を生産していたとすれば、商品から「品」が無くなり、消費から所有が無くなっても、へいちゃら。
 それどころか、差異=欲望の再生産でさえ不要な、サービス(サブスクリプション型の課金システム)へと多くの商品は進化中。これは、交換価値(があるものを所有するスタイル)から使用価値(があるもののを使用する権利料のみを支払うスタイル)への価値形態論的先祖返り、と言えなくはないけれど、「品」の無いブラック企業が増えるわけだわ。

■無料です
 SNSにゲームにエロ動画、スマホで消費される多くのサービスは無料が基本。旧来の重化学工業資本主義社会型で評価すると、これらは広告収入ビジネスモデルくらいにしか見えず、これじゃ、情報資本主義の足元すら照らさない。
 また、インターネットを支える主要サーバーソフトの「ほとんどは無料」。ソースコードも公開され改変も自由。厳密に言えば、需要に応じて有料の製品「も」用意されている、という現状だから、これは「基本、すべて無料」と言い切るべきなのだと思う。そして、オープンソースは空想的社会主義などでは決してなく、情報資本主義の発展過程、歴史的必然から生まれた後世に誇れる文化だと私は思っている。

■電子商取引
 通信技術の進歩で株式市場の売買が光ファイバーを通じて取引される時代になっても、途中にはいくつものハードウェアが介在し確実に遅延が発生する。1マイクロ秒(1秒の 1/1000)の遅延の間にスーパーコンピュータは1兆の計算を処理できる。ノーベル賞受賞者を集めて金融工学を駆使するヘッジファンドがそこに加われば、マネーゲームの意味は変容するだろうし、きっと、すでにそうなっているだろう。

■国家の壁を超える通過
 ビットコインのようなブロックチェーンの技術は中央銀行のような「中央」を必要としない信用の体系を可能にする。機を見るに敏な日本の大手銀行がこの波に乗り遅れることはないにしても、近い将来、銀行のビジネスモデルが大きく変わることは避けられないだろう。
 インターネットの普及でパソコン通信が「変わらずに衰退する」か「波に乗って売上を減らすか」の二者択一を迫られたのと似た状況。
 国家の裏書きが不要な通貨が可能になれば為替変動のリスクは消えて、国家の意味さえも変容する。


 以上、これだけでも、 「『情報社会』に相応しい価値観を早急に形成させることが必要である」ことは明白ではないだろうか。
 そして、それが「社会的公正を確立させ、適切な結果平等を実現させる『共生の価値観』」であることを書くとまた長くなって、田吾作親方に叱られてしまう。


プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
<特別寄稿を募集致します>
当出張所では、安保法案成立に伴い「平時はブログを開設するほどではないけれど、今回だけは黙っていられない」というあなた様の原稿を
tama.nipponissin@gmail.com にてお待ちしています。報酬はございませんが、必ず(明白な悪意や公序良俗に反する場合を除き)掲載させて頂きます。よろしくお願いします。

田吾作、みうら、anndue

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