「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 法治国家でなくなった日本 NO.111

 今年も終わろうとしている。改めて振り返ると戦後の歩んだ道とは異なる地点に立っていると思う。見渡す風景も従来とは違って殺伐とした眺めだ。国の基である憲法は全く変わらないのにどうしたことだ。この原因が総理シンゾウによる憲法の精神を骨抜きにした解釈改憲にあることは言うまでもない。
 従来から日米安保は存在したが自衛隊の海外派兵には歯止めが効いていた。それは護憲勢力の運動があったこともあるが、戦後の時代の殆どを治めた巨大政権与党の自民党自体に大戦への反省と平和への思いが強かったことが大きい。その自民党も小泉以降は極度に右傾化し、敗戦の歴史を認めない修正主義者が主流になった。勿論、その復古的政治姿勢はアメリカとも微妙な関係をもたらしウルトラ右翼の共和党や政権構想を大方投げ捨てブッシュもどきの恫喝戦略に舵をとる末期オバマ政権と波長が合うから目立たないだけだ。国際情勢の変化で盟主アメリカは簡単にシンゾウに路線の変更を迫るだろう。その契機は中国の出方であり、最終的に日本は東アジアでのアメリカの鉄砲玉としての役割が明確になるだけだろう。
 憲法の上に日米安保を置くことを宣言したシンゾウだが、更に日本を無法地帯化することを明確にしたのがTPP合意である。一旦通れば経済的に痛めつけられるだけでなく国内社会はガタガタになることが目に見えている。予定された利益が上がらないのは日本の制度のためだとしアメリカの大企業に訴えられ、国が補償金を支払う破目になるだろう。主権がなくて法が機能しない社会が近づいている。
 安保法制の論議の中で重要な点で、内閣が解釈判断するという部分があった。アベの「人治」政治であり中国を笑う資格はない。
〈2015.12.28〉
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<田吾作の声> 国破れる前に山河なし…  NO.110

 久し振りに地方に出向き4日間ほど過ごすことが出来た。柑橘類の豊かな地域でゆったりした時間を楽しめた。バスも数時間おきに動くし、船便での通勤が主流のため勤務も時間で切り上げざるを得ず、生活にメリハリのあるリズムを感じた。こうした感慨は都会の喧騒から逃れた人間が勝手に抱くものであることを直ぐに滞在中に思い知らされた。
 まず人口減に拍車がかからず期待する若者はUターン頼みで、しかも働く職場が限られているのだから心なしか若者に明るさを感じることがなかった。地域の主流であるみかん栽培も後継者が見つからず櫛の歯が抜けるように生産者が減っている。問題は一部のリーダーが真剣に危機打開の方途を考えているだけで、大方が危機感さえないような気がした。こうした現状を「ぬるま湯的体質」と評する人もいるが、小生は諦めの心境なのではという分析だ。それは政治から裏切られ続けたこと、特に金銭面での大企業や都市部との格差を思い知らされていること、将来に光を見出すことが出来ず何も期待できない心中を察した。Uターンで帰った若者も敗北感を引きずった再出発ではないかと思う。早い話が家で東京と同じニュースを見ても別世界の出来事にしか映らないのではないか。このままでは地方社会が崩壊することは目に見えている。更にTPPなどの影響を思うとそのスピードが凄まじいことも。
 何がこのような地方を作り出したのか本質的な原因を考えないと地方「再生」などあり得ない。国滅びて山河ありとは、古来からわれわれが受け継いできた東洋的な思想である。その地方が本当に危ない。これじゃ日本人が繋がりのない地域に平気で移住するアングロサクソンやユダヤ人化すると思いぞっとした。
(2015.12.24)

<みうらのま> 「バカの壁」は同心円を描く

 「バカ」について書くのは難しい。
 何を書いたって、「そうやってエラソーに語っているアナタはバカではないのか?」という批判を免れない。なので、私のような小心者は、言い訳から文章を書き始めなくてはならない。
 これから書く事は、過去の自分を振り返り看取された「バカの壁」の構造であり、バカな人を観察(見くだ)して得られた知見ではありません。 

 言い訳を済ませたので、以下、文体を少しエラソーにします。

 「バカの壁」は円形である。東に長くて西に短いということはなく、個人を中心にした等距離で、壁は人を取り囲んでいる。

 バカの壁はたった1箇所、内側から穴を開けることさえできれば、風船のように壊れていく。
 自分を包囲する壁が壊れると、頭蓋骨が開放され、広い世界へと解放された気分になる。これこそは人生の醍醐味。

 しかし、それも束の間、現れた広い世界いっぱいに羽を伸ばすと、その世界も、より大きな壁に囲まれていることに気がつく。「バカの壁」は私を中心に幾十もの同心円を構成している。

 同心円の拡大に伴って、ひとつの事柄に対する見解が変わることは当然、起こり得るし、それは成長の証でさえある。「以前はAが好きだったけど、今は嫌いになった」というのは嗜好の変化であって、成長ではない。乙女心や秋の空のように右から左へ気まぐれに変転しているのではないことを証明するには、以前の考え方とそれを改変するに至った根拠をセットにして説明できなければならない。
 説明を聞いて人は「なるほど。それもそうだ」とか「なぬ?以前の主張はその程度の根拠だったのか」とか「そりゃ、不自然だろ、なんか隠してるでしょ?」などと、彼のバカの壁の半径を(自分のバカの壁の内側から)推定する。
 
 政治系ブログなので、上記の所見を政治に適用して、以下の二点を強調しておきたい。
 ひとつは変節の際の説明責任。
 仲井真氏の辺野古、民主党の消費税、橋下徹氏の脱原発、自民党のTPP、選挙の公約を当選後、反故にする政治家が後を絶たない。このとき、
 ・ 判断を変えたこと、と
 ・ 判断を変えたことの理由、と
 ・ 判断を変えたことの理由の説明を拒む態度  
は明確に区別したうえで、責任を追及されなくてはならない。説明を拒む態度は、「最初から騙すつもりでした」という声なき告白と見做してよし。誰が聞いても不自然な理由しか説明されない場合、彼は民主主義を理解していない可能性がある。このような態度に対して「なんでも公開すればいいってもんじゃない、国家機密に関わる事もある」などと、勝手に忖度し受容する国民の様子は滑稽でしかない。

 もうひとつは、「変節を絶対に認めないぞ」という狭量な姿勢を避けること。
 人は成長により判断が変わるし、政策は状況によっても変わる以上、相手の変化を一切認めない姿勢は、相手に対して暴力的であるだけではなく、自分自身をも拘束し成長を妨げる。「判断を変えた理由」に対して、「なるほど、それもそうだ」と思えることは、自分が成長する貴重な機会でもある以上、その芽を予め摘むような姿勢は誰も幸にしない。

 9月の共産党の歴史的方針転換と周囲の反応を見ていると、以上の二点が大切であることを学ぶ。私は、自分も日本政府も、二人三脚で成長中なのだ、と思っている。
 私の視界を阻むバカの壁。人の壁など、どうでもよい。人を中傷するヒマがあったら、絶望する気力があったら、冷笑する悟性があったら、その資源を全投入して、一枚づつ、ぶっ壊していくしかない。

<田吾作の声> 環境はおいしい  NO.109

 パリのCOP21が注目されている。テロの要因の一つに異常気象があるということはさておき、これまで消極的だった中国やアメリカが少し前向きになったことは喜ばしい筈だが、中身を知ると必ずしも手放しでとは言えない。重要な削減目標はアメリカの都合で義務にはならないというから、裏を返せば下駄で天気を望むようなものだ。さすがならず者国家である。
 ところで個人的なことだが、とある大学の社会人向けゼミで環境問題の研究を行うことになりやっと目途がついてホッとしているところだ。テーマは住んでいる自治体での生ごみ処理対策についてである。当初は環境問題全般を扱う予定だったが担当の先生の助言もあり、生ごみに絞ったという経過があった。その理由の一つに市民として環境問題は抽象的で具体的な取り組みがし辛いが、重油を焚いて処理費がかかりCO2を大量に出す生ごみを減らし無くすことは誰でもが可能であることが大きい。
 その研究の過程で解ったことだが、日本は国策で大規模焼却炉での高温処理によってごみを焼き捨てるというやり方を進めている。ところがこのやり方ではダイオキシンはなくすことが出来ても、他の重金属や有害ガスは野放しで空中に放出拡散しているため危険極まりないと問題視する声が多い。何故、こうした馬鹿げたことがまかり通るか理由は簡単である。
 世界中の大規模焼却炉数の3分の2にあたる1230基も小さな日本列島の中にあるのだから驚きだが、三菱などの重工業メーカーがそれを作っている。正に全く原発と同じ構図である。
 ごみゼロという美辞麗句で装いながらその実は環境破壊で大儲けする独占的大企業に注意が必要だ。
(2015.12.9)
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