「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 欧米的価値観の帰結  NO.108

 パリで13日に起きたISによる爆破事件は世界中を震撼させた。オランド大統領は直ちに「聖戦主義者とのテロと戦争している」と強調し、アメリカをはじめとした有志国連合だけでなくドイツやイギリスへの加勢を求めロシアとの連携を強化している。冷静に考えるとシリアやイラクへ空爆しているのだから、今更、ISと戦争状態に在りなどと言うのもおかしな話だ。一般市民が多数犠牲になったのは卑怯だし悲惨な出来事だが、戦争状態なら当然のこととして理解せねばならないだろう。中東では日常的に起きていることだ。反撃するにも飛行機を持たないISが内通者を使って破壊工作を行うことは予想されたことで、今になって大騒ぎするのは介入時の心構えが甘かったとしか言えない。
 欧州の社会党は戦争好きだと歴史的に有名だが、オランドの高揚した演説を聞き再確認した。そもそも論になると白人国家の帝国主義的侵略政策が今日のISに至る中東諸国の混乱の遠因があることは間違いないが、オランドの狂信的なやり方を見ると鬱積した拭えぬ歴史的罪悪感を一時的に解き放つうっぷん晴らしに思える。だがこの戦争は終わりの見通しが立たない。イスラム国という国境を越えたアメーバのような対象には従来のような国家という概念では対処できないからだ。爆撃を強化すればするほどISの勢力は拡散し捉えどころがなくなる。
 更に西欧とイスラムの非対称性は戦争の形態だけにとどまらず政治システム・宗教・価値観など多くの面で顕著である。西欧は長い間非西欧諸国民を見下す尊大な姿勢をとってきたが、そのツケがブーメランのように西欧に跳ね返っている。その象徴が民族大移動のような百万単位にのぼる難民の存在である。

 (2015.11.29)
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<田吾作の声> スポーツになった相撲  NO.107

 大相撲への関心が薄くなって久しいが、最近の取り組みを見てこれが「相撲」なのかという感を深くした。白鵬の猫だましを見た時は呆れて仕舞ったのだ。かねてから張り手を連発し、しょっちゅう叩きを繰り返す横綱を忌々しく思っていたが見切りをつける時期が来たようだ。
 土俵をモンゴル勢が占拠して何年経ったか余りに長いので指を折る気もしないが、朝青龍の傍若無人ぶりの後を継いだ白鵬には大いに期待したものだが最早如何ともし難い心境だ。宇佐神宮に出向いたり双葉山を尊敬するという姿勢には、日本人ではないのにと大いに感嘆したものの違和感が拭えなかったのも事実だ。それは立派な言動と裏腹の余りに安直で小手先だけの取り口を見せられるからだ。相手の先の動きを見てから自分の型を作り出し勝つという双葉山の「後の先」を目指すという高い志と現実の低劣な取り口の落差に耐えられなかった。
 思えば相撲界も例外なくグローバリズムの渦の中に巻き込まれたのだが、門戸を開く動機が力士志望者や観客数が減るなど相撲人気の陰りを回復する手段のためだった。結果として強ければいいという単純な論理が角界を支配し、足腰が強くハングリー精神がつよいモンゴル人を呼び込んだことで今や彼らに席捲される時代になった。部屋に一人の外人枠という仕組みで公平さを装うことで相撲協会は国技の看板を守っている積りだろう。
 柔道がポイント制になって面白くなくなった。腰を引いて相手にポイント与えないへっぴり腰の競技はスポーツであっても柔道ではないと言う人は多い。相撲も同じ道を歩んでおり今更外人さんお断りという訳にもいくまい。異変種格闘技と堕したスモウを小生は二度と見ないことに決心した。
(2015.11.24)

<田吾作の声> 旅客機は戦闘機を生むのか NO.106

 国産旅客機MRJの発飛行が華々しく報道されている。技術の面から効率の面から、そして経済の面から賛美の声が相次ぐ。大型機でなく小型機分野に進出したことで、アメリカ側も比較的好意的だとの分析もあった。成る程、アメリカは日本の自立には様々な圧力をかけ、自らの戦略を脅かす分野での直線的な進出には妨害してきた。同じ敗戦国であるドイツとの違いでもある。アメリカからすれば日本は優等生であり時として属国扱いも平気で行ってきた。
 ドイツに住み日本に発信しているクライン洋子が、アメリカのドイツ嫌いは徹底していて難民問題もアメリカが仕組んでいるとまで断言していた。アラブの春も湾岸戦争もアメリカの戦略の一環であり、その失敗に帰した結果中東諸国の混乱・崩壊を招き今の事態につながっていると言う。ウクライナの内戦も独露の分断を図ったものとの指摘は傾聴に値する。要はアメリカのドイツ政策は表面だけでは理解できないらしい。
 ところでアメリカに忠実な日本がMRJを契機に今後どういう方向に進むのかが気になる。製造に携わった技術者の中心は戦前には数々の戦闘機を設計した面々で、雌伏何年などと表現しその執念を美談として取り上げるマスコミもある。
 安倍内閣で武器輸出3原則が改悪され事実上輸出振興策と変質して以来、兵器メーカーへの露骨な脱皮を重化学や重電メーカーは図っていて、国際商談にも堂々と参加している。経済的に与太ってきたアメリカの世界戦略の肩代わりとして自衛隊への海外派兵の道も開かれた。
 原発大国日本は潜在的に原爆や原子力空母などの製造能力を有している。今回のMRJの飛行は戦闘機製造への一歩でもあるとの危機感が沸く。
 情勢の進行は予想以上に早い。
(2015.11.16)

<みうらのま> 滝に向かう船

序: 状況 
 夜明け前、、船が巨大な滝に向かって進んでいます。

シーン1: 認識
 最初に気がついた船長は、乗船客が寝ている間に、泳いで逃げ出してしまいました。
 それに気がついた人達は船を岸に向けて漕ぎ始めました。漕ぎながら、まだ寝ている人たちを大声で起こします。
 寝ている人たちは、なかなか目覚めません。

シーン2: 選択
 少しづつ、滝が迫ってきます。
 ようやく目が覚めた人たちも、状況を理解しました。
 全員が力を合わせて船を漕げば、無事に着岸できるかもしれません。しかし、できないかもしれません。その場合、全員が死んでしまいます。
 今、河に飛び込み岸に向かって泳げば、助かるかもしれません。しかし、助からないかもしれません。どちらにしろ、漕ぎ手が減れば、船が滝に落ちる可能性が上がります。

配役: 人物紹介
 (1) 最初に逃げ出した船長は、憎むべき狡猾な悪役です。 
 (2) シーン1で寝ていて、シーン2で河に飛び込む人は、嘲笑を誘う道化役です。
 (3) シーン1で寝ていて、シーン2で船を漕ぎ出した人は、素直で凡庸な脇役です。
 (4) シーン1で船を漕いでいて、シーン2で河に飛び込む人は、非凡で聡明な準主役です。
 (5) シーン1で船を漕いでいて、シーン2でも船を漕ぐ人は、勇猛な英雄の主役です。

結: 生存率予測
(1)の「憎むべき狡猾な悪役」は経験値、判断力ともに優れているので、もっとも生き残る可能性が高いでしょう。
(4)の「非凡で聡明な準主役」は思考力、判断力ともに優れているので、(1)の次に生き残る可能性が高いでしょう。
(3)の「素直で凡庸な脇役」は誠実で協調性に優れているけれど、(4)よりは生き残る可能性が低いでしょう。
(2)の「嘲笑を誘う道化役」は選択した行動が(1)と同じなのですが、タイミングが異なり、なにより寝ボケた判断なので、(3)より溺れる可能性が高いでしょう。
(5)の「勇猛な英雄の主役」は自己犠牲の精神が判断を鈍らせているので、もっとも滝壺に落ちる可能性が高いでしょう。ただし、彼が助かる場合は、船に残る全員助かります。

物語は感動的に進み、現実は合理的に進みますが、感動の無い現実は、つまらないです。

<田吾作の声> いかさま資本主義    NO.105

 旭化成のいかさま工事は日本社会の劣化として取り上げられるケースが多い。確かに住民の(ユーザーということだが)安全など考えたこともないとしか思われない。したり顔で説教する経済評論家や学者は口を開くたびに「これからは利用者目線で商いはやる時代だ」などと吹いていたのだから呆れた話だ。今回の事件は判り易く言うと、「商売は手を抜いてでも利益をあげるのが一番だ。安全対策など見えない部分で如何に誤魔化すかが腕の見せ所だ」ということか。
 独占的シェアを持つ大企業なるものを端から信じていない小生からすると、彼らにすれば運悪く見つかって仕舞った位しか考えていないし反省などする訳がないと思う。ところで今回の事件で改めて「感心」したのは、搾取の多重構造である。大元の発注は三井不動産でありそれが三井住友建設を通して旭化成グループに仕事が回るという解説が新聞にあった。仕組みが図に記されていたが、購入者にとって「これでは高い買い物になるな」と咄嗟に思った。要は現場で建築の仕事をしない会社が何社も噛んでそれぞれでペーパーマージンを取るのだから高い物件になるのは当然だ。
 新幹線輸出が中国に攫われたということが話題になった。突き詰めれば日本の製品が高すぎることが原因だろう。兎に角この国では働かない奴らがでかい顔して利益をあげる仕組みになっていることを、これを機に思い起こす必要がある。
 労働分野だけでない一連の規制緩和、会社法改正などで内部留保は増え続け株主配当や金融市場でのマネーゲームに現を抜かしている大企業がうようよいる。外から日本を見ればとても真面な国とは思えないだろう。
 オ金儲ケハ悪イコトデスカ、村上の言葉が聞こえる。
(2015.11.8)

<みうらのま> 「英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる」(施 光恒)

 本家、事務局の大島さんから、この本を紹介された。
 漠然と嫌悪感を感じていた「英語崇拝」の風潮と、明確に危機感を感じている「新自由主義」の増殖、両者の関係が構造的・歴史的に、ジグソーパズルのピースがピタリとはまり、雲が晴れたような気分。この場を借りて、大島さんにお礼申し上げます。

 欧州の近代化をもたらしたのが、言語の統一化ではなく、その正反対の(当時、知識や教養を独占していた)ラテン語の各国語への翻訳である、という指摘は私にとってコペルニクス的転換。フィリピンやインドが英語によって国民が分断され効率的に植民化されたこと、日本は翻訳作業の国民的努力により現地語を(近代の教養を語りうる)国語にまで高めたことで近代化や経済成長を成し得たこと、延いては日本人のノーベル賞受賞者が多いことまで、スッキリと理解できて「眼から鱗が落ちる」どころか「俺の眼て節穴だった?」と自分の迂闊さに少し驚くほど。

 近代的なことを語れない「現地語」しか持たない民族は奴隷化され、語りうる「国語」にまで高めることに成功した日本は植民地化を逃れたという解釈に湧きだす、先人の英知への敬意、努力への感謝、三木谷浩史氏が総督気取りの呑気なお猿さんにも見えてくる。

 私がバブルの前後、十数年を北千住で過ごし、今も毎月、浅草に泊まりがけで遊びに行くのは、江戸弁の香り残る下町言葉が聞きたいからでもある。
 どんな方言にもあるように、江戸弁でしか言い表せない「感じ」がある。江戸弁が標準語に進化する近代化の過程で切り捨てられた多くの「感じ」は、現地語が国語に進化するための代償だったのではないか。落語は江戸弁の鎮魂歌なのではないかしらん。

 コペルニクス的転換を果たした私の脳には、現政権の唱える「地方創生」が、言語を含む地方の標準化、中央化、東京化、植民地化に過ぎず、新幹線の駅前みたいな、のっぺらぼうに思えて仕方がない。これでは生贄になった江戸弁が報われない。
 ひとたび、日本語が近代の教養や現代のビジネスを語りうる国語にまで成長したのであれば、そこからは日本中の方言がそれを上手に取り入れることで、個性を殺すことなく、現代社会に適応して、生き延びられるはず。

 そいつが死んだ江戸弁への供養てもんじゃぁねーのかい、んぁ?、はとバスの客相手に寄席でやってる江戸弁なんざ、生臭坊主の説教だ、あんなんぢゃ仏さん浮かばれやしねーやぃ、どーでぇ、そのへん、ちょいと、ご隠居にも聞いてみよーじゃねえか。
 いや、まったくだね、くまさんや。生きた方言で現代を思考し、語ることができればですよ、きっと井上ひさし先生の「吉里吉里人」みたいな町や村が、あっちこっちに生まれるはずだ。そりゃ、あんまり荒っぽくちゃぁいけませんよ、荒っぽいのは。それでも、こりゃ、その、目出度いことなんじゃないかと、あたしは思いますがねえ・・・、おお、だいぶ冷えてきましたよ。ま、一杯やって、お行きなさいな、、
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