「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 怒れる民主主義    NO.95

 こんなに密集したデモは何年ぶりだったろう。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」主催の国会前行動のことだ。余りの参加者の多さに警察当局は道路を開放した。それでもすし詰め状態で苦しい目にあったのだが、発表参加者数が12万でも30万でも構わない。兎に角、巨大なうねりとなって国民がシンゾウ・ノーの声をあげたことは事実だ。
 盛り上がる安保法制反対の動きに権力の側は神経を尖らし反応する。あれは一部で多くの国民(サイレントマジョリティー)は政府を支持している、(国会での紋切り型の答弁で不信が拡大しているのに)丁寧に説明しているので理解は広がっている、デモはテロ行為だ、など全く批判の声に耳を傾けようとしない。60年安保の時にも激しい抗議行動に対して、野球観戦に集まる国民を例に出して多くの声なき声は政府を支持していると、シンゾウの爺様岸信介が言ったというが当時と状況は全く変わらない。要は民主主義など実践されていないのだ。
 安倍内閣の右傾化路線をしっかりと補完する公明党だが、その母体の創価学会内部でやっと安保法制反対の行動が表面化している。教祖牧口常三郎や戸田城聖が戦時中獄中で迫害された歴史を持つ学会が、戦争を嫌い現世利得を旗印に勢力を伸ばし隆盛を極めたことは知られている。だのに長い自公政権下で権力の甘い蜜に溺れ創業時理念さえも忘れているのだから当然だ。その動きは歓迎したい。国会前にも彼らの行動があった。
 ここではっきりしたのは無関心層を頼りにシンゾウは政治をすすめているし、誰にでもどんな方針にでも付いて行く主体性のない国民こそが彼らの理想だということが傍証された。奴隷でない小生は断固拒否する。
(2015.8.31)


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<田吾作の声> 戦の前に滅ぼうとしている日本  NO.94

 大阪で男女二人の中学一年生が殺害された。メディアは例によって大騒ぎだ。だが亡くなった二人には気の毒だが正直言って同情する気持にはなれない。
 半年前までは小学生だった「子供」が泊まりで出かける行為をしたことが第一に不思議に感じた点だ。ところがこのような初歩的な疑問が取り上げられないことが更に不思議な点だ。外泊行為が今の彼らの時代では普通のことで珍しいことではないとしか理解できない。花を手向け涙を流す同級生たちの心が知りたい、「私が外泊した時には事件にならなかったのに可哀そう」と言っているのか。
 更に不思議なのは両親のことが全く出てこないことだ。従来の報道では必死に安否確認に走り回り泣き崩れる親の姿を強調する筈だから、両家とも何かある種の問題を抱えているんだと推測は出来る。
 義務教育期間である未成年者に対しての社会の関わり自体が低下していることは日頃感じている。わが街でも教育委員会がカラスの歌のメロディーを流しながら子供たちの無事の帰宅を促し地域住民にも関心を促す声が毎日夕方5時には流れている。しかし学生に下手に声をかけると不信の目で見られ警戒されることも住民は承知している。要は家族も地域も崩れた社会に絵に描いたような建前だけがむなしく残滓をとどめているのが現実ではないのか。
 ここまで来たのかという実感が脳裏から離れない。要因は様々挙げることはできるだろう。家族の繋がりを分断する住宅制度、社会性を捨象した自由教育、全ての価値の上位にカネを置く風潮、哲学を捨て中身の無い学歴至上主義の席捲、挙げればきりがない。
 格差がすすみ戦の匂いがする現在、こんな国のどこが美しいのか総理シンゾウよ教えて呉れ。
(2015.8.23)

<みうらのま> 火消しキャンペーン(下村博文文科相の場合)

 国立競技場の白紙撤回、辺野古の作業1カ月中断、岩手知事選の自民候補取りやめ、そして大山鳴動し鼠一匹の戦後70年談話。こんなふうに、たまには米国債ばかりでなく、国民の歓心を大量購入して頂きたい。
 もちろん、すべては安保法案のためだけれども、品性と政策は別だし、これからの時代、毒饅頭なら除染して食すくらいのシタタカサが国民には必要なんだろう。

 博友会献金問題、新国立競技場問題などで不死身ぶりを発揮している下村博文文科相が、抜け目無くこのキャンペーンに便乗、反響を呼んだ「大学に文系は要らない」大臣通達の消火作業に励んでいる。
 政府広告に真偽を求めても不毛なので詳細は以下のリンクを参照して頂くとして、ここでは論点を逸らすため唐突に持ちだされてきた「ゆとり教育」について述べたい。理由は、本件が確かに国民が意識を共有する問題であると同時に、発案された二〇年前も、反省が叫ばれる最近も、俎上に上がる度、必ず国民がミス・リードされてしまうアイテムだからだ。

> 日本は90年代に情報化社会に移ったわけで、その意味でゆとり教育は時代コンセプトには合っていたんです。しかし、そのためのカリキュラムが現場任せだったため、1~2割の教師は対応できたが、残りの8~9割は子供たちを図書館に連れていって百科事典を書き写させるような「ゆるみ教育」になった。いわば、教育界における“失われた20年”です。

 すっとぼけんじゃねーよ、と言いたい。
 学校での拘束時間が減れば、貧困層の子供はゲームに没頭し、富裕層の子供は学習に没頭することくらいは、誰でも予見できたはず。
 もちろん、なにごとにも例外はあるわけで、わずかな教育投資で苦学して東大に合格した子供もいたはずだ。しかし、問題はその逆の例外にある。
 日本の教育機関への公的支出がOECD加盟国中最下位、なかでも大学教育の家庭負担が突出していながら奨学金(ローン)がトホホのホーなのは偶然だろうか。
 「逆の例外」として私が指摘したいのは、適正な資質を持たない者が集中的教育投資により国家のアドミニストレータに就いてしまうケースだ。トンボを捕まえたことも無く、ひたすら親に忠実だった子供が、やがて国民を管理することになる。夏休みを試験勉強に捧げる傍らで、海山川、異性交友、ネット・ゲームに興じていた一般国民に対して、彼らは蔑むだけでなく、心の奥に憎悪を宿してはいないだろうか。

 「失われた二〇年」は「理念は正しかったけど、手続きがまずかったね」で済む話ではない。まもなく彼らは、霞ヶ関や永田町の中堅として、国家を支えることになるのだ。


参考:
文部科学省の有識者会議資料
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdf
英文学部 経済・経営学部法学部工学部
 → シェイクスピア、文学概論 ではなく、 観光業で必要となる英語、
経済・経営学部
 → マイケルポーター、戦略論ではなく、 簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方
法学部
 → 憲法、刑法 ではなく、 道路交通法、大型第二種免許・大型特殊第二種免許の取得

火消しキャンペーン
http://sys.diamond.jp/r/c.do?1sTT_33cK_KJ_vow
http://diamond.jp/articles/-/76705/

<田吾作の声> 逆臣の系譜    NO.93

 戦後70年の安倍談話は世間的には注目されたが事前のシンゾウの動揺を知れば予想される内容だった。過去の歴史の事実を取り上げそれに対する戦後の歴代内閣の談話を取り出し、侵略や植民地支配に反省しているようなポーズをとっている。借り物だから幾らでも心にも無い言葉は羅列できる。飽く迄もシンゾウ個人とは無縁の文章だから聞く者の心を打つことはない。今となれば何のために出したのだとの疑念さえ沸く。
 だらだらと意味の無い言葉を続けることで長文化し体裁だけを整えているが、油断は出来ない。戦後の平和主義を否定する審議中の安保法制の根本である「積極的平和主義」を談話の結びに掲げ「これまで以上に(世界平和と繁栄に)貢献」すると盛り込んでいるからだ。かくして前文に言う「力の行使で国の針路を誤った」とか「歴代内閣の立場は揺るぎない」という内容を否定し反省もお詫びもチャラにしている。
 第二次安倍内閣の政治の危険性が単に中韓だけでなく欧米に於いて広がり、国内でも余りの独裁的なやり方に民主主義と平和が脅かされるとの危機意識がやっと拡がってきた。それは各種世論調査が裏付けていて低下する内閣支持率に恐怖するシンゾウが、毒も食わらばの心境で批判的意見を丸呑みし煙に巻こうとしたのが今回の談話劇の背景だ。
 翌15日の全国戦没者追悼式で天皇は「反省」の言葉を述べたが、内外とも好意的に受け取られている。シンゾウとの違いは心底思っているかの違いによるものだ。シンゾウの尊敬する岸信介が石橋内閣の閣僚名簿に載っているのを見つけた昭和天皇が「これ大丈夫か」と発言したことは有名なエピソードだが、今の天皇もシンゾウには「大丈夫か」という心境だろう。
(2015.8.17)

<特別寄稿>のまとめ

国会の会期延長に触発されて募らせて頂きましたご寄稿、
これまで八点お寄せいただきました。誠にありがとうございました!
ここのところ落ち着いておりますので、一覧にまとめてみました。
未読の方は、ぜひ!(^^)

引き続きご寄稿募集しております。
どうぞ宜しくお願い致します!m(_ _)m
anndue


【聞いて呆れた「看過できぬ」】
たかが一人、されど一人 様

【会期延長について】
rappor 様

【対話】
大豆麦 様

【平和で安全な世界を構築するために】
桂 秀光 様

【安保関連法案をめぐる国際金融資本との戦いと政局への影響】
海治 広太郎 様

【政治家の野心、野望、驕る政治を阻止しなければ】
lily 様

【世界が100人の村だったら。 ―「資本論」超入門 +信用創造ちょいたし】
矢島俊一(shn)様

【集団的自衛権の議論は国民投票で結着を】
黒猫 様

※ご寄稿いただいた順です。

<田吾作の声> ナガサキの希望の鐘  NO.92

 広島に続いて長崎で平和式典が行われた。平和宣言の中で田上市長は安保法制にも触れ平和の理念が揺らいでいると危機感を露わにした。この姿勢にナガサキの気持が表れていると共感した。今そこにある戦争への危険性を手繰り寄せるシンゾウの政策に、明確にノーと言うことが被爆者への連帯になるし反戦争の決意に通ずる。地球上唯一の被爆国という枕詞が使われるが、今や長崎こそその資格があると痛感する。
 原発再稼働推進でプルトニウムため込みに熱心なシンゾウには核兵器を無くそうという意思はない。その彼が広島では触れなかった非核3原則に触れたのだからとんだお笑い草だ。憲法違反の安保法案を解釈変更で成立させようとする無法者の言葉を信じる者は、今の日本では思考停止のウヨクと学会幹部だけだろう。シンゾウは武器輸出3原則を輸出自由に改悪し、民主主義の価値観を持つ日本と言いながらマスコミを服従させ政府批判を許さない。国民の生活を守ると言いながら一生低下層生活を強いる派遣法を改悪し、国益を守るといいながらTPPでアメリカに次々と市場開放を続ける、などなど次々に誤った政治を行っている。有名になった「丁寧に説明」という言葉だが説明能力がないからオウムのように同じ言葉を繰り返すだけに過ぎないし、彼の舌足らず口調が輪にかけて説明を分かりにくくしている。
 田上市長は市職員の出身であり被爆地の首長として憲法の精神に忠実に職務を努めている。一方国政のトップであるシンゾウは自ら憲法を踏みにじっているのだから、今の日本国が如何に歪でねじ曲がっているかを象徴している。長崎は兵器輸出に張り切っている三菱重工を膝元に抱えていて大変だが頑張って欲しい。
(2015.8.11)

<田吾作の声> 風化するヒロシマ    NO.91

 被曝70周年、ヒロシマの平和式典が開かれた。現役時代は毎年8月6日の式典に参加し、前日は被曝体験者を迎えた学習会を開き、翌日は祝島に移動して現地の上関原発反対の皆さんと交流した。引退後はこのサイクルが崩れテレビの前で黙祷を捧げるだけになった。風の便りだと祝島への激励交流は途絶えているという。文字通り3・11を経験した今こそ反原発行動が必要なのに、運動の風化の速度は速い。原発と核兵器は別物だとするアメリカの戦略にのせられた誤りを覚醒させたフクシマだったのに、いつのまに以前に戻ったようだ。だからアメリカも式典に参加するようになったし、問題を見失った考えが安保法制に触れない平和宣言にも反映している。秋葉市長当時のフクシマを教訓化した宣言とは雲泥の差がある。逆に現実と本質に触れない抽象的な平和や戦争反対の言葉が無力に響く。アメリカ代表や総理シンゾウの映像を見るとセレモニーが喜劇じみて見えたのは小生だけだろうか。
 総評末期の富塚事務局長当時、大規模な反核行動を呼びかけたことがあった。全国から大挙して広島に集まり気勢をあげたものだが、会場の横にあった東洋一という規模の団地を見上げて団地住民の決起集会を開いた方が人数も多いのにと思った。参加者は出身地で最大規模の集会を行うことで全国行動としては盛り上がるのではと感じたのだ。広島に代表団を送って終りでなくヒロシマやナガサキを共有するには日常生活の場での行動こそが重要だとの意を強くした。何とか実現に向け考えていきたい。
 個人的にはヒロシマの赤い夾竹桃の花は忘れられないが今年も咲き誇っているだろう。人と違い樹木は風化して生きるなど器用なことなど出来はしない。
                         (2015.8.7)

<田吾作の声> ならず者イスラエルに鉄槌を     NO.90

 パレスチナでユダヤ人入植者による残虐行為で1歳余の子供を含む家族4人が死傷し、家は火炎瓶で焼失したという。惨いことでありニュースで知った時は絶句した。本来はパレスチナ領土でありながらイスラエル政府の政策によりユダヤ人が続々入植し、その入植者による在来パレスチナ人を追い出そうという蛮行が連日のように起きている。事件が起きた西岸地区はパレスチナ自治政府があるもののイスラエルは無視し容赦のない暴力を繰り返している。
 ファシストであるネタ二ヤフ首相は犯人が誰だろうと断固たる措置をとると表明しているが信じる者は誰もいない。それは彼らの最大の後見人であるアメリカの妨害を押し切って今年パレスチナが国際刑事裁判所(ICC)への加盟を遂げたことで、この問題が犯罪として国際的司法の場で裁かれることが間違いないため形だけの恭順の意を示しているに過ぎないからだ。彼らがパレスチナ人を人として見做していないことは罪のないパレスチナ人をイスラエルの警官、兵士、入植者、右翼が銃で撃ち殺しても、せいぜい禁固刑が最高で殆ど犯人が放免されている歴史が教えている。
 1年前の昨年7月にイスラエルによるガザ空爆と地上侵攻が始まった「ディフェンシブ・エッジ」(ふざけた作戦名だ)でガザ市民180万人が地獄の苦しみに陥れられた。パレスチナ人の死者2,010人以上、負傷者11,000人以上、50万人が避難を余儀なくされ、11万人が家屋を破壊された。イスラエル人の死者は72人。マスコミは戦争/紛争等と報道するが、保持する兵器の能力差は比較のレベルではない。一方的にパレスチナ人が痛めつけられただけの殺戮行為に過ぎないからだ。正義はあるのかICCの行方に注目したい。
(2015.8.4)

<みうらのま> 刑事訴訟法改悪一括法案

 国会で審議中の刑訴法改正に反対するため「盗聴・密告・冤罪NO! 院内集会Ⅱ」に参加してきた。安保法制に隠れがちだけど、こちらも劣らず、かなりヤバイんじゃないかと。
 安倍政権のヤバさは、個別的に追求しても屁理屈ばかりで時間の無駄になる。樹木医ではない私達シロウトは、樹を見ず森を見た方が理解し易い。
 防衛庁(を省に)格上げ、原発再稼働、TPP爆進、国家安全保障会議、秘密保護法、(背広組と制服組を対等にする)改正防衛省設置法、武器輸出解禁、オスプレイ配備、教育改革、派遣法改正、国立大学への国歌斉唱の要請・・・、数え始めたらきりがないほどの危険がいっぱいの広大な森。これが1枚の絵として見えなければ離人症の診断を受けた方がいい。
 そして平野翁が問題を指摘する流行りの「一括法案」で提出された刑事訴訟法改正案も、間違いなく、この森の巨木の一本になるはずた。

 フロッピー前田の「郵便不正事件」の前後に、氷見事件、志布志事件、足利事件、布川事件、他にも痴漢事件など、冤罪の総合商社と化した検察による「取り調べや調書に過度に依存した捜査・公判のあり方の見直しと取り調べの録音・録画の導入など」を検討するため、民主党政権時代(江田五月法務大臣)に設置された法制審議会による、驚きと脱力の「改正案」。以下がその問題のポイント。

・盗聴法拡大
 これまで4種類に限定されていた対象犯罪に、ドカっと9種類が追加されて、「盗聴の歯止め」と説明されてきた「民間人の立ち会い」は不要になるそうだ。こんなのが一括法案の「一部」として、すんなり通るのなら、十数年前の盗聴法成立の大騒ぎは、なんだったのさ、て話。

・司法取引
 他人の犯罪をしゃべれば自分の犯罪が軽くなる特典がつくそうだ。画期的過ぎて、鳥肌たっちゃう。だって、美濃加茂市の冤罪事件みたいな闇司法取引も合法化されちゃうてんだから、考えるまでもなく冤罪の温床になりそうなシステムでしょ。ニュースでは枕詞のように「米国などで取り入れられている」て説明されるのを何度も聞いたけれど、案の定、その米国では、死刑冤罪事件の45.9%が、司法取引による誤った証言が根拠になっていたそうです、て話。

・取調べ「一部」可視化
 取調べ「完全」可視化は改正案の目玉になっていた印象だけれど、結果は「一部」可視化。検察が製作総指揮を手掛ける録音・録画が、冤罪「防止」ではなく「推進」に繋がることは子供でも分かる。しかも、対象となる犯罪は全体の3~5%て消費税かよ、て話。

 ほかにも、証拠開示や人質司法など指摘された問題はあるのだけれど、この脱力の「改正案」に対して、審議会のメンバー(郵便不正「冤罪」事件の被害者)である村木厚子さんが「僅かでも前進できた」と評価している所が、審議会の闇の深さを物語っている。
 加えて、当の(郵便不正「冤罪」事件の加害者である)フロッピー前田がこの法案に「「取り調べの全面可視化、証拠の全面開示が進まなければ冤罪が生まれたり、捜査が真相から遠ざかっていく危険がある」と警告しているのは、官僚の業の深さを物語っている。
 ついでに、日弁連の会長がこんな法案を「改革が一歩前進したことを評価し、改正法案が速やかに成立することを強く希望」している所は、日弁連のムジナ体質を物語っている。ちなみに下部組織である全国52の弁護士会のうち22の会が反対声明を出しており、こんなことは異例で「非常に勇気のある行為」なのだそうです。

 正直言って私には、なぜこの法案で(改正の契機となった)フロッピー前田の証拠改ざんの再発防止になるのか、さっぱりわからない。
 たとえば、闇司法取引の歯止めとして、虚偽供述への罰則も盛りまれたというけど、村木厚子さんの事件では、検察側証人が次々に取り調べ段階の証言を翻したわけで、こんな「歯止め」があったら、村木さんは間違いなく敗訴していた。
 「焼け太り」というなら、どこかに焼跡がありそうなものだけれど、改正案からは髪の毛の一本も燃えた形跡が見られないのが、もどかしい。努力した村木さんには悪いけど、こんなのが成立しちゃったら、「一歩前進」どころか、数年後には「一〇〇歩後退でした」てなる悪い予感しかしない。

 何でそんなことになっちゃうのか?審議会のメンバーである映画(「それでもボクはやってない」の)監督、周防 正行さんが著書でこの様子を正直に伝えている。これを読んだので、私は一般市民の代表として審議会に参加した人たちを責める気にはなれない。霞ヶ関の卑劣な人格と手法の数々が具体的に記述してあるにも関らず、義憤や怒りよりも、瞑目し「ナムアミダブツ」と唱えたくなるような、読後感。
 同書から、審議会全体を象徴するような部分を引用して終わります。

 郵政不正事件をきっかけとして設けられた「検察の在り方検討会議」の提言を受けての会議なのだから、当然「捜査機関の不正」や「誤判・えん罪」をどう防ぐかにフォーカスすべきものであったはずだ。しかし、会議は「誤判・えん罪を起さないための刑事司法特別部会」ではなかった。「新時代の刑事司法制度特別部会」という名称は、明らかに焦点をぼかすネーミングだ。それが法務省の思惑だったのだろう。
 (
「それでもボクは会議で闘う――ドキュメント刑事司法改革」より)


おしまい。
プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
<特別寄稿を募集致します>
当出張所では、安保法案成立に伴い「平時はブログを開設するほどではないけれど、今回だけは黙っていられない」というあなた様の原稿を
tama.nipponissin@gmail.com にてお待ちしています。報酬はございませんが、必ず(明白な悪意や公序良俗に反する場合を除き)掲載させて頂きます。よろしくお願いします。

田吾作、みうら、anndue

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