「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 初代総理はテロリスト出身だったが   NO.75

 大河ドラマ『花燃ゆ』は安政の大獄という一つの山場を迎えている。吉田松陰が直接行動(即ち要人暗殺)を促すなど緊迫した場面が続く。ドラマを見ていくと頑迷固陋な筈の幕府が開国に積極的で、薩長が(中でも下級藩士)攘夷を唱え開国を迫る英米などを武力で追い返せと主張するなど完全な守旧派であったことが解ってくる。薩長中心の明治政府は自らを正当化する歴史を捏造したことが今や明確な事実となっている。討幕のための方便となった「尊王攘夷」だが、彼らは真意を理解しない攘夷至上主義の孝明天皇が邪魔となり暗殺したことで開国への障害を一掃した。だのに江戸制圧後、東北各藩に戦争を仕掛けたのは、彼らにとっての「正史」を書くためには必要不可欠だったし、旧支配層(大名・名門士族)を徹底的に追い落とし自らが支配層へ成り上がる必須の条件だった。維新の元勲も要人も今でいうテロリストだった。

出自がどうであろうと代を重ねると名門となる。かっての足軽や下級士族出身者が地方の有力者や名士として政治を支配してきたのが自民党長期政権の基盤となってきた。それが辛うじて維持できているのが現在の状況である。昔のように有権者比率で過半数を超えるような支持は望むべくもなく、低投票率という民主主義の形骸化現象によって議席や政権を維持できているに過ぎない。

問題なのは現状を根源的な変えるような考えが出てこず、どの政党も物分かりの良い現状手直し型の考えしか出てこないのだから国民の胸には伝わらず、経済的にも心理的にも大きく閉塞感が漂う中で不満は高まるばかりだ。打開の突破口として明治維新、第二次大戦など通説に惑わされない再認識が必要不可欠だと思う。

(2015.4.30)

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<みうらのま> 夢見るナンバー2社会

 「歴史なんて、勝者が好きに書き換えてきたもの、こだわらずに現在(いま)を生きようぜぃ」という思い上がりが小学校の頃から私を歴史の勉強から遠ざけてきた。
 しかし、現在(いま)のあり方に疑問を感じたら、過去から学ぶより他はない。昨年、自由民権運動発祥の地である土佐を訪ねて以来、その思いが強くなった。
 いい歳こいてから歴史を学ぼうとすれば、興味の対象も自ずから小学校の教科書とは異なるようで、ヒストリーチャンネルで再放映された「THE ナンバー2 ~歴史を動かした陰の主役たち~」が面白かった。以来、「ナンバー2」が気になっている。

 思い返せば、70年代後半、中学二年生の日曜日、NHKでローリング・ストーンズのライブを見て、ミックよりキースのほうがカッコイイと感じたし、大学生になって「じゃがたら」を追い掛けている頃も、視線はボーカルのアケミよりベースのナベちゃんを追うことが多かった気がする。
 漫画であれば「男一匹ガキ大将」の銀次が、「ワン・ピース」のゾロが魅力的だし、そうだ、「アイアンキング」が好きだったのは、主役となるのが変身するヒーロー役の浜田光夫ではなく、その相棒役の石橋正次という新規性からだったかも。
 などと自己分析するに、自分は生来の「ナンバー2好き」なのかもしれない。
 私的で恐縮、ここから本題です。

 多摩出張所の総本山代表、平野貞夫氏は「小沢一郎の知恵袋」という紹介のされ方をする。事実、平野氏が主宰する会には小沢氏の熱狂的支持者が多いのだけれど、私個人は人間としての小沢氏に対して、あまり感心がない。もちろん、陸山会事件という国家による人物破壊に関しては深く憂慮しているし、年齢に対してあまりに過大な期待を背負わされている状態にも同情している。けれども、平野氏が頻繁に絶賛するほどの慧眼を小沢氏の公的な発言のなかに見出したことはあまりなく、何度かはあったとしても、私が平野氏に感じているソレには遠く及ばない。(自分の不明を棚上げしている自覚はありますので勘弁を、anndue様)

 それほど敬愛する平野氏の奥様が先日、急逝された。その人物像には密かに興味を抱いていたのだけれど、あまり語られることのなかった奥様のことが聞こえてくるにつれ、ナンバー2の後ろには、やはりそこにもナンバー2がいるんだ、ということを思い知らされた。

 ナンバー2としての能力も無ければ、お仕えするナンバー1も居ない、「ナンバー2オタク(?)」でしかない我が身だけれど、平野氏の不幸から学び、「誰もが誰かのナンバー2である関係の総体としての社会」なんていうのを夢想するようになった。
 今度、デモに参加する時は「デモの理念がナンバー1、自分はそれを支えるナンバー2」と思って出掛けてみよう。
 ところで、代議士の先生方は「自分が国民のナンバー2」ていう意識、あるのかしらん。

<田吾作の声> 政治も経済も世界は荒れ模様    NO.74

立ち止まって考えたら世界中が問題だらけだ。

20世紀後半に米ソ冷戦が終わり平和の時代が始まると誰しもが思ったのに、熱い本物の戦火が絶えない時代に突入している。道具である武器は大量にしかも安価に出回っているので、きっかけさえあれば簡単に点火する。温暖化で火事が頻発するのと原理は同じで、戦火の誘発は貧困・不平等の進行ということになる。実証的理論的にはピケティが証明した。最近のイスラム国による戦火の拡大もその流れで大筋は解釈できる。

荒れ模様の原因は、旧来のベルリンの壁崩壊以降アメリカに生まれた唯一の盟主であるとの自負心にあるようだ。だからGDPで世界2位になりやがて10年を待たずして1位になると予測されている中国を敢えて封じ込めようとする戦略が、緊張を拡げ悪天候の要因となっている。その経済的な手段がTPPであることは天下周知の事実となった。

TPP交渉自体は最終合意を前に日米の駆け引きが延々と続いているが、自動車とコメが焦点であるかのような報道があるものの、本質的狙いが中国を締め出しアメリカ中心の経済ブロックを作るということは明確になっている。合意しても中国に打撃を与えることは出来ないし、寧ろアメリカ本位のTPPを敬遠する動きがその後表面化するかもしれない。その兆候はAIIB設立に大挙して参加したASEAN諸国の動きが予測させる。

アメリカのウクライナ問題を契機としたロシアへの経済封鎖に同調したことで、安倍内閣は北方領土返還という外交的な成果をあげる道を自ら閉ざしたし、沖縄基地の恒久化の動きは近隣諸国の警戒心を強め独自外交を築くことさえ困難となることは目に見えている。

乱を好むシンゾウが怖い。

(2015.4.26)

<田吾作の声> 数字はウソをつく   NO.73

 経産省が、原発の事故確率を低くするという記事を見た。その理由を原子力規制委の新規制基準が厳しくなるから事故発生確率が下がるためとしている。カス官房長官などは事ある度に「世界一厳しい基準」などと述べているが、生産から廃炉まで多くの過程で不確実性が高い原発は今だに未知の領域である。科学的裏付けもないのに「安全だ」と連呼し虚構の上塗りを重ねた結果が3・11につながったことへの反省は全くない。要は事故に備えた対策費の圧縮にあることは見え見えだ。具体的には40年間に一回の事故発生確率を倍の80年にするという。
 こうした数字の変更を「費用削減のため」という露骨な言葉では説得力がないので、数字専門のスペシャリストが登場して統計や確率論を駆使し変更の根拠を客観性を装い補足する。アクチュアリーと呼ばれ保険計理士と訳されているようだ。このアクチュアリーには小生は苦い思い出がある。JRやNTTなどの共済年金が厚生年金に移行する構想を打ち出した時、関係した農林年金は長期的な職員数の削減計画を出していて素人が考えても単独の公的年金としては存続できないと思えた。そのためJRなどと一緒に統合すべきと主張した時に登場したのが数理の専門家という訳だ。数字を操り煙に巻くような説明で「農林年金はやっていけます」とごまかされたことを思い出す。ところがJRなどが厚生年金へ統合した途端に、組織のトップが「農林年金は単独では維持できそうもない。厚年との統合に協力してくれ」と姿勢を転換し要請に訪れたのだ。その年金統合劇は様々なエピソードがあるがここでは触れない。
 要は権力者は数字さえ牽強付会に変えることを忘れてはならないことを学んだ。
(2015.4.19)

<田吾作の声> 英明なドイツ、暗愚な日本     NO.72

 福井地裁による関電高浜原発3,4号機の再稼働は認められないとする仮処分が下された。権力の玄関番である司法への信頼感が我が胸の内で高まるのが抑えきれない。ニュースで見る「司法はやっぱり生きていた!!」という幕を掲げる原告住民の歓びの顔がいい。決定内容は反原発の意向が正しく反映された納得いくもので、住民の人格権が侵害されると主権在民や基本的人権を踏まえた素晴らしいものだ。
 ところが、この判断に異を唱えるのが現代日本を牛耳る輩達である。当事者の関電は不服だとし異議と執行停止申立てで対抗し徹底的に闘うとしている。これまでも担当が大飯原発訴訟で差し止めを命じた樋口英明裁判官であることを知り裁判官交代を求めたり、人事異動を待って後任の裁判官に判断をさせるべく目新しさもない追加意見書を提出し裁判の長期化を狙って策動したらしい。国民に高い電気料金をまるまる負担させ原発事故の責任を全く感じない原子力村の村長らしい振る舞いである。
 財界を代表する経済同友会幹部は「裁判所の判断に相応しいテーマか」と水を差す。裁判に訴える以外に阻止する術のない状況に追い込んだ原因には触れない破廉恥さだ。原子力政策の最高権限を持つ政府もこの仮処分に対し、菅(カス)官房長官はこれまで通り「再稼働は粛々と進める」と開き直るのだから呆れる。民意や司法判断を尊重するという姿勢が皆無なのだからこの国には民主主義はないと証明しているに過ぎない。現地の沖縄が総意で辺野古基地建設に反対するのを無視するのと同じ構図だ。
 遠い極東の島国で起きた事故を深刻に受け止め脱原発政策に方針転換したドイツの英明さと比べようもない。経済界のレベルも格段に違う。
(2015.4.16)

<田吾作の声> モノ言わぬ馬鹿、モノ言えぬ馬鹿   NO.71

 元高級官僚のコメンテーター古賀茂明がテレビ朝日の報道番組で、官邸の圧力を受けた局のお陰で降板させられることになったと発言したことからマスコミ業界では大騒ぎになっている。菅官房長官は、事実無根だと否定し放送法に照らして粛々と臨みたいと脅しを忘れない。NHK以下全てのキー局、3大新聞を影響下に置いた総理シンゾウの威光は社会の隅々まで及び、彼の首に鈴を付けるものなどいない。本来は権力者の暴走をチェックするのがマスコミの役割だから、日本の方向が危ういのは当然の理と言うべきだろう。
 それにしてもキャスター古館伊知郎の狼狽した様は何だ。しきりに謝っていたが、何を誰に謝罪していたのかが理解に苦しむ。視聴者に見苦しい舞台裏を見せたことか、雇われ先のトップであるテレ朝の社長にか、ズバリ最大の権力者シンゾウにか。元来、日本人は大事なことを曖昧に表現することでけじめを付けず責任者は逃げうせ時には権力を維持してきた。広島の原爆記念碑にある「あやまちは、くりかえしません」の言葉は代表的な例かもしれない。
 古館にはかってこうした事実がある。フクシマから1年経った今回と同じ番組の特番で、原発村を批判し積極的に原発を誘致してきた地元も問題だとしながら、今後は圧力がかかっても番組が切られても追求(報道)していきたいと決意を表明したのだ。その後の報道姿勢がその通り立派であったとは小生には思えない。そこに今回の事件だ。最早相反した考えを貫ける程生易しい事態ではなくなったことを古館は身をもって体現して呉れた。
 気付いてみたら日本のマスメディアは政府の広報機関に成り下がっていた。これを大日本報道報国会とでも呼べば言いのか。
(2015.4.4)
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