「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 民主主義の敵はシンゾウ     NO.70

 沖縄が苦悩している。翁長知事が辺野古への基地移設に向けた作業停止指示を国がブレーキをかけその効力を一時的に停止し作業は続行されている。知事は停止指示を出した根拠として先の総選挙や知事選での県民の意思を挙げている。国は仲井真前知事が出した海面埋め立て許可を根拠としている。その許可そのものが前知事の選挙敗北後の残任期間に出したもので、県民の意思とは反したものであることは明らかだ。
 前々回の総選挙で当選した自民党議員や前知事も県内基地移設反対を公約に掲げていたのだが、総理シンゾウや自民党は圧力をかけ民意を曲げて移設賛成に方針転換させた。そのため彼らが揃ってその後の選挙で落選したが当然の結果である。この経過だけをとってもシンゾウには民意を聞き入れるという考えはないことが解る。沖縄県民にとっては基地負担の軽減を願ってもそれが叶う手段はないということになる。
 フクシマでは東電が住民補償をケチって守らない、原発作業員には休業補償を払わない。
勿論、国内外に恐怖と多大な影響を与えた事故そのものの責任は問われない。相変わらず放射能汚染水を太平洋に流し続けていることは放置されている。国民の生活にとって切実な問題は無視しながら、他方で権力を振りかざし抑え込むのだから始末に悪い。
 総理シンゾウは衆参両院の多数を背景に公約にもない国民生活無視の政策を次々に繰り出している。その根拠は多数決をもたらした民意だというのだから話にならない。権力主義者が民主主義を都合よく使っているだけだ。民主主義の前提は真摯な議論である筈だが彼にはそれが抜けている。
 このままだと沖縄の独立問題に発展する。国民の間での意識の分断がすすむ。
(2015.3.31)
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<田吾作の声> AIIBの衝撃   NO.69

 中国が設立を企図しているアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加国が増えている。当初慎重だった欧州諸国も続々参加を決め、主要国で残ったのは日米だけということになりそうだ。英豪も決めたからアングロサクソン諸国もこの問題では一枚岩ではなさそうだ。西欧でもない日本がアメリカにしがみ付く様は異様を通り越し滑稽だ。AIIBに対する日米の見解がいう、透明性が欠けるとか公平性に懸念があるという点は最もな気もする。但しこれは世界銀行やアジア開発銀行にも言えること。それよりも中国が言う、これまでの世銀やアジ銀が途上国の立場を踏まえていないということに応えるべきだろう。つまり投資する側である多国籍企業や先進諸国本位のあくどいやり方が問われているのだ。
 アジア諸国で連鎖的に起きたタイ、韓国などの通貨危機に際して、IMFも加えた世銀、アジ銀が、融資の条件として徹底して外国資本への市場開放を迫ったことは知られている。その結果、彼の諸国の土着産業は潰され伝統的な固有の文化まで破壊された。そう言えば総理シンゾウが地方再生を強調し、一方で古き良き伝統を守るなどと御託を並べているが、タイなどの事態はどう考えるか聞きたいものだ(TPPの思想も同根だ)。世銀やIMF、ウォール街など国際的金融支配を行うワシントンコンセンサスの意向で世界は動いてきた。それに歯向う今回のAIIBの動きは、新たな時代の幕開けにも通じるかもしれない。
 近視で視野狭窄なシンゾウは、自らの歴史修正主義に潜在的警戒感を抱くアメリカの機嫌をとれる機会だ、と逆に好機と捉えているかも知れない。何れにせよオバマが方針転換し参加を決めれば従うのだけは確実だ。
(2015.3.24)

<田吾作の声> 「しゅんとう」って何?    NO.68

 かっては労働組合が存在しているとの実感は賃上げの時期に持てた。普段は頼りない執行部にも期待し逞しく感じたことを思い出す。労組のない職場の労働者もその家族も、大手の回答を報道で聞き、やがて来るだろう自らの賃上げを夢想したことだろう。ストライキがあちこちで起き弥が上にも社会全体が春闘の季節を感じたものだ。
 トヨタが4000円、電機が3000円などという回答が報じられても大多数の人からすると他人事にしか思えないだろう。労組のない労働者にとっても同じかもしれない。かってと違い春闘相場がなくなり同じ産業界でさえバラバラな賃上げが普通になって、ただ春の時期に賃上げ要求をすることだけが春闘の名残を残すものとなった。
 組織労働者は未組織労働者や国民生活の向上を意識して闘ったが、今の組織労働者の殆どは自らの条件だけを守れればいいという考えに閉じこもっている。つまり社会性が全く欠如しているのだ。
 課題は山積みしているがこうした蛸壺に収まった彼らには取り組まねばという問題意識には程遠い。TPPや辺野古が自らの生活や生き方とどうかかわるかという想像さえ出来ない。原発への恐怖もすっかり忘れさった。
 かって労働運動の高揚に恐れた経営側は労働運動の弱体化・骨抜きに邁進した。その最も効果を上げたのが労働者間の分断である。同じ仕事、同じラインで働く者の間に身分制を導入し連帯意識を差別意識に転換させることに成功した。派遣法という人身売買業を認めたことからそれは始まった。どんなに熟練しても年収3百万円に達しない労働者に絶望感は生まれても希望は生まれない。
 今の社会全体の退行傾向が労働組合の弱体と軌を一にしているのだから、その再建は切実だ。
(2015.3.19)

<田吾作の声> 反省、だが何も変わらず      NO.67

 東日本大震災から4年目を迎えようとしているが遅々として復興がすすまないらしい。それも3・11近くになるとそうした真相が断片的に明らかになるから、日頃の「力強く被災地は前進している」ポジティブキャンペーンに慣らされている者は戸惑うばかりだ。要は基本的には何も変わっていないと言うことだろう。
 仮設住宅暮らしで不自由をかこつ人たち、被災地から離れ福島県内外での避難暮らしを強いられる人たちの数はほとんど変わらない。要は戻れないし経済的見通しが立たない人が圧倒的に多いという現実は、恒例化した憐憫の儀式で済ませていいのかという倫理上の問題をわれわれに突き付けている。
 ところが復興予算が9兆円も残っていると報じられたのだから俄かには信じがたい。逸早く支出さるべき予算だが震災直後から、霞が関の官僚が復興名目で自省の予算枠を囲っていることは公然化していた。彼らにとっては震災さえも食い物にする対象かと呆れ果てていたが、今回の食い残しはその無用な予算のなれの果てかも知れない。勿論支出済みの中身が目的外使用されていることは想像に難くない。
 復興予算案の中で陸上自衛隊の大型輸送ヘリの分も盛り込まれていることが明らかになった。論理的に考えれば、震災特需に乗じて手にした大型ヘリが自衛隊の海外派兵に使われ、無告の民の命を奪う手段に化すことになる。ヒトの不幸を逆手に手にした「武器」で新たなヒトの不幸を招くということだ。これは火事場泥棒よりもたちが悪い。
 3・11を8・15と重ねて解釈する人が少なくない。共通することは大事が起きた原因を反省しないこととごまかしの言葉で悲惨な事実を隠すことだ。平和や絆などの言葉が弄ばれる。
(2015.3.9)

<田吾作の声> 「政治とカネ」と「検察とマスゴミ」 NO.66

 安倍内閣のだらしなさは倫理的にも道義的にも底なしのようだ。木鐸の立場を放棄し国民から本気で信用されていない大新聞やテレビだが連日伝えている、「政治とカネ」の問題が酷いと。かって「政治とカネ」という言葉で政治家を抹殺まで追い込んだのも彼らだった。その意味では今は客観的に彼らの報道を見れるし、当事者である政治家たち、なかんずくシンゾウの態度を観察できる。
 第一次も含め安倍内閣での政治資金疑惑を問われた政治家の数は際立っている。シンゾウの祖父である岸信介は政治資金は安全に濾過すればいいとの「名言」を残しているが、孫の代になると疑惑報道を政治力で(要は権力)で封じるのだから悪質だ。一番のシンゾウを避けて小物ばかりを狙って報じるマスゴミがますます惨めな存在に映る。権力にとっては銀バエみたいな存在だろうがその主張は間違いではなく生き残りをかけ必死だ。最後は何名かの辞任という形で政治決着となり、マスゴミに花を持たせて日常の御用マスコミに戻らせるという筋書きが読める。この手の田舎芝居には根強い支持者が居ることがこれまでの歴史が物語っている。自公支持者はその中核だから必要な演出なのだ。
 報道の中に検察が動かないのは、事件とした村木厚子や小沢一郎が無実に終わったことがトラウマとなっているからだ、との解説もあり耳を疑った。「体制」護持のためには証拠もなくでっち上げ国策捜査を行う検察が、明確に政治資金規制法違反案件に動かないところが政治的だと何故批判しない。権力にとって最後の打ち出の小づち検察批判しないからマスゴミと蔑まれるのだ。
 無実を有罪に仕立て上げ有罪人を平然と見逃す検察はゲシュタポと何等変わらない。
(2015.3.4)

<みうらのま> 思考を再稼働させるために

 フランス紙襲撃テロ事件では「表現の自由」が支持され、紅白歌合戦では桑田佳祐の表現が謝罪を余儀なくされる。
 「TPP断固反対」を掲げて与党に返り咲いた安倍政権が「TPPは、成長戦略の主要な柱の1つだ」などと言いだしても、その変節は指摘されず、それどころか「首相 TPP日米協議 早期妥結に意欲」の見出しで、国民の念願成就のように報じるNHK。
 安倍総理の「ヤジ」は、渋谷の一般市民のデモを「左翼の人々」と呼んだように、左翼を目敵にしてきた総理の「日教組」に対する知識がネトウヨレベルであること、と、国会質問の晩に玉木代議士に仕掛けられた産経新聞を利用した「機動的報復システム」が存在すること、を明らかにした。それが「お互いに気をつけましょうね」で完結してしまう。

 あえてコトの善悪、罪の軽重は問わない。にしても「理性」てもんが感じられないんだけど、これってメディアだけの問題なのだろうか?

 川崎市の生徒殺害事件の犯人はISの処刑動画に影響を受けた可能性があるそうだ。「政治とカネ」の煙幕としての大塚家具の代打みたいなこの話題に乗るのは不本意なんだけれど、残虐性自体は、さもありなん、と思う。でも、影響を受けたのは犯人のイカれた少年だけなのか。以前(「思考がストライキに入っちゃったかも」で)書いたように、残酷動画の影響による思考停止が、邦人人質事件以来、勢いを増して、日本全体を覆っているように、私には見える。

 そこに畳み掛けるように、日本の戦後70年の実績を反故にするような法案が矢継ぎ早に法制化されつつあっても、新聞の紙幅とテレビのニュースの時間は限られているし、しかも、その内容はアンダーコントロール。これでは、国民的議論どころか、一人で考えるヒマも材料も、ありゃしない。思考停止気味にもなりますって。

 交通渋滞にハマって不快になれば、抜け道を探すのが思考の役目。同じように、ISによる恐怖の動画も、総理による矛盾だらけの発言も、感情にネガティブな影響を与える。この時、思考がネガティブな感情を解消する役目を果たせないと、前頭葉は渋滞にハマり、役立たずの思考に見切りをつけた感情は、盲目的に発露を探し暴走する。

 国民全体がこの状態に陥れば、発露の条件として求められるのは、合理性や一貫性ではなく、連帯し攻撃できること。臨界点を越えて集団的熱狂が拡大しはじめれば、もはや、思考や理性に出番はなく、思考の尻を叩いたところで、焦りが空転するばかり。

 そこでなんとか、冷温停止中の思考を再稼働させるには、感情にポジティブな刺激を与えるしかない。
 昨年の「国会の葬式」は私にとって檸檬爆弾のように痛快だった。政治的影響は大きくなくても、参加者はもちろん、新聞の片隅に記事を見つけて、「?」と感じた人にも、ユーモアが刺激する感情を通じて、思考を活性化する作用が所見されたのではないか。
 活性化した思考で「国会の葬式」の意味をより深く調べ、考えたなら、それが「シャレである」と同時に「シャレにならない現状」というメッセージも受け取ったはず。

 恐ろしいことではあるけれど、正論が正論であることに意味も価値も無くなりつつあるみたいだ。「四観三元論」で本質に迫る平野論説の政治における「正論」は海面に現れた一部分でしかないことを、日本一新の会員なら知っているはず。「正論」は水面下の巨大な知見、深遠な叡智に支えられていて、海底火山が鳴動すると、感情をポジティブに刺激する大胆なユーモアが、西之島のように出現する。
 なあんて、ちょっと期待を膨らませ過ぎかもしれないけれど、天領・日田への修学旅行、今から心待ちにしているのです。
http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-398.html

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