「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 歴史に学ぶということ  NO.61

 第二次世界大戦が終わって70周年、先日アウシュビッツで記念式典が行われた。解放の主役であるロシア(旧ソ連)が呼ばれずに開かれたのだから式典自体の政治性を表している。どんなにひいき目に見てもユダヤ人虐殺を悼むだけが前面に出ただけの普遍性を欠いたものと思わざるを得ない。
 加害の責任をドイツ大統領が述べたという。そのことは当然だし中国への敵意を強め侵略を正当化しようとする総理シンゾウには爪の垢でも煎じて飲ませたいものだ。そのドイツ国内の世論は「8割の国民が過去のユダヤ人迫害よりも現在の問題に力を注ぐべきだ」という。このことを日本と同じくドイツでも戦争責任への反発が起きていると判断するのは早計だ。ナチの被害者ユダヤ人がイスラエルとなり現在では加害者として中東で振る舞っているという不条理への批判が国民意識の根底にあると解したい。ガザ地区がゲットーと何等変わらない状態にあることは繰り返されるイスラエルの無差別殺戮でも証明されている。都合のいい二重基準を用いても説得は出来ない。ドイツ政府に求められているのはイスラエルへの厳しい批判であり、公平な姿勢だ。歴史を学ぶことの意義は現在や未来に過去の過ちを繰り返さないことだと言われるが、皮肉にも近年反ユダヤ主義が高まっているのは歴史を半面しか学ばない結果でもある。
 目を転じて日本はどうか、今だもって加害責任を問うことさえタブー化しているのだから論評の価値もない。その結果が最も近隣国である中国・韓国との現在の国交断絶状態だ。同盟国だった独伊のように被侵略諸国と大戦終結式典を開けない日本は、歴史を全面的に学ばない国として確固たる地位を占めている。恥ずかしい。
(2015.1.30)
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<田吾作の声> 傲慢な西欧的価値観の押し付け      NO.60

 欧米諸国の反イスラムの動きが拡大している。フランス政府はイスラム国攻撃を本格化し空母を派遣することを決めたし、ベルギーではテロ行為を準備していたとして警察権力がイスラム教徒を捜索し銃殺した。ドイツなどではイスラム教徒の国外排除を求めた大規模な集会が開かれている。キリスト教徒とイスラム教徒間の宗教戦争の様相を呈している。歴史的にはキリスト教徒が「聖地」奪還を目指して幾度となく遠征を企てた十字軍の時代を髣髴させる。
 パリでの週刊紙襲撃事件の発端は預言者ムハンマドへの風刺画掲載だったが、その掲載紙シャルリエブドが表現の自由を守るとしまたもやムハンマド風刺を行ったことで、今度はイスラム教徒側の怒りに火をつけた。それもアフリカやアジアなど中東諸国以外への広がりが特徴である。例えばチェチェン共和国のデモには80万人以上が参加したと報じられているが同国の人口が120万人であることを考慮すれば怒りの度合いが判るというものだ。これは事件の意味が深刻なテロの背景にあることを浮き出させている。テロの恐怖だけに抗議するというパリのデモとの決定的な違いだ。
 イスラムもキリスト教も共に一神教で似たような性格を持つ宗教だが大きな違いの一つに偶像崇拝があり、イスラムでは徹底して嫌うしましてや大量に偶像を印刷しまき散らすなど考えられない行為になる。しかも対象が預言者だからイスラム教徒の反発心が増大するのは当然である。
 このことを知ろうとしないフランスは表現の自由は基本的価値だとの姿勢を貫こうとする。相手の文化領域にまで踏み込みながら自らの価値観を押し付け正当化する行為が問題なのだ。多様な価値観かどうか西欧が決める資格はない。
(2015.1.20)

<田吾作の声> パリの憂鬱    NO.59

 パリの週刊紙銃撃事件は痛ましい。世界的に衝撃が走りNHKでも事件にまつわる報道が続く。中身を見るとワンパターンの構成で、イスラム過激派の脅威を繰り返し印象付ける、文明に対する挑戦だとの論評を加える、世界中で彼らへの抗議が高まっていると伝える、犯人は本来のイスラム教徒でない、といった流れだ。
 暴力への抗議は当然だし根絶を願うのは道理である。パリでの犠牲者追悼デモだけでも100万人以上が参加したという。イスラム教徒への取り締まりは強まり中東諸国への偏見と差別は進むだろうが、世論はそれも仕方がないと是認することも間違いないだろう。だが力で抑え込むやり方は人種や宗教に偏見を持つ強硬派には満足感を与えても効果はない。問題は小手先の対処法は根本的な解決には程遠く、同種の事件が再発しエスカレートするだけだと分析する必要がある。
 結果には原因がある。イスラム教徒と中東地域を今日のように分断したのは欧米の帝国主義の侵略行為と政治的妥協によってであった。当事者である中東のイスラム教徒の意向は汲まれずあまつさえ異教徒であるユダヤ教徒の国イスラエルが人工的に作られて追われたのが事の発端である。この歴史的行為を抜きにした根本的解決などないのは常識である。国を奪われ、資源を盗まれた中東の民がやむを得ず移り住む欧米諸国での差別扱いは酷いし、おまけに価値観の異なる欧米流の民主主義を押し付けるとくるから矛盾と憤怒がテロなどの行為に走るのも論理的帰結に過ぎない。
 今日の食料もままならず、異国の地でテント暮らしの生活を送る多くの無告の民にとっては、この事件さえ無関心事に属するだろう。
 常識を無視した欧米の歴史観が問われている。
(2015.1.13)

<みうらのま> 一郎と太郎の夢、みたろう

 とうに松の内も明けたってのに、いまだ正月気分で、こんな初夢をみています。
 年末に騒がれた、山本太郎氏の生活の党への入党のこと、です。

 まず、衆院選の覚え書きと重複しますが、私は小選挙区制のオセロ性を批判する意見に与しません。けれども、いまだ二大政党の夢を見ている、というわけでもありません。日本での二大政党の夢は、2009年に実現し(未だ消化し切れない多くの教訓を残しながらも)歴史的使命を終えた、という認識です。
 そして当面は「一強 vs 多弱連合」という形のバランスが継続する、と予想します。

 で、初夢です。

 政治家と国民の関係のパラダイム・チェンジ
 多弱が「多強」となるためには、「連携」するしかないわけですが、この「連携」という現実的妥協を党の政策理念に共感し支持する人達に理解されるためには、「論理的な整合性」と「妥協に至る経緯説明」が必要ですね、盲従的な支持者でない限りは。
 その2要素を、一党独裁の巨大与党が、あらゆる場面で蔑ろにしてきたのは偶然ではなく、「一強 vs 多弱連合」のシンメトリーが織りなす必然なのでわないか、と。 
 多弱側の政党は、この能力を備えた政党同士でなければ、理解と信頼に基づく柔軟な連携ができず、淘汰されざるをえなません。そして、現実にそうなっています。
 また、このような政党では「議員になること」だけを目標として、政党を渡り歩くような個人は生きられず、逆に、自分と党の政策理念に従い党を移るのであれば、支持者の理解も得られるはずです。

 この現在進行中の転換こそが、党と政治家のあり方にとどまらず、有権者のうち「投票へ行かない50%の人」の多くを「自分で考えて投票する人」へと変化させ、その結果としての投票率の向上は、「保守 vs 革新」「親米 vs 反米」「自由主義経済 vs 保護主義経済」といった選表層的な政策論争の水面下から、「組織の命令で投票する人達 vs 自分で考えて投票する人達」 という構図を顕在化させて、地球市民としての民度を向上させるのではないかと・・・

 「寝言は寝て言え」ですね。 寝ながら、初夢を続けます。

 政治家と官僚の関係のパラダイム・チェンジ
 支持者と政党、政党と政党、が相互理解のための民主的政治に不可欠な力コミュニケーション能力をレベルアップさせることは、マスコミにも好影響をもたらし、(情報を大手マスメディアだけに依存するような)一般的国民と政治、の関係も変わってくれるかもしれません。

 このような環境が整って、はじめて、政治家は「官僚のために国民を騙す」仕事から「国民のために官僚を指示する」、本来の仕事に戻ることができるように、なるのではないでしょうか。
 そもそも、どんな経験や才知があったとしても、頻繁に就職(選挙)活動をしている非正規雇用の雇われ店長のような政治家が、「現場」に臨む頭脳明晰な高級官僚達に、勝てるハズ、コントロールなどできるハズがなかったのではないか、と私は反省しています。省庁に一人で対峙できるスーパーマンを求めるのも、スーパーマンを集めて「豪腕」で日本を変革できるような人物の出現を待ちわびるのも、誤った期待であった、という認識のもと、官僚と政治家の関係、ゲームのルール自体が転換される必要がある、と強く思うようになりました。
 
 初夢と山本太郎を結びつけるため、少々、強引な展開ではありますが、でも、まだ行きます。

 一郎、太郎、夢、みたろう
 政治通の小沢ファンには山本氏の政治能力全般に不信感があり、山本ファンは小沢氏を中心に繰り広げられてきた、ここ20年の政治全体に不信感があり、どちらのファンでもない私は、両者に共感します。それでも私は、この二人の連携に、官僚と政治家の関係自体が転換される可能性に、期待しています。
 しかし、小沢氏と山本氏の関係には、メディアが「必要に応じて」(集団安全保障などの)さまざまな楔を打ち込むこでとしょう。それに対抗するためにも(トートロジーになりますが)、官僚は「上からの意思に従い政治家を操る」仕事から「下(国民)からの意思に支えられた政治家に仕える」仕事をする、という、関係の根本的転換が、どうしても必要になると思うのです。

 この、タテマエ上は当たり前でも、実際上は非現実的な理想のように感じられる、政治家と官僚の関係で、政治家に求められる資質は、(国民の代表として官僚を指揮する)「剛腕」ではなく(国民の不幸を理解して、官僚が尽力したくなる)「魅力」なのだったりはしないかしらん。
 それが山本太郎だ(ったらよいのですが)とは断言できません。が、小沢氏がその剛腕を山本氏のために使い、それが実は山本氏の魅力によるもので、そのような人が今後、山本氏の回りに増えていくとしたら、それは彼の才能ですし、同種の吸引力をもつ政治家が増えていくのは、希望の持てる話ではないでしょうか。

 私は以前(クソ生意気にも)ブログに、
 彼ら(三宅洋平や山本太郎)の理想は今後、間違いなく一定の支持を獲得する(と私は予想する)が、平野代表の能力は、彼ら自身が理想の前の現実に直面し、目的のために手段が不可欠だ、と気付いた後に求められることになる。
なーんて書きました。
 「その時」は意外に早くやって来るのかも、いやいや、そうでなくては間に合わないかもしれない、などと、年末のニュースの余韻に酔い、まどろみながら、未だ初夢を見続けているのであります。

<田吾作の声>自民党、昔の名前で出ています  NO.58

 戦後史を振り返ると長らく政治の季節が続いた。世界を敵に回した無謀な第二次大戦で敗北したこともあり、反戦平和の声は大きく街頭はもとより日本中でこだました。大雑把に言えばベトナム反戦運動まではデモや集会は日常茶飯事のことで国民の政治意識は高かったと言えるだろう。
 岸内閣打倒まで行き着いた安保条約改定反対闘争だったが継いだ池田内閣は所得倍増計画を打ち出し国民の関心を生活向上にそらし、結果的には経済の季節が始まることになった。労働運動も政治から賃上げに重点を移した。振り返れば権力主義の権化である岸の対極に位置する池田は政治姿勢も良識的で、彼が率いる宏池会は自民党の主流派として平和憲法の精神をぎりぎり堅持する役割を果たしてきたと言える。
 その栄えある宏池会の後継者に名を連ねる谷垣禎一は1987年に所属する自民党がスパイ防止法案を提出した時、主権者である国民の権利を制限するものとして反対し存在価値を示した程である。その谷垣は特定秘密保護法に反対しないどころかシンゾウ内閣を与党幹事長として支え軍事力強化の道を側面から支えているのだから驚き呆れる。かって宏池会の後継者争いで見るからに策士然たる古賀誠に敗れた時には同情を禁じ得なかったものだが、腹の据わらない本質を当時から見透かされていたと合点した。集団的自衛権でも明確に反対した古賀だが谷垣は賛成している。
 戦犯岸の孫シンゾウは政治的には強権国家を目指し、経済的には弱肉強食の新自由主義路線だからウルトラ反動主義者そのものだ。今の自民党はかっての国民の幅広い層を代表するものとは似て非なる党に変質しているが、谷垣のような変質者の存在があることを忘れてはならない。

(2014.1.8)

<田吾作の声> マララユスザイは告発する NO.57

新年を迎えても気持ちが晴れない。それにしても大変な時代になってしまったものだ。日本社会の劣化が止まらないことに呆れ果てるというのが正直な心だ。アベノミクスの是非を問うワンイシュー選挙で国民の目を逸らし勝利した総理シンゾウは、当初から予想された通り政策は全面信任されたとし本性丸出しの政治をごり押ししているのだから詐欺行為そのものだ。
 歯止めもない秘密保護法の施行、資金援助付きの武器輸出、交付金上乗せの原発再稼働、ため込んだ内部留保を配当しか使わない大企業へ法人税引き下げのプレゼント。その一方で、日本の経済力を無視した政治介入で円安誘導し消費者物価は高騰、年金・介護などの国民生活に直結する社会保障は次々と切り下げ多くの国民を生活できるかの不安に晒している。格差社会が更に進行することは間違いない。
 こうした状況は十分に予測されたことだから、民主主義の限界と言うべきか形骸化と見るべきか論議すべきだろう。だがこの道を国民が選んだ結果であることも間違いない。世界一の高学歴社会日本の空しい現実はどうして生まれたのかの問題意識が脳裏から去らない。
 ノーベル平和賞を受賞したマララユスザイの演説は胸を打つ。教育を通して考える力や表現する力を持つことが出来るという発言は、日本人への痛烈な皮肉でもある。大学院までの教育制度は整っているが教育の中身は知識の羅列を暗記させるだけで「何故」という考える力を教えない。「考えない『知識人』作り」が日本の教育の根幹だ。大学生が勉強せず遊興費を稼ぐアルバイトに精を出しても親さえ不思議と思わない。一方で貧困という「無知の涙を生み出す条件は広がっている。矛盾の先が恐ろしい。

(2014.1.5)

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