「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声>サッカーが引き出すもの

 田吾作の声  NO.24

 何となくWCの韓国戦を見た。ベルギーが点数をあげるといつの間にか喜ぶ自分自身を知り自己嫌悪に陥る。画面の「アジアのためにも韓国に勝って欲しい」というアナウンサーの立派な言葉に多少違和感を感じる。見事なまでのスポーツマンシップであり公器として申し分がない(画面に向かい、そんなに公平な報道が出来るなら小沢問題の偏った報道は何だと毒づく)。どうも、日本のグループリーグ敗退をケチョンケチョンにけなす韓国ブログを見たことが強く意識に反映していたようだ。それ以前の深層心理としてはアメリカ占領下のどさくさに紛れて竹島を実効支配していた時代から、最近の軍の駐留や施設補強、前大統領の電撃訪問といったやり方が腹に据えかねていたことも影響しているだろう。しかし、慰安婦問題も絡めて在日を攻撃するようなヘイトスピーチの連中には全く同調できないし、許されるものなら卑怯なネットウヨは一掃したい位だ。それにしても錯綜し複雑な己の心は何だ。
 結局、韓国は数的優位にも拘わらず負けて、グループ最下位でブラジルを去る破目となった。全く日本と同じケースである。「目くそ鼻くそを笑う」の例えは日韓関係の現実を表している。トータルしたらアジアは1勝も出来なかったことで、このままではアジア枠は減る恐れもあるらしい。由々しき事態だ。
 サッカーの試合を国と国との戦争に例えることがあるし、事実、実際に戦争が起きたと歴史にある。いわば擬似的戦争であるサッカーの効用は、鬱積した気持ちを発散し隠れた野蛮心の上手な解消法かも知れない。
 狂信的な民族主義を振り払い理性を取り返した小生は、「それでも韓国は交代要員を使い切っただけマシだヨ」とつぶやく。
(2014.6.28)

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<田吾作の声>負けに不思議の負けなし

 田吾作の声  NO.23
  ワールドカップでの日本の敗退が確定した。興に乗ってFIFAランキングを無視して決勝トーナメント進出は出来ると思っていたが、終わってみたら結果はランキング通りですっかり酔いが醒めた。マスコミの超楽観的な予想に踊らされたことが後ろめたい。が、愛国主義のためと自らを免ずるとしよう。
 それにしても攻撃型サッカーという言葉が空しいほどで、「自分たちのサッカーが出来なかった」の弁がはかない。正確には「させて貰えなかった」と言うべきだろう。これこそ実力を反映しただけだ。勿論、グループDのコスタリカのように他の優勝経験国を負かして決勝進出を果たしたところがあっても、日本は運がなかったなどと強弁は出来まい。ここは野村語録「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」を噛みしめるしかあるまい。
 普段通りの試合が出来なかった要因に、欧州組と国内組のレベルの違いもあるだろう。それは足が地につかないプレーに表れたし、機転の利いた判断が出来ず相手に付け込まれた場面が随所に出てきた。サッカーの醍醐味の一つである創造的プレーが出てくる余地はなかった。
 要は、雲の上で試合をしている状態だったが、指揮官も同様だったことで悲劇は決定的になった。焦った監督は参加国一身長が低い選手にパワーゲームを指示したり、相手ゴール前にロングボールを放り込むだけの単調な運びに終始したりで、戦略的作戦を見失っていた。それは自ら掲げた攻撃サッカーの理念を放棄するものだった。ドリブル突破を得意とする斉藤を何のために連れていったのか?身長の高いフォワード選手はテレビの前で呻吟していたことだろう。
 何か日本社会の現状を反映したような3試合だった。
(2014.6.25)

<田吾作の声>「これでいいのか日本!」

 田吾作の声 NO.22
 村上正邦氏が代表の「躍進日本!春風の会」主催による上記のシンポジウムが開かれた。言うまでもなく氏は元自民党国会議員で国家権力によって獄中につながれた政治家である。右派系の大物だが、シンポのメンバーが面白い。森田実、平野貞夫、佐高信、菅原文太、司会が南丘喜八郎。案の定、それぞれの個性と思いが大爆発する内容で愉快な時間を過ごすことが出来た。
 集団的自衛権を巡る問題で、世論の多くが反対と意思表示しているにも関わらず国会内の論議は低調だし、与党である自民と公明の間の字句上の些末なやり取りをマスコミが大げさに取り上げ「山場」を演出するのだからフラストレーションの溜まること甚だしい。各氏の発言で共通することは、憲法改正という正道でなく解釈変更で集団的自衛権を容認しようとする総理シンゾウの卑怯さ、国会の多数を占める戦争体験のない世代の尊い9条への無理解、一連のバックにアメリカがあるとの指摘だった。勿論、異論のある筈がない。
 但し付け加えたいのは、憲法がアメリカ内部の政治的立場を反映した代物だということを考慮すれば、条文の変更はニューディール派を刺激するし、解釈だけで地の果てまで自衛隊を派遣できる解釈変更がベターである。民主・共和の2大政党は本質は同じながら多少の政策の「違い」で底の浅いアメリカ国民の目を長い間くらましてきた。解釈改憲ほど彼ら双方の面子を立てるものはないと考えるべきだと思う。それだと中国にも言い訳がたつ。
 小沢一郎の米中等距離外交という主張に危機感を抱いたジャパンハンドラーの民主共和両党のナイとアーミテージが揃って小沢降しに動いたことが、彼らの本質を物語っている。これでいいのかアメリカとの関係!
(2014.6.22)

<田吾作の声>農家を弄んだ高い代償

 田吾作の声 NO、21
 TPP参加が終盤を迎えようとする中、アベノミクスの3本の矢である成長戦略の一つとして農業が取り上げられ時の焦点となっている。TPP下でも日本農業を発展させることが総理シンゾウの至上命題という訳だ。そのためには農協を変えることが必要とし、農協組織の解体を打ち出し脅している。一部の例外を除き農協が農業を熱心に取り組んでこなかったのだから規制改革会議の方針はピント外れも甚だしい。農業協同組合だから農業に力を入れているという印象を逆手にとったやり方で、表向きTPPに反対する農協組織を黙らせることが目的なのだろう。反対する彼らの真意は、今や農協の稼ぎ頭である共済制度がなくなることにあるのではと思うほど今の農協の多くは農業軽視であり組合員の心から離れている存在だ。
 戦後の農協は圧力団体として政治力を発揮しひたすら既得権益を守るために活動してきた。農水省もその力を利用して予算の分捕りという形で省益を確保してきた。その象徴として農水官僚が農村票(主に農協が主体で集めた)をバックに国会議員になり活動してきた。
 農協の力が落ちて落選するようになって官僚の立候補者がいなくなった。そこで農協自ら出そうと立候補したのが全中の山田俊男専務で、公選法違反ギリギリのやり方で組織の締め付けを行って当選した。ところが不運にも自民党が大敗し彼は政治力を発揮することが出来なかった。民主党の敵失で自公政権が復活したことを彼ほど待ち望んでいた議員は居なかったと思う。ところがシンゾウ内閣がTPPへの参加を打ち出したことで面目丸つぶれとなり、その対策として今回の農協解体だからその心中は察するに余りある。正に因果応報の理なりだ。
(2014.6.17)

<みうらのま>言葉が終る時

 安倍晋三首相は5月15日の記者会見でも、6月11日の党首討論でも、「政権が自由に憲法解釈を変更してもよいのか」という質問に、気色ばんで「守っていく責任」を強調するばかりだった。目の前の質問に答られないで、国民の負託に応えられるもんなんでしょか。

 公開の場で意見を戦わせる手続きが無ければ、民主主義はただの多数決。言葉を戦わすことができなければ、暴力で戦うよりほか無くなっちゃう。国会が「数の暴力」の場になって、国家が暴力をふるえば戦争になる。言葉が死んでしまえば、社会は空気が支配するようになって、ゾンビ化したコトバは思考や相互理解ではなく、暴力の道具に成り下がってしまう・・・

 ん? てゆか、もうなってるじゃん。

 そか、民主主義はもう、終っていたのか。そこに独裁者が現れて好き放題やっているのだ。独裁者が御用学者を集めて諮問委員会を作ったり、日銀やNHKを人事で操るような、まどろっこしいことをやってるのは、国民にそのことを気付かせないためだったのね。

 2009年に消費税反対をマニュフェストに歴史的政権交替を果たした後、民主党の菅直人元総理は「消費税増税に政治生命を掛ける」とまで言った。2011年の衆院選挙で「反TPP、脱原発依存」を公約に大勝を果たしたした自民党の安倍政権は正反対の方向へ逆噴射して、公約になかった憲法の牽強付会で大忙し。

  言葉と一緒に民主主義は死んじゃったんだな、きっと。民主主義が終っていることに気付かない人達は「信じられない政党が多い」とは感じても「信じられる政党なんか無い」ということに思い至らない。なぜなら、マスコミが希望の光を与えてくれるから。「ヒドイ連中に騙されてしまいましたね、今度はコレ。この人達が信用できるかもしれませんよ」て。

 「信用できない政党」と「信用できないマスコミ」が合わせ鏡のように現実を映しだすと、考える材料が永遠の彼方へと消えてしまう。だもんだから、一票を片手に立ちすくんでいる、ていうのが日本人の政治に対する現状なんじゃないかしらん。

 民主主義が終ってるってのに、16年衆参ダブル選挙に向けて、政党の再編が始まった。立ちすくむ人達の受け皿になるべく、現政権と対極的な理念を持つ議員や政党が、じわじわと歩み寄りつつある。それは誠に結構なことなんだけれど・・・

 新自由主義者の世界観がよく弱肉強食て形容される。ケダモノだって生態系を破壊するほどには食べないし、共食いだってしない。畜生にも劣る餓鬼の道。修羅や畜生に代わりに「なぜ、そうなってしまうのか」を問うのが考える葦ってもんでしょう。立ちすくむ人達を耳ざわりの良い公約で囲い込みマーケティング戦略の勝利を得たとしてもですよ、「人間を幸福にしない日本というシステム」を改革できないことは歴史的政権交代を成し遂げた民主党政権で実証済みなわけですよね。「数が無くては何もできない」けれど「数だけ集めても何もできない」ことを私達は知っちゃってる。

 なので、新たに結集した人達に「今度は大丈夫、信じてください」てお願いされても、信じるに値する根拠、民主党の失敗から何を学び反省したのかを示して頂かないと、安倍総理の「再び"戦争をする国"になることは断じてありえない」てのと同じ空手形に過ぎないわけで、政権交代に期待し裏切られ、今、安倍政権の恐怖に震える国民が抱く政権交代へのガッカリ感に見合うだけの、民主党政権失敗に対する原因究明と再発防止策が必要なんじゃないでしょか。

 共生や脱原発の旗印に、小異を捨てて大同に就く人達のなかには、前原や野田みたいな寄主を食い殺す獅子身中の虫が必ず入り込むので、現勢力に対抗するため結集する方々には、陸山会事件に対する見解を曖昧にして欲しくない、と思うのであります。


<anndueの瀉>負ければ「賊軍」

 田吾作さんの投稿「何故、アジアにD―DAYはないのか」(http://nipponissintama.blog.fc2.com/blog-entry-369.html)に触発されコメント欄に書き始めたら思いのほか熱が入り長文になってしまい(^^;)投稿としてアップすることにしました。

私自身東京裁判には不服もありますし、江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」にあるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(GHQによる、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)の存在などを聞くと、自虐史観だぁ日本は悪くなかったぁと言いたくなる人たち(安倍さんやその取り巻き支持者含め)の気持ちは正直わからなくもないのですが、先の大戦は日本としてはあくまでもアジア解放の正義の戦争だ「全く」悪くない、と反対側に針を振り切るような意見(*1)には強い違和感を覚えます。

当時の情勢的にロシアや欧米のアジア進出を食い止めるべく出兵する必要があったなどと「大局的見地」から言ったところで、日本の軍隊が異国に踏み入ったのは事実であり、現地の特に一般庶民にとっては青天の霹靂で頼んだわけでもないのに勝手に上がり込んできて荒らしていったと感じたであろう、紳士的な日本の軍人や民間人もいただろうがそれで帳消しになるはずもない。理由はどうであれ他所の土地に押しかけていったのは誠に申し訳なかったというのが根本としてまずあるべき態度(「慎み深い」日本人であるならば尚更)で、太古より関係の深いご近所同士が緊密に付き合っていくのは当たり前、近しいだけに兄弟喧嘩的な多少の摩擦は今後もあるだろうがお互い知恵を出し合って乗り越えていきたい、というのが将来も変わらぬ日本の立場だと明言したうえで、南京大虐殺や慰安婦の件など日本側から見るとどうも誇大に言われているように思う、将来の友好関係のためにもお互い我田引水はやめ共同で冷静に歴史を検証しましょう、完全に見解は一致しないかもしれないがそうした活動自体がお互いの関係を深めるものと信じます、というスタンスでいくべきだと思う(*2)。

中国や韓国以外の国の反応という点でも、「官軍」である連合国(*3)中心に形成された戦後世界の価値観の中でアノ頃の日本は正しかった!と主張するのは、国際社会から見ればネオナチ同様に映るであろうことは容易に想像できます(*4)。なので「賊軍」の汚名を本気で雪ぎたいならば、内心忸怩たる思いがあっても上述のような抑制的な態度で長い年月をかけて臨むしかないと思う(*5)。或はもう一回「連合国」相手に戦争起こして今度は勝って過去含め歴史を塗り替えるか。ひょっとして安倍政権は実はそれが最終目標でそのためにまずは戦争ができる国になろうと今いろいろ頑張ってるのか?中国脅威論や米国に追従する姿さえ隠れ蓑で。買いかぶりすぎ?。


*1 
日韓併合で朝鮮は文明国化した、日本はイイことをしたのだ、という論調もこれに似ている。そういう側面もあったかもしれないが、朝鮮の一般民衆が日本政府に懇願して併合してもらったのか?そういう ― 本多勝一風に言えば「殺される側の」 ― 目線が欠けていると思う。
(余談だがこういう考えの人は「小説 琉球処分」を読んでも維新政府側の目線に立ち、琉球の人々を「蒙昧」と簡単に切り捨てハイおしまい、なのだろう。琉球に赴任してきた維新政府の役人の心情にも共感できどちらかが一方的に悪いという単純な話ではないが、世界情勢に疎く不安で右往左往する琉球の人々にちゃんと説明し、何かあったら維新政府が責任をもって生活を守ると信用させられなかった維新政府側の非を私は感じるクチ)
そんな理屈で日韓併合を全肯定するのであれば、米国は先の大戦から戦後を通じて日本を「解放」し「文明化」したのだから、GHQから横田「幕府」に連なる戦後統治も(「保守」を任ずる者として)OKなのかと。あっそうかだから「親(従)米保守」というのが成り立ちうるわけか。日韓併合と日米関係では日本の立場は逆転しているが、そういう意味では首尾一貫しているのか(^^;)

*2
そのうえで中韓が相変わらず「反日」的「火病」的(このファビョるというレッテル貼り自体程度が低いと思う)な反応だったとしても、日本は慎み深い態度を貫くべきで、そうした彼我の態度の違いを見て、他国が「日本のほうがちゃんとしているから話を聞いてみようか」と思ってくれればよいではないか。
所謂ネトウヨやヘイトスピーチなどがファビョり返したところで、歩み寄りや解決に逆効果なのは勿論(彼らは寧ろ解決せずにはけ口がありつづけるのを望んでいるのか?話が逸れてしまうが在特会というのは「在日特権を許さない市民の会」ということだそうだが、特権というのは立法や行政の問題なのに何故霞が関や永田町への働きかけではなく新大久保なのか、しかも新大久保は在日の街というよりは韓国朝鮮籍の出稼ぎ者の街ではないか?自分が不勉強なら恐縮だがそういう基本的なところで辻褄が合っていないように感じる)、自らの程度を下げ日本の印象をも貶めるようなことをしていったい何をやっているのかと。右翼や保守を自認するならせめて頭山満などの思想にも少しは接してほしい(そうすればあんな嫌中韓な態度は恥ずかしくてできないと思う)し本来の意味での八紘一宇の精神にも悖り天皇陛下の御心にも適っていない。そんな大袈裟に言わないまでも、兄弟で一つのおにぎりを分け合ったときお兄ちゃんが大きいほうを弟にあげるような態度、鈴木ムネさんの言う49対51で相手に51を譲る気持ち、を日本人の美徳としてこれからも大事にしたい。

*3
恥ずかしながら英語に疎いので、最近まで「連合国」がthe united nationsだと知りませんでした。United Nationsを「国際連合」と訳すのは、「敗戦」ではなく「終戦」、「撤退」ではなく「転進」などと言いかえたことを想起します。

*4
特に、連合国の中心であり対日統治(つまり「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」も)を実際に行った米国を否定することになるわけで、そのことが「親米」保守の安倍さんやその周辺はわかっているのだろうか。相手を怒らせても信念を通す!というのならばその心意気自体は買いたいものだが実際は臍を曲げた相手へのご機嫌取りなのかTPPやら超電導リニア技術の無償提供やらと貢ぎ物だらけ。

*5
徳川慶喜が、明治維新後の不安定な政情の中で外国に付け入られないようにと、彼を担いで明治政府を転覆しようという国内勢力に与せず沈黙を守り続け、明治32年に明治天皇に謁見を許され宮城(つまり元の自身の城)の門をくぐり天皇皇后が親しくもてなしたという「和解」の逸話や、同じく維新後に旧会津藩の山川浩が藩の汚名を雪ぐべく、新政府の中に入って出世することで信頼と発言の場を得つつ『京都守護職始末』を編纂し(氏の死後弟の健次郎氏が引き継ぐ)孝明天皇と会津藩の密接な関係を述べ「朝敵」ではないことを主張し、明治元年から六十年ひとまわり経った昭和三年に会津の人々がやっと汚名が消えたと提灯行列をして喜んだという話(いずれも角川文庫「日本史探訪 21」中の、「徳川慶喜」および「白虎隊以後」の項参照)など、是非安倍氏その他の「勇ましい」系の方々も参考にしてほしいが、旧長州藩という「官軍」育ちのお坊ちゃんの安倍氏にこうした感性を求めるのは酷というものか。

<田吾作の声> 何故、アジアにD―DAYはないのか 

田吾作の声 NO.20
第二次大戦終結の重大局面となったノルマンディー上陸作戦70周年を祝う記念式典が行われた。ウクライナ問題で緊張関係にある米露のトップが顔を合わせる場面がニュースに流れた。それよりも筆者の関心はそこに敗戦国ドイツのメルケル首相が参加していたことであり、前後して開かれたG7に参加していた日本国総理シンゾウ姿は当然ながらなかったことだ。馬鹿な日本のマスコミはこのことの意味を触れることはない。
勝てるはずがないとわかっていた戦争に「何となく」突っ込み、自国民の生命をまるで顧みることなく、自国を破滅の淵に追いやった指導者の責任、「負けたことの責任」という最も単純明快な責任でさえも、実に不十分な仕方でしか問われなかった。しかも指導者は敗戦を終戦と言い換え敗北を認めないで現在に到っていることを再認識せざるを得ない。だから東条の孫が爺様には責任がないと公言し国政選挙に出てきても批判の声は起きないし、戦争被害者である在日韓国人への凄まじいヘイトスピーチが起きるという現象につながる。東条内閣の重要閣僚岸信介がアメリカに忠誠を誓いそのエージェントになり総理になったのだから、ヒトラーの腹心であるゲーリングやヘスが連合国に命乞いし政界トップになったと同じことだ。岸の孫がシンゾウだから彼が欧米という舞台で平和を語っても、聞いている相手の心中は侮蔑の念で一杯だろう。
平和を語るならアジア版D-Dayの式典を開けばいい。勿論、そこには日本が侵略した全ての諸国に参加して貰うので文字通り歴史的なものになる。しかし、それが実現しないことは自明であり、理由も自明である。要はまともな戦争責任さえ問わなかった国民の責任は大きい。
(2014.6.8)

<田吾作の声>どうした「決められない政治」よ 

どうした「決められない政治」よ

田吾作の声NO.19

福島で中間貯蔵施設を建設するという住民説明会がはじまったが。予想通り反対の意見が多く実現は「困難だ

と伝えられている。フクシマ事故から3年を超えた時期に汚染土壌などの保管施設を造るというのだから間抜けな話だ。だがこの原因が単に当局側のうっかりミスでないことは明らかで、実は用意周到な策の上にすすめられていることを見逃してはならない。

今、福島県内では汚染土壌を詰め込んだ袋(フレコンバック)が溢れ返っている。それだけでなく東日本を中心に国内中に汚染が広がっていてそれも事実上放置されているのが現状だ。勿論、汚染水は止まらず日々排出されていて、地下水や海の放射能汚染は確実に広がっている。

今まで決めなかったのは、大量に堆積された汚染物質を見せて現地に受け入れを迫るという魂胆があったためだろう。一方の「被害者」である福島側は、国に恩を着せ出来るだけカネを取るという考えであり、このことも予め想定済みな話だ。

冷静に考えれば、今回の事故の汚染物質の処理は中間施設どころか最終処理場も原発構内及び周辺しかあり得ないのに、今まで曖昧に引きずってきたことの責任は重大だ。この間、現地住民(県外避難者も含め)には「戻れるんではないか、復興できるゾ」などの幻想を抱かせたことの罪も大きい。3年という時間を他県への建設をすすめるために使ったというアリバイ作りに用い、住民には諦観を醸成するために利用するのだからふざけた話だ。フクシマ後、絆が叫ばれ汚染物質の分担までが当然だとの風も作られた。そこには原発利権に狂った現地の反省は問わず、原子力村の責任も回避している。国民が大反対する消費増税は決めるのにこの優柔不断は何だ。

2014.61

プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
<特別寄稿を募集致します>
当出張所では、森友問題について
「自身でブログを開設するほどではないけれど、ぜひ物申したい!」というあなた様の原稿を
tama.nipponissin@gmail.com にてお待ちしています。報酬はございませんが、必ず(明白な悪意や公序良俗に反する場合を除き)掲載させて頂きます。
よろしくお願い致します。

田吾作、みうら、anndue

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