「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<anndueの瀉>初書き込み、どうしようか迷い、挙句のコレ(^^;)

 中学時代に親に誘われ杉原泰雄氏の憲法9条講座を聴きに行ったのがたぶん政治的関心の最初だったんだと思います。その後高校時代に、家にあった本多勝一氏(*1)の著書を読み自分が生まれたこの星この世界は何とヒドイところだと絶望し胸が詰まり、天皇制も自衛隊も反対~と左翼イデオロギーにカブれたのですが、大学に入るとバンドにうつつをぬかし勉強って政治って何ですかぁとなり二年留年ののち社会人に。その後普段の生活実感から左派は外野からキレイゴトばかりの印象だなぁとか、皇族の存在はありがたいなぁと感じるようになったりと(*2)「左」から「右」に寄りつつも、政治への関心は相変わらず人並程度(朝日新聞(*3)を読んで満足してるような(笑))でした。

 2009年11月某日に偶然テレビで目にした小沢一郎氏のインタビュー映像。左派崩れのワタシ的には元自民党中枢人物という経歴と、マスコミの例の[政策より政局・剛腕・壊し屋]の刷り込みも相俟って食わず嫌いで氏の姿をじっくり見るのは初めてだった。細川連立政権時の政局を回顧した番組で他人の批判や恨み言もなく淡々と当時を振り返るその姿に、アレッ、マスコミが伝える印象と違い案外イイ人そう、ちょっと本人の言い分も聞いてみようかと近所の図書館で「語る」という本を借りて読み衝撃を受け、これほど多岐にわたる政策をしかも理詰めで自分の言葉で語れる政治家は寧ろ当時の不勉強な自分にとっては初めてだった。
 政局の人だと評価するマスコミ・言論人は氏の政策を知らないのか(情報収集力の欠如)、読んだが理解できないのか(知能教養の欠如)、理解しているが敢えて氏の政策に触れずネガキャンしてるのか(職業倫理の欠如)、いずれにせよこりゃ信用ならんと思うようになり、自分の印象と世間の小沢氏像があまりにかけ離れているのは自分の感性がオカシイのか?とネットを検索したところ同様に氏を支持する人たちがたくさんいること、またマスコミでは得られない政治情報や評論がネットには(玉石混淆で注意は必要なれど)膨大にあることを知り、遅まきながらいろいろ学ばねばと思い、現在に至る(*4)。

 一時期恥ずかしながらいろいろ知った気になりかけましたが(「世の真実」的な…苦笑)、自分が得ている情報も結局自分の価値観に合うようなところから選び都合よく解釈しているだけかも、もっといろんな人の意見を虚心坦懐に聞かなけりゃあと痛感する昨今です(相手を言い負かしたいだけの人とかの相手はちょとイヤですが笑)。
 気が付いたらバカボンのパパの歳を超え、やっと「無知の知」「十有五」程度の私が公の場で書き連ねるのも正直気がひけますが、世のフツーの人々が遠慮なしに政治について実世界やネットで当たり前のようにやり取りし合う世の中になりますようにと願いつつ。


<脚注>
*1 
いま改めて読み返すと共感できない部分多々あるのですが(笑)それでも
【双方の言い分を直接聞くこと】
【いかなる報道・言論も「公平中立、客観的」な立場などありえない】
【戦争が悪なのではなく、侵略(をする側)が悪なのだ】
【(アメリカや中国など)国全体を敵視するのではなく、各国民衆・社会的弱者は仲間と考え権力者とは分けて考えるべき】
といった氏の主張はいまも仰る通りと思います。

*2
今では今上陛下のお人柄を尊敬する私ですが、皇族に敬意を感じるようになったそもそもの発端は思想的なことでは全くなく、近所の古く広い緑豊かなお屋敷が相続の都合か次々と更地になり細分化され画一的に分譲宅地化されるのを見るにつけ、経済合理性に任せるとどんどん緑が失われ、また家柄等の上下のない平等・平均化を突き詰めると似た建物だらけの味気ない風景に行き着くのではないか、と思い(左翼的には「富の再配分」でイイことなのかもしれないが)、自分としては古い屋敷が残り景観が保たれるほうが好ましく、既得権の名残だろうがそうした「名家」が残っていくのはアリ、その究極として都心のど真ん中に皇居の広大な緑を残してくれる皇族の存在はありがたい、と思うようになったことから。

*3
私も、数年前に小沢ネガキャンに唖然・憤慨し朝日から東京新聞に乗り換えたクチです(笑)

*4
今も変わらず小沢氏支持を自分の中でメインに据えていますが、人物的には亀井静香氏や田中康夫氏に寧ろ共感するところ大です。なのでヤッシーへの敬意を込めて僭越ながら本稿を若干「なんクリ」テイストにしてみました(笑)。
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<田吾作の声>消えた飛行機の謎

消えた飛行機の謎 2014.4.29
韓国の旅客船沈没事故の陰でマレーシア航空370便問題はニュースから忘れられたようだ。乗客乗務員239名が死亡という大惨事なのにどうしてだ、と思うのは小生のひねた性格故なのか。3月8日に消息を絶って2か月近くたつのに手がかりらしきものさえ見つからないのだから不思議だ。
当初は行き先の北京航路下の海域に堕ちたと言われ、次には中央アジアかインド洋方面に飛行経路を変更したのかと発表され、最終的にはオーストラリアの西方だとして各国の捜索が行われている。中でも中国は乗客の多数が自国民であることもあってか大がかりだという。この間、事故の要因を機長だとしたり、イスラム過激派のテロとする報道も出されたが確証はなかったようだ。
何れにせよ事故原因の究明に欠かせないブラックボックスの発見が急がれるが、中々難しそうだ。蓄電能力から1か月がデータ保持の期限というから時間切れに近づいている。
この事件が起きてから消えない疑念がある。米国は何故か飛行機の捜索活動に最初から消極的であることが気になるのだ。自国に関係ないことでも出張って積極的(時には過度)に行動する世界の警察官が急に大人しくなったのだから不思議と思うのが常識だろう。かって大韓航空機がソ連領内を進空し撃墜された時、三沢の米軍は事前に知りつつ放置したことが後日明らかになった。その事件でソ連軍の攻撃システムを解読したことも知った。
共に捜索にあたっている各国はレーダー情報などを盗まれぬようにしているというから、発見、究明という成果があがるのは難しいだろう。宇宙を支配し地球中に張り巡した無線傍受システムで事実を把握しているアメリカが、何を企んでいるのかというのが関心事である。  
2014年4月29日

<みうらのま>選挙に関する3つの雑感

選挙に関する3つの雑感

4・4・2の法則

 平野代表はこう考えているそうだ。
 最初の4は組織票、お次の4は浮動票、そして最後の2は不投票。
 私は以前、最後の2だった。若い頃は毎日が楽しく、その後は仕事が忙しくて、選挙どころじゃなかったし、政治に興味が無いどころか、政治家を志すような奴はみんな嫌いだった。

 細川政権の出来る頃、私は「お次の4」となった。
「へーえ、政治って変わるんだあ」
 そう思えることは、少なからず刺激的だったし、自社政権が誕生した日には、55年体制ってなんだったんだ?と考えずには居られなかった。
 それでも、何か行動したのは、自衛隊のイラク派遣に反対して一度だけデモに足を運んだくらいだったし、それさえ、予想外の集まった人数の多さに大喜びする主催者に鼻白んで、途中離脱した。

 311、正確には原発事故をきっかけに私の政治に対するアプローチが変わった。選挙の時だけ、テレビがほのめかす変化への淡い期待を追い掛けるのではなく、継続的に、そして深く考えるようになった。政治家や政治団体に寄付をするし、対立する両方の政党のサポーターや党員になったりもする。議員事務所に電話をかけるし、デモや抗議行動、ときには検察庁や裁判所にも出掛けるようになった。
 それでも、私は、まだ「お次の4」のままだ。それを誇りにさえ感じている。
 水草のように浮動するのではなく、自分の意志に従って浮動したい。


東京都知事選挙
 世代や時代といったクラスタ化は便宜的な意味しかもたないことを前提に、いまさら、ではあるが、先の都知事選を振り返ってみる。

 年齢別に見ると70代の舛添氏支持率が高い。これはネットの情報に触れず、テレビを信じることができる世代で投票率も高いので、選挙での影響力が大きいのは間違いない。が、やがて戸籍が鬼籍に移り、長期的には影響力を失うだろう。

 若年層での田母神氏支持率の高さ。これに不安を感じるヒトも多いが、20代から30代は人口も少なければ、投票率も低い。彼らはテレビの影響が少なく、ネットから情報を得ている若年層。そのなかでもまた少数派の「選挙に行く人達」だ。しかし、その潜在力は三宅洋平が獲得した個人票や山本太郎の当選でも証明された。
 先の衆議院選挙で大勝したが、獲得した票数は大敗した2009年の選挙と変わりなかった自民党も当然、この世代の潜在力に注目する。
 これからの選挙の鍵は、この世代の「選挙に行かなかった人達」の獲得合戦になっていくだろう。

 んが、この局地戦で日本一新の会は、あまりに不利だ。なぜなら、平野論説は140文字のお手軽文化に適合しない。平野論説は、知識や経験に裏打ちされた思考力や洞察力に応じて、効能を発揮し、英知の恩恵に浴することができる種類のテキストだからだ。なので、私は日本一新の会がこの小さなパイの奪い合いに参戦するのは間違っていると思う。
 彼らの理想は今後、間違いなく一定の支持を獲得する(と私は予想する)が、平野代表の能力は、彼ら自身が理想の前の現実に直面し、目的のために手段が不可欠だ、と気付いた後に求められることになる。

 脱原発、秘密保護法、その他デモに行けば目立つのは、60代を中心とした先輩方。先の70代と括らせていただいた年齢層より中心が10年、若い。いわゆる団塊世代だ。彼らは、
・60年代末から70年代初頭の政治の季節に青春を過ごした経験がある。
・社会人として1つの仕事を成し遂げた実力がある。
・仕事と子育てを終え、ネットでうかつなホンネを発言して職を失うリスクから自由である。
・311以降の惨事便乗型資本主義が矢継ぎ早に繰り出す狂気のなかで、じっくりと新聞や本を読み、考え、監視する時間を持つ。
・日比谷公園から銀座を経て国会議事堂まで歩く意志と健脚がある。
・そのために観光バスを連ねて上京する財力もある(人もいる)。
 最近になって、週刊ポストや現代だけでなく、文春や新潮までもが「老いらくの恋」をテーマにした記事を毎週のように掲載するようになったのも、彼らの社会的影響力の大きさを物語っている。

 世代や時代といったクラスタ化は便宜的な意味しかもたない。広告会社の社員がマーケティング戦略と称して、パワポのグラフをレーザーポインターで指し「この世代へのアピールするためにツイッターやフェイスブックで・・・」といった詐術的気恥ずかしさに耐えつつ、私は敢えて言う。
 日本一新の会の理念は、この世代を中心とした前後10年の人達を筆頭に共有されるべきだ。


民主主義
 「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」というチャーチルの言葉は、「よく聞く」だけじゃなく、よく「まったくだよな」と、思い起こしてしまう。
 とくに原発事故以降、何度、噛み締めたか分からない。

 国土や海を汚した、何万年も残る放射性廃棄物。その恩恵を受けたのは、私の親と私の世代、まだ幼い娘を加えても、3世代足らず。しかし、娘には未だ選挙権がない。
 原発について選挙でその賛否を表明できなかったのは娘だけではない。大地や海の動物から細菌まで、つまり、成人した国民以外の全ての生き物が、その意志決定に参加できなかった。
 選挙によってその賛否を表明できなかったのは生き物だけではない。これから生まれてくる生き物、子々孫々や、すでに今生を退いた代々のご先祖様、誰も原発の賛否を表明できなかった。

 というわけで、今を生きる私達、有権者はさまざまな生き物や、もう生きてないものや、まだ生きてないものを代表しているわけだが、そう考えると、どうしても不安になり、自問自答してしまうのが、
「はたして、私達はそれに値するのか」てこと。
 これを自分に問えば、どうしても、心もとなくなるわけだけれど、そこで、私は開き直ることにした。
「それでは、誰が代表できるのか?」と。
 人間の技術が創り出した産物、今、ステージに上がっている人間が決めるより他、ないじゃないか、と。
 そして調子にのって続けて言いたい。
「あなたたちだって、私達と同じ時間に生きていれば、きっと同じ選択をしただろう」と。

 だから私は、福島の原発事故がこの海と国土の今と未来の生き物にどんなに深刻な影響を及ぼしても、絶望はしない。
 私が絶望しつつあるのは、原発の再稼働や海外輸出を求める政府の了見に対して、だ。

 そして、ついまた思い起こしてしまうんだけれど、もう、この言葉にシニカルな含みはない。
「まったく、最悪の政治形態だ」

<田吾作の声>したたかなオバマ、情けないシンゾウ 

したたかなオバマ、情けないシンゾウ 2014.4.27
オバマ米大統領が2泊3日というちょいの間の滞在で離日した。国賓とは迎賓館に泊まり夫婦で晩さん会に出席するのが通例だというから、形式に過ぎなかったことが見え見えだ。過日の中国訪問では華々しく登場していた夫人が子供の用を優先し、同伴しなかったのだから軽く見られたものだ。無理して一晩滞在を増やしたのは日本側の頼み込みにあったためという。尖閣は安保の適用範囲と共同声明に明記したと喜んでいるが、大統領として言明したのは初めてだが米国としての姿勢は従来と変わらない。何れにせよ「米軍の出動」に際しては議会同意が必要との状況は今までと同じだから、何をもって安倍一派は喜ぶのか理解できない。要はそれだけ自らの冒険主義的な振る舞いへの孤立感から焦燥にかられているのだけは解る。
安倍一派は中国批判で共同歩調したと言いたいのだろうが、オバマは必ず中国の存在を評価する言動を隠さない。挙句の果てにはその後の韓国訪問では、従軍慰安婦問題で明確に韓国に同調したのだから彼らの面子は丸つぶれだ。すきやばし次郎の接待は何だったのだとの思いだろう。それにしてロンヤス関係になぞらえバラクと呼んで首脳間の緊密さを印象付けているシンゾウの底の浅さに日本人として恥ずかしかった。西欧ではそれ程親密でなくとも互いのファーストネームを呼び合うのは普通のことであり、それを得意然として恥じない彼は間違いなく長州の田舎者だ。
サッカー好きの若者がゼロ泊3日でヨーロッパに出かける弾丸ツアーのような、今回のオバマツアーは日本にとって高いものついたようだ。世界中から笑いものだろうが、中国に笑われているとなると複雑だ。愛国心溢れる安倍一派の皆さんは平気だろうが。
                2014年4月27日

<田吾作の声>龍馬が泣く

龍馬が泣く2014.4.22
右傾化、戦前回帰などと現在の風潮を表す言葉がちらつくようになった。しかし、テレビや新聞ではほとんど目にしないのだから飽く迄も個人の直観かも知れない。護憲集会の会場を自治体が貸さない、後援を取りやめるなどが相次いでいる。高知では護憲のメッセージを掲げた路面電車の運行を電鉄会社が中止する事態も起きている。憲法に基づいて行政が執り行われているのだから自治体の姿勢が間違いであることは明々白々であるが、マスメディアも事実は報道しても批判的ではない。冤罪になりかねぬまで執拗に小沢一郎を攻撃したのと比べれば極端だ。本音は彼らにとってはどうでもいいレベルの話題なのだろう。勿論、骨の抜かれた労働界からは危機感は感じられない。
自民党の元幹部である古賀誠や野中広務が、平和憲法の根幹である9条改正には反対と伝えられ複雑な思いがした。彼らが権力の絶頂にあった頃、小生の現役当時だが「労働組合の産業報国会化がすすむ」という表現をしたら「その文言は極端だ」とクレームが出たことを思い出す。最近のベテラン保守政治家の中から飛び出る危機意識は、現在の日本が相当な危うさにあることを表している。反原発に小泉純一郎が動き出したのもその流れであると解釈したい。
極右である石原慎太郎を都知事に選び、口先男の三百代言である橋下徹を(府知事ある時は)市長に選ぶ大都市住民の低レベルにも責任はある。やられたらやり返せという程度の感覚が国中に蔓延しているのだろう。こうしたらどうなる、そしてその次はどうなるという思考法が欠けている。哲学を学び、歴史を学ぶ意義は正にそこにあるのにと哀れになる。如何に儲けるか友情よりも金次第という社会の帰結なのだろう。
                    2014年4月22日

<田吾作の声>日韓は兄弟の間柄だ

日韓は兄弟の間柄だ
韓国船大型フェリーの沈没事故は300名余りの犠牲者を出す悲劇的な結果に終わろうとしている。錯綜した報道が飛び交う中、正確な情報が把握できず現地では大混乱している様子がマスメディアを通して判る。
セウォル号が日本の中古船で、購入後に造階増床の改造を行っていて不安定な構造になっていたこと、政府当局の発表が生存者・行方不明者の数でも二転三転し無益な混乱を与えたこと、事故当時は航海歴わずか1年の3等航海士に任せ船長は休憩していながら乗客を放置しいち早く脱出したこと、高校生に成り済まして救出を乞うニセメールがでたことで一層混乱が広がったことなど考えさせられることが多かった。こうした事実は、日本も無縁ではない現代社会の抱える問題点を露わにしている。
安全よりも利益第一の経営方針が無理な改造、運航をもたらしたことは容易に予測できる。38度線という世界でも稀な紛争地帯を抱える韓国政府が状況把握という初歩的な危機管理能力さえ欠如していることも判った。資格優先で経験を軽視した促成の人材育成教育の誤りが明らかになった。それにしても被害者の傷に塩をすり込むようなネットによる中傷はここまできたかと驚く。繰り返すがこのような事象は日本でも見られるもので他人事と見過ごすことは出来ない。
今回の事件で様々な日韓両国間の軋轢も垣間見られた。日本帝国主義時代の遺物である修学旅行を廃止せよという意見が出ていることや、一向に進まない救出作業への日本の支援申し出を断ったことなどを知ると複雑な思いがする。何れにせよ過去はともかく両国とも同じ体質を持っていることが明確になったことは皮肉だ。結局は争いのきっかけを作り出した安倍の姿勢転換しかない。

2014年4月21日

<田吾作の声>鯨文化を取り戻そう

鯨文化を取り戻そう2014.4.9
日本の調査捕鯨が国際司法裁判所で敗訴したが、事前にそのことは報道で予測されていた。この結果について安倍総理が事務方を厳しく叱責したと知り思わず苦笑した。またもやお得意の責任転嫁だからだ。
低賃金労働者として外国人を研修生と称して受け入れる巧妙さと同じく、調査捕鯨などという理に合わない手段を編み出した官僚の狡賢さにも驚くが、それを支持したのは政治家であることは見逃せない。なのに「我が国は法治国家だから判決は受け入れる」というのだから筋も何もあったものではない。
欧米諸国が燃料の代替として大量にクジラを殺戮しまくったのと違い、日本は必要最小限に捕獲を抑え、食料としてだけでなく皮や骨、筋までも全てを利用し尽くした文化の一部なのだ。これが国民全体の合意だったと思う。おまけに自粛により鯨の頭数も回復し今では海洋生物のバランスが崩れるまでになっているという。結論から言えば欧米の側の論理は破綻している。判りやすく言えば散々イラクやアフガニスタンの無実の人たちを殺しながら、動物愛護という名分の綺麗ごとを言っているに過ぎない。
鯨問題は文化問題であり、捕鯨禁止は文化侵略である。時代錯誤の愛国主義をまき散らし近隣諸国から警戒される安倍総理だが、こうした伝統文化には疎いようだ。かって日本は満州侵略を国際連盟で満場一致で非難された時、光栄ある孤立などとうそぶき連盟を脱退した。それからは破滅の道をまっしぐらに進んだことは承知の通りだ。
歴史に学んで今度は国際捕鯨員会を脱退し捕鯨を正式に再開したらどうか?「孤立」しても鯨の頭数は適正に保て自然保護になるし、米国追随の日本という汚名も少しは晴れ愛国欠病症の右翼も落ち着くかも。
                     2014年4月9日

<みうらのま>花水木の新年会

花水木の新年会

「日本一新の会」ちう名前って右翼ぽくて、イヤだな、とおもう。
私の先入観なので、どれほど一般的かは分からないけど、「一新」といえば「革新」的・左翼的イメージなのに、「日本XXの会」となると「保守」的・右翼的なイメージになる。このアンビバレンツは、なにか本質的なことを示唆しているようで居心地は悪くはないのだけれど、予約したお店で「日本一新会の者です」と言う時、声は小さくなるし、他のお客さんの目も気になってしまう。

 企画された会の忘年会が新年会に持ち越され、桜が散り花水木が咲く頃、ようやく実現した。大人てのは、こうも忙しいもんか。忙しい割りには昼間から飲み始め、焼酎のボトルは二本、一新された。

「オレは本当は保守だ、安倍なんぞは保守でも何でもない」と田吾作氏。保守・革新の話てのは、古今東西、飲んで政治を語る人あれば必ず集まる三世諸仏が織り成す酒の肴って気がする。

 ヒトは、未来を食べて、過去を排出する。ヒトは料理をすることで器官が消化に消費するカロリーを節約し、余った分で脳味噌を発達させたそうだ。脳味噌は過去の記憶として蓄積し、組み立てて、何を食べ何を避けるべきかを考える。
だもんだから、年月を経て記憶が多くなれば、保守的になるってのは味覚だけではないはずで、いわゆる左翼から右翼への転向てのは人間として自然な成長なのかもしれない。
 一方、若ければ何かを成し遂げる時間も潤沢、可能性を制約する記憶も多くないわけだから、未来に希望を抱き、「革新」に憧れ野望に燃えるのもまた、自然なのかもしれない。

 とすれば、保守は革新に対して未来の希望を、革新は保守に対して過去の歴史を、敬意をもって認め合うことが、両者にとって幸せな関係。逆に、保守は革新に対して経験の不足を、革新は保守に対して勇気の不足を、指摘し合うことが、不幸なパターンか。

 保守を自認する若者が外国人を中傷するとき、彼は今、どんくらい日本を愛しているのだろうか、と気になる。団塊世代の人達がデモに集まっているのを見ると、オジサン達がこれまでに、どんくらい日本を変えようとしてきたのか、が気になる。消化器官が排他的になれば拒食症になるし、免疫器官が外敵に親和的になればAIDSになる。

 早くに集まったのは早くに帰るためだったのに、多摩ニュータウンの夜空高く、まんまる大将が浮かんでる。この街が狸の森だった頃から、ゴーストタウンと化す未来まで、あーして見てるんだな。この星で生存競争に勝利した種が傲慢さを持て余して自滅するのさえ、もう何度も見てきた事なのかもしんない。
プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
<特別寄稿を募集致します>
当出張所では、森友問題について
「自身でブログを開設するほどではないけれど、ぜひ物申したい!」というあなた様の原稿を
tama.nipponissin@gmail.com にてお待ちしています。報酬はございませんが、必ず(明白な悪意や公序良俗に反する場合を除き)掲載させて頂きます。
よろしくお願い致します。

田吾作、みうら、anndue

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