「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま> 新宿デモ行進( #20170709SHINJUKU)

新宿デモ行進( #20170709SHINJUKU)に1/8000人として参加した。

出発前の整列。どうしたって一般の通行人はノボリの周囲を団体と見なす。それでは個人として参加した意味がなくなる。しかし、抗える状況じゃない。
やむなく「肉球新党」の猫のノボリの尻尾に並んでいたところ、気がつくと、後ろに創価学会のノボリ。組織内の抵抗やシガラミを押し切っての参加であろう彼・彼女らに敬意は感じるが、その一員と思われるのは困る。『ひぃ、やめてえ~』という心の叫びが届いたか、新宿通りを左折する頃は、どこかに消えてしまった。

朝から畑仕事で疲れた身体に容赦のない西日が照りつけるなか二時間弱の行進。アルタ前に差し掛かる頃には、歩道からの視線などは意識からなくなり、砂漠で蜃気楼を追いかけるように頭の中が冷たいビールの幻影でいっぱい。

地下のバーで2パイント目のビールを流し込み終わる頃、I氏が現れた。その時間差が列の長さを物語っている。三杯目のビールを乾してバーを出る。
参加者がアルタ前で山本太郎氏と共に熱くなっている頃、私達は前川前事務次官が有名にした例の店にいた。


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うそです。m(_ _)m


界隈の文化研究をライフワークとする新大久保在住20年のI氏による案内で、怪しいカーテンの向こう側の世界へと足を踏み入れる。
・・・・・
一時間後、私達はコマ劇裏のバーのオープンテラスでビールを飲んでいた。
すこし興奮して多弁になったI氏が熱く語っている。
「いっやあ、自分はホント、感動しったす。前川さんて、ホントに最高の人っすよ、やぱ、週刊誌だけで知ったような気になっちゃイカンっす!」
彼の感動を共有するためには、歌舞伎町に関する私の知識と経験が足りない。しかし彼が言わんとすることをある程度は理解できる。
「あの娘、俺に小さい声で『アベソーリて誰ですか?』て聞いたんすよ!」
ある程度は理解できるのだが、それを誤解なく、嫌味なく、さらに誰も傷つけることなく文章に顕すためには、私の知力と筆力が足りない。
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<みうらのま>  20170701 秋葉原報告


臨時国会も逃げ回り、国民の声を聞く機会も少なかろうと、安倍総理の秋葉原街頭演説会に出かけた。

正面のお祭り騒ぎに参加して騒ぐのもストレス発散にはなりそうだが、人混みのなか、移動がめんどうなので、彼らとは離れ選挙カーに近寄れる左手に居場所を確保、演説を聞くことにした。
あんなふうに指差され「彼ら一部の人達」なんて括られていたら、ガラスのハートが少しへこんだかもしれない。

祭りの中心から離れた場所でも、耳にイヤホンをした人の多いこと。
総理がくるので旗を振りに来た、といった商店街のおっさん、おばさん数人のうち一人くらいの割合いで突っ立ってる。

NHKの報道を「編集でヤジを消した」という人もいるけれど、大半の報道陣は祭りの内側にカメラを立てている。内と外では録音がかなり違うはず。
というのは、ある程度の距離がある私の場所まで響いてくる「安倍やめろ」コール、大盛り上がりであることがわかる反面、他の場所では大きな高級スピーカーが何本も立っており、クリアな音質と分厚い音圧で、それと分からないよう場内を包んでいたから。

「議論ができない」という演説につい反射的に「だったら国会開け」と声を上げると、どこに混じっていたのか、周囲から数人のヤジが重なった。イヤホンの人達が少しだけ動くのがわかる。
だからってわけでもないが、畳み掛けたりはしない。ヤジりに来たわけではなく、声を届けに来ただけなので、まずは演説を聞かなくてはいけません。総理の声を聞きたい周囲の人の邪魔になってもいけませんし、なにより、つまみ出されては来た甲斐がない。

お祭り騒ぎの正面を見たくない総理は大きく左右に顔を振って訴えかける。こっちに顔が向くと聴衆からニョキッと中指が立つ、あららと逆の方を向いても同じことが起こっているのだろう。「ウェストを引き締めるエクササイズ」みたいになってる。

昨晩、浅草を飲み歩き、心が下町モードなので、周囲で旗を振るオッサンやオバサンに咎められたら、落語のような会話ができるんじゃないかと、期待したが時々、声を上げる私を周囲は完全に放置してくれた。
それどころか、高級スピーカーがなかったら「安倍やめろ」コールに対して私が「うっせーな、聞こえねえじゃねーか」と声を上げていたかもしれない。

演説の終わりが見えたので、最後は心置きなく思いを届けた。
まけろー(笑)

<みうらのま> 印象操作としての総理記者会見


安倍総理の国会における、質問に答えず時間稼ぎをするため手法としては、
・ 修飾語をたくさん入れる(いわば、まさに、など)、
・ 質問を一般化し話し始める(「そもそも政治というものはですね」など)、
・ 質問の主体を中傷する(「だから、民主党の支持率は…」など)、
等が散見されますが、最近のお気に入りの「印象操作」などは、以前から使われている、
・ 質問自体を否定する(「基本的に間違っているのですよ」など)
というパターンの一種でしょう。

国会答弁で繰り返される、「印象操作だ」を聞くたび、私は馬鹿にされている気がします。
私の耳にはそれが、「国民はアホだから、おまえら野党の質問で簡単に印象操作されちゃうじゃねーか、きたねー手を使うんじゃねーよ」と聞こえてしまい、そこに含まれる、「国民はアホだから」という総理の基本認識に反応してしまうからなのですね。

6月19日の会見で総理は国民に向けてこう述べました。

印象操作のような議論に対して、つい、強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を盛り上げてしまった。深く反省しております。

それはつまり、「国民がアホなのを利用して、印象操作する野党のやり方に乗ってしまった、申し訳ない」と、国民に向かって、言っているわけですよね。
これを聞いて、総理に何か謝罪されたと、いい気持ちになっている国民はおりませんでしょうか?
それ、印象操作ですから。
彼が何を「深く反省して」いるかを正確に聞いてみれば、考えられる再発防止が「アホな国民をたぶらかす野党の質問にはもう答えません」であり、その結果が、総理と記者による朗読会のような記者会見だったことには合点がいきます。
「真摯に説明責任を果たしていく」の意味も推して知るべしでしょう。

<みうらのま> 直観の貧困

感性なんてものがアテにならないことは心得てるつもり。一目惚れを後悔する一生もあったろうし、知的怠慢の正当化にも供されてきた。
ここでは便宜的に、無知や先入観を含む感覚としての「直感」と、証明不能な確信を含む洞察としての「直観」を区別して、後者について考えてみたい。

先日の読書会(内藤正典氏著 「トルコ 中東情勢のカギをにぎる国」)、地理の先生のRさんが「第一次世界大戦後に線を引いた領域国家ていう考え方、これからどうなるのかしら」と話した時、目が合って、ドキッとした。
そうだ、先生てのはこうやって時々、目を合わせて生徒の集中をチェックしていた。聞いているかどうか、立証はできなくても、目が合えばバレちゃう。
続いてMさんの発言、「あの大臣て自分が理解してないことを答弁してるのが、はっきりとわかるじゃない?」。異論はない。でも、それを証明するのは難しい。
この世の中、「(面倒だったり、原理的にムリだったりで)証明はできないけど、確かにわかる」という、直観的領域は意外に広い。

アル中の友人宅を訪ねると、彼は母親と私を置いて「ジュースを買ってくる」と部屋を出た。戻ると、あきらかに酒臭いのだが、指摘するとムキになって否定する。
疑惑を否定しきれさえすればOKで、私が信じるか否かは眼中にないみたい。
スマホ中毒の娘も同様の症状を示しているところをみると、依存症というのは、人と人の間に在る直観的領域を見失いがちな病なのかもしれない。

安倍政権の人達にも同じ症状が散見される。「バレバレでも逃げ切れれば勝ち」という国会答弁の影響は、いまや社会全体に拡散して、信用収縮ならぬ「直観収縮」が懸念される。

恥ずかしながら、私もよく、「私の頭脳で対応できなくて申し訳ありません」という気持ちになる。それでいて心底では「こんな複雑な社会で、何が正しいかなんて、わかるはずもない」と開き直ってもいる。なのに、情報をかき集め、自分なりに考えるのは、頼りない直感を少しはマシな直観に高める努力に他ならない。

ものごとが最終的には多数決で決まる民主主義で、議論という過程を省略できないのは、それが満場一致の理想を求めて止まないからではなく、議論自体が有権者の直観を養うからではないか。
一人ひとりの有権者がそれぞれの努力や経験で培った直観から投じる一票。その総和となる集合知に従えば、「神の見えざる手」よろしく、最適な人を議会に送り、最適な意思決定が得られる(はず)。代議制民主主義の基礎には、そんな公理が埋め込まれているのかな。

今日の文明社会を築き上げた、民主主義というシステムに私は感謝する。
しかし、文明は本能を鈍麻する。直観が本能の道連れになれば、民主主義の基礎が腐り、耐震工事を求める不安の声が高まる。そして現れる「この道しかない」というスローガンの先に私は、ろくでもない厄災しか思い浮かばない。

フェラ・クティは「アフリカに民主主義は通用しない」と言った。彼らは道ですれ違うだけでお互いの力量が直観的にわかるので問題が起きない、と。「democracy」を「demonstration of crazy」と揶揄した彼には、このシステムの欠陥が見えていたのかもしれない。

<みうらのま> 脳みそ腐ってる。

 「知的劣化」などという言葉がもったいないほど、知的劣化が進行している。
 脳みそ腐ってる。

 稲田防衛相が教育勅語を「まったくの誤りとは違う」と述べた。
 「まったくの悪人」や「まったくの善人」がいないことは誰でも知っている。同じように教育勅語が純度100%「まったくの誤り」であるなんて考えている人は、いるはずない。いるかもしれない、という論理的可能性を仮定することさえ、300万人の犠牲者に対して不遜てもんだ。

 昭恵氏からの寄付の有無について、籠池氏の証人喚問。 「筆跡の違いから寄付金を振り込んだのが職員ではなく詢子夫人の可能性が高いので偽証罪に問う」と自民党の西田昌司議員が言い出し、日テレを中心にメディアが騒いでいる。
 証人喚問の目的は「誰が振込みをしたか」ではない。事実解明が目的ならタテマエでも先に昭恵氏に聞くべきところを、籠池氏の証言に1つでも矛盾があれば、嘘つきとして彼の証言を全面的に否定(社会的に抹殺)できるというホンネをもはや、隠そうともしない。

 「全部が否でなければ可」とする稲田思考と、「一部の否があれば全部を否」とする西田思考は正反対に見えるが、ご都合主義でおんなじだ。「イヌには尾があるから、ネコはイヌである」という程度に、私達の選ぶ議員と、私達の耳目である報道と、そしてたぶん、私達自身の脳みそは腐ってる。

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日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
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当出張所では、森友問題について
「自身でブログを開設するほどではないけれど、ぜひ物申したい!」というあなた様の原稿を
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よろしくお願い致します。

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