「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<みうらのま> 和のスコープ(可視範囲)

「和を以って貴しと為す」(聖徳太子 「十七条憲法」)
これを、日本会議の有識者が教育勅語の原点として論じているそうだ。
平野妙観はそれに対して、これは「戦争放棄の宣言」なのだという。
「和が貴い」という表明がなぜ、(日本会議が大好きな)教育勅語の原点となりうるのかといえば、同調圧力の補強になるから。
国民を臣民と規定しておいて、その臣民がそろって「和を以って貴し」と唱えれば、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」る際に、「オレは死にたくも殺したくもない」などといえる個人は少ない。懐疑や抵抗の声は摘まれ、調和が維持されることだろう。
大事なのは同調圧力であって、天皇でも聖徳太で子もない。それらは統制のための装置でしかないんだろうよ、彼らにとっては。

和のスコープ(可視範囲)
同調圧力装置としての「和を以て貴し」。これは、和のスコープが国内に限定されている。
それに対して、「ちょっと待て。オレが行って戦争のタネを解消してきてやる」というのはどうだろうか。これもまた「和を以て貴し」を動機とすることに違いはない。
両者の違いは「和のスコープ」。こちらは、和のスコープが国家を俯瞰している。

有権者の二面性
ここ20年ほどの国政選挙を見ていて不思議なのが、国民の慎重さと軽薄さ。
アツモノに懲りてナマスを吹くように、「民主党政権時代に戻ってもいいのか」と脅かされると、慎重になってしまう。ホントはその内実をよく知らなくても、知らないこと自体が恥ずかしくて沈黙してしまう。
その反面、目新しい政党には決まって流行の風が吹く。こちらもやはり、ホントはその内実がよく分からないまま、ブームになるのだから、軽薄なもの。
慎重と軽薄、この二律背反する(私を含む)選挙民の心理て、どーなってるんだろう。

こういうことかもしれない
前述の「和のスコープ」が慎重と軽薄を分けているのかもしれない。
国内限定の閉じた和のスコープは変化に対して、よくいえば慎重、わるくいえば臆病、つまり保守的傾向が強いことは想像に難くない。
対する俯瞰的な和のスコープは変化に対して、よくいえば柔軟、わるくいえば軽率、つまり革新的傾向の強いタイプの心理。

振り返れば、小泉総理の郵政解散以降の13年間、民主、みんな、維新、希望など、選挙に影響を与えてきた「風」の担い手は俯瞰的な和のスコープを持つ、いわゆる無党派層だったといえるだろう。
ではなぜ、彼らは実態も分からないまま、新しい政党に期待してしまうほど、軽率なのだろうか。
「メディアが第三極ブームを作り出すから」という理由では表層的過ぎて腑に落ちない。

私はその底流に、「俯瞰的な和のスコープ」と「御上依存」の融合があるように思える。国境を超えて強く和を求める心と、それを実現してくれる御上の登場をひたすら待つ忍耐強さ(これは政治参加に対する頑迷な消極性でもある)。
そんな心的態度は、アジアの平和的共生のためなら命を捨てることも顧みない。と同時に、命を掛けて従うに値する御上か否かも顧みない。

「大和民族には西欧の収奪の歴史とは異なる調和的共存の機運がある。だから、もうすぐ、御上が変わって平和が訪れるハズ。御上の資質など、私達にはわからない。わかるのはただ、民族の自律作用により、まもなく調和が訪れるということだ。前回のは期待ハズレだったが次回は大丈夫。次回がハズレでも、その次を待つまでだ。」

という、根拠のない確信。保守と革新が一体となった信念。集合無意識に刷り込まれた信仰にも似た楽観的な希望が、メディアを通じて「風」を吹かし、その結果が選挙時の軽率な投票行動として現れるのではなかろうか。


あうふへーべん、してみた。
以上は先日参加したオリーブ千葉の読書会で可能性を指摘した「ふたつの『和を以って貴しと為す』」により「有権者の二面性」を、あうふへーべんする試みであると同時に、平野妙観の「日本民族の歴史の中から戦争放棄の理念を主体的に理論化して運動にする」(「『日本の議会政治』にはどんな問題があるか」41ページ)呼びかけに対する、微力非才なりの応答であります。

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<みうらのま>  ロック=54


 今年の旧正月は2月16日、その4日後、私は54歳。昔の日記に「54歳になったらロックをやろう、ロック=54。」と書いたことがある。

 311の2年後、福島の義父が放射能に殺された(と私は思っている)時、「原発を止めるためなら、なんでもやってやろう」と決めた。以来、時間やオカネ、それ以外にも、多くの資源をそこに投入してきた。

 努力も虚しく時は過ぎ、安保法制が可決した時、「まだ足りないなら、ほかに何ができるんだろう」と考えて、時々、文章教室に行ったり、人前で演奏することをはじめた。
 そこに秀でた能力があるわけではないけれど、さいわい、「芥川賞を狙っている」とか「アイドルを目指している」といった誤解だけは、生まれる余地のない年齢に達している。振り返って後悔する未来が、潤沢に残されているわけでもない。

 ロックのエネルギーは怒り。自分の中の圧力容器が限界に達している今、このエネルギーで、やれるような気がする。やらなければ、メルトダウンしかねない。

 というわけで、前回、小さく誓った目標を、旧正月前に、あらためて宣誓します。
 第1、第3、水曜日 みうらのま、隔週更新。
 (ちなみに、第2、第4、水曜日は、近所のお店で抵抗の歌を演奏)

 どうか、読んでやってください。 よろしく、よろしく。

<みうらのま> 商材としての「はれのひ」

多摩出張所のお膝元、八王子で「はれのひ」事件が発生した。
善悪が明快な構図と物語性という制作側の事情だけではなく、「お金儲けして何が悪いんですか?」社会の未来に不安を抱える国民が、本件に強い関心を示しているのだろう。

以前のコラム(流行遅れの欲求としての所有 )で、商品が「品」から「サービス」へ移行し「所有」が時代遅れになる流れの中で「品」の無いブラック企業が増える傾向に触れた。
「はれのひ」の事件は、この両者の中間ともいえるレンタル業で発生した。
商品がモノからサービスへ移行する過程では、料金先払いのシステムに警戒感が鈍るもんなのかもしれない。

人類最古の職業といわれる売春も、モノかサービスか、判断が難しい。
竹中平蔵氏のパソナが人身売買でないのなら、売春もまたレンタル業。なので正確には、「売春」ではなく「貸春」と呼ぶべき。文字通りの「売春」婦は、専業主婦のなかに紛れている。花の命は短いゆえに、売春、売夏、売秋、売冬と、悲しい生涯を終える婦人もいるに違いない。対価として、残りの人生を住宅ローンに供することを求められても、拒めない。

資本主義が先鋭化すれば、あらゆるものが商品化される。
ニュートンがアメリカ大陸を発見したように、儀式や慣習といった文化だけでなく、恋愛や母性愛といった人間関係の大陸にさえ、新たな商品が「発見」され開拓されていく。

そういった危険な流行り病のような変化に対抗する人達を「保守」と呼んでいたような気がするのだけれど、安倍政権以降は正反対を推進する人が保守を自称していたりもするんだな、これが。

<みうらのま> 新年の誓い

中高生の読解力が低下しているそうだ。
北朝鮮の脅威に関する各紙報道などは不安商法の広告くらいにしか考えない私でさえ、昨年末に騒がれだしたこの傾向には、並々ならぬ不安を抱いている。

思えば私が若い頃、「ワープロの普及により漢字が書けなくなった」と先輩方が嘆いておられた。
自慢じゃないが、そんな能力は最初から持ち合わせていない自分は、先輩方の高級な嘆きに与することもなく、ただ冷ややかに聞いているだけだった。そんな自分が今では「スマホとグーグル様の出現により固有名詞が出てこなくなった」と日々、嘆いている。
若い人たちは私の嘆きを冷ややかに聞いているだろう。

時代は繰り返すし、技術革新に代償はつきもの。
しかし、それでは済まない不安があるのだ。

論理は単語と単語の関係で成り立っている。
固有名詞が思い出せない私の欠陥は、脳内からそれを取り出せない所に難点があるのだが、脳内に「存在しない」わけではない(負け惜しみみたいだけれど)。そして、思考は幸い脳内で構築されるため、今はぎりぎり、なんとかなっている。
思考が商売道具なので、日々、それを実感している。

これからの人達は、私が漢字を書く能力を最初から放棄したように、脳内に単語を蓄えることさえ放棄するかも。いや、既にそうしているのかも。
その結果、脳内に論理的思考の雛形さえも構築できず、中高生の読解力が低下しているのかもしれない。

若者のことなんか、どうでもいい。
思考が壊死して気分ばかりが台頭してくれば、健康で文化的な生活など望むべくもない。つまりそれでは、私自身が幸せになれない。それくらいは理解できるうちに、自分の思考停滞をなんとかせにゃならん。

という、切迫感をともなう不安があるのだ。

うし、今年は田吾作師匠に負けないくらい、たくさん文章を書こう!
まあ、新年の誓いなんて、アテにもならんけれど。


<みうらのま> 凶の出来事

先週のプライムニュースの櫻井よしこさん、
「北朝鮮で有事が勃発したとしますね。私たちが一番先にすべきは拉致被害者の救出。5万人から6万人の在韓邦人を無事に連れて帰る。日本を守る。今の安保法制、今の文在寅政権の下では自衛隊は上陸さえできない。私たちは近寄らせてももらえない」
ついては、国民を守るために、憲法を変えて軍事力を強化し、韓国に「実力を見せ、なめんじゃないよ」という所を誇示しなくてならないのだそうだ。

「5万人から6万人」といえば、ジャンボ旅客機が100機分。
そりゃたいへんだ。
そんな北朝鮮の有事に対して国民の生命を本当に守りたいのなら、憲法変えるより韓国からの帰国や渡航自粛を呼びかけるほうが先じゃないのかしらん。
でないと、「ホントに守りたいのは国民の生命なんかじゃなくて、肥大して国体と一体化した自分のプライドなんじゃないの?」とか、「『あいつらにナメられないためになら、戦争くらい行けよな、テメーら』なんて考えてる?」というような、たいへん失礼な誤解を招いてしまうと思うんですよね、私のような心ない国民から。

まぁ、余計なお世話でしょうけれど。



https://www.youtube.com/watch?v=rNvq-YluEWI
45:50 から 48:50 まで。

プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
<特別寄稿を募集致します>
当出張所では、森友問題について
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よろしくお願い致します。

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