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                        「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声>  亡国の棄民政治  NO.272

 シンゾウ(晋三)とアッソ(麻生)、この男たちに共通するのは分野こそ違っても共に戦前に権力を掌握し飛ぶ鳥を落とす勢いの指導者を祖父に持つ「お坊ちゃま」ということだ。朝鮮人や中国人、被差別部落の人々を徹底的に差別搾取し財と権力を掴んだ。女性の敵であったことも共通している。そして国を一度は破滅の淵に追いやった張本人の一人である。ドイツやイタリアではあり得ない一級戦犯がぬくぬくと戦後も生き永らえた挙句、今度はかっての敵対国アメリカのエージェントとして孫が総理となり権勢を誇っているのだから後世の日本史家は、「世界に恥ずかしい驚きの日本史」として記すことを期待するしかない。何せこうした破廉恥行為を選択したのは現在の日本国民だからだ。
 参議院選挙での勝利を目指して二人のコンビがまたまたやらかしている。アッソは自らが委託した金融審議会の人生百年時代をにらんだ報告書の内容(というより国民の反発)に驚き、報告書を受け取らないとし「従って報告書は存在しない」と開き直る行為に出て世間を唖然とさせている。年金破綻、雇用崩壊は国民が日常的に感じている。老後までに2000万円を貯めなければ生きていけないのは学者専門家の結論であり、政治は謙虚にどうして国民の不安を取り除くか対策を提示する義務がある。報告書自体が無いのだから対策を語らないこれが二人の坊ちゃまの理屈である。
 かって公的年金百年安心と自公政権が打ち出した当時から批判が渦巻いていた。レベル以下の坊ちゃまが何を無茶しようと下駄の雪同然に離れない公明党創価学会の責任も見逃せない。貯蓄ゼロ世帯30%、年収300万円以下の勤労者40%は棄民ということだ。
(2019.6.14)
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<田吾作の声> 守るものは何?  NO.271

 イージス・アショア導入への批判が高まっている。配備計画地を当初から秋田と山形にすることを決めていた防衛省が都合のいいデータを作っていたことが契機である。おまけに住民説明会で防衛相職員が満座の前で居眠りをしていたのだから、まるで住民蔑視の上から目線の光景である。これまでも重大案件を通すため事あるたびに「丁寧に説明したい」と言い国民を欺いてきたシンゾウの体質が役人の姿勢にも反映している。
 そもそも経費面でも移動式が安いのに何故「敵」の標的になりやすい固定式なのかという疑問はあったし、日本を守る効果よりもアメリカ本土を守るためではないかという不信も根強い。2350億円という値段もFMS方式のため勝手にアメリカの都合で幾らでも引き上げられる可能性が高いのだから無茶苦茶だ。
 1機146億円もする最新鋭ステルス戦闘機F35Aが試験飛行中に墜落するという大問題が発生したのに対米配慮で原因究明を断念した。おまけに行方不明の操縦士に空間識失調だったと責任を転嫁し、この欠陥機を予定通り105機購入すると明言した。並行し進めることが決まっている護衛艦「かが」の空母化にも多額の予算が費やされるという。
 戦争の準備は着々とすすめながら平和への取り組みは遅々としてすすまない。しかも世界の緊張の大元であるアメリカの手先(先兵)となった行動しか出来ないのだから、平和外交など名乗る資格はない。北方領土返還は自ら閉ざしたも同然だし中国は冷静に日本の足元を見ながら翻弄した対日政策を展開するだろう。
 金ぴかの軍事装備と天文学的な国家財政の赤字、未来に希望を見いだせない若者となけなしの年金をターゲットに絞られる高年齢者、最早末世だ。
(2019.6.11)

<田吾作の声> 「引きこもり」は悪か  NO.270

 異質なものを排除し問題解決とする考え方は古今東西で見られる支配者側の論理である。魔女狩りなど近代以前は暴力によって合法的な殺人まで行き着いた。ところが近代になると物理的な力以外にも精神的なやり方が加えられ一見合理的な装いで社会から追放し「該当者」を抹殺する方法が幅を利かしている。
 川崎市登戸での殺傷事件、続く農水省元高官による子息殺人事件は社会的な論議を呼んでいる。自己責任論者は威丈高に死にたければ自分だけ死ねと叫び、当然ながらこの主張への反論も多い。彼らには先進国の中で自殺者数が圧倒的に多い日本の現状をどう思うか聞いてみたいものだ。どうした輩か見てみたいと考えたら、居た居た評判の男が、橋下徹である。ちなみに橋下は、我が子が川崎事件のように他人に危害を及ぼしたらいけないと元高官が殺害行為の動機としたことを高く評価している。これこそ鏡だと称賛の声を上げる。(この愚劣な橋下徹については改めて徹底的に論破する必要がある。何故なら今は大阪だけが被害の対象だが橋下徹的な考えが日本中に広がる影響力を無視できないからだ。)
 ところで続いた二つの事件で共通するのが「引きこもり」だとして、いわれなき「引きこもり」バッシングが巻き起こっている。このままでは抹殺の対象者となりかねない。学校でのイジメ、不登校、そして引きこもりといった典型的なパターンが今や中高年までの幅広い世代にまで広がっている。卑近な例だが小生が住む集合住宅でも孤老が多くそれが日常である。
 「引きこもり」イコール悪とする固定観念では何も解決しない。「引きこもり」が起きる原因の分析と、社会現象化したことを善悪では捉えられないことを知るべきだ。
(2019.6.6)

<田吾作の声> 違いでなくつながる社会を   NO.269

 長期の入院体験は命の洗濯の機会だったが時間を気にせずゆっくり考える機会にもなった。退屈しのぎは読書に限ると、買っても野ざらしにされていた本をIT,武道などに混じって「教育」分野からもとキャリーバッグに放り込んだ。たまたま順不同で読んだのが尾木直樹と茂木健一郎の対談『教育とは?』と黒柳徹子の『窓際のトットちゃん』で読了後は「教育」という狭い視点で読んだ自分を恥じた。
 前著は今では当たり前になっている偏差値教育重視の傾向を批判していて、偏差値指標を絶対視し売りにする大手予備校批判も展開している。この原因に教育の標準化という国家統制の考えがあり、画一化された教育によって多様な個々人の個性が失われ社会全体の停滞につながっていると分析している。制度の失敗は世界と比べれば明らかで、年々大学ランキングで日本のレベルが低下し続けていることや創造性を育む力が奪われ今後はノーベル賞の受賞者数も減るだろうと予測している。
 後著は1981年が初版だから約40年前のベストセラー本だが当時は気にもかけなかったものだ。舞台は戦争末期、東京の一角に存在したトモエ学園での出来事を回想したノンフィクションだ。軍国主義の波で日本中が覆われた中でまるで別世界のようなエピソードが紹介される。児童各々が持つ個性を最大限に尊重し長所を引き出し伸ばすという「教育」が日々実践されているのだ。障害児も包み込む学園でもあった。尾木や茂木が熱く語る教育論そのものである。昭和初期の理想主義教育の息吹を確かに感じることが出来た。
 最近の某元高級官僚の息子殺人事件で、日本のエリートは世界では通用しないとの前著の指摘を思い出し、悲しいが納得した。
(2019.6.4)

<田吾作の声> つつみ込む社会   NO.268

 川崎市登戸の大量殺傷事件は世間を震撼させた。他人事のような言い方だが、小生にとっても精神的に大きな衝撃を受けた。犯行後自殺した犯人についての情報が溢れ多角的な動機の解明が行われている。
 犯人の心理に与えた要素を拾ってみると、両親が離婚後叔父夫婦に育てられそこではいとこ達と同等に扱われなかったこと、家庭や学校生活でも孤立を囲っていたこと、長期間仕事に就かず「引きこもり」状態だったこと、若い時からご近所トラブルがあったこと、等々。要は離婚や差別、貧困など社会的な負の条件を背負って生きてきたことが背景にあると思われる。その意味ではどこでも誰にでも起きうるケースだと考えるべきだ。
 優遇されたいとこ達の象徴としてカリタス小学校を標的にし事件後自死で終えるまで計画したことは、絶望した人生への彼なりの責任のとり方だと考えることも出来る。落語家の立川志らくが発言し論議を呼び起こしている「死ぬなら人を巻き込んでやるな、自分だけ死ね」という主張は感情的で短絡的なものであり、日々を内部葛藤で苛まれている同様の環境にある人々を挑発し新たな事件を誘発する恐れがある。
 ここで被害者への同情だけに肩入れしは危険だ。社会全体が理性的に事件を生み出す原因を追究し「犯罪予備軍」まで包み込む度量を持たないと今後も同様の事件は起きる可能性が高い。当然ながら貧困や雇用などの改善は必要不可欠である。新自由主義やアベノミクスは清算さるべきだ。
 監視カメラを幾ら設置してもビッグデータと認証システムを駆使して「犯罪予備軍」を特定しようと足掻いても全く効果は期待できない。何故なら犯罪予備軍の因子はわれわれ誰もが抱えているからだ。
(2019.5.31)
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日本一新の会 (多摩出張所)

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