高畑勲が亡くなった。追悼番組で彼が手掛けた『火垂るの墓』がテレビ放映された。小生がこのアニメを最初に見たのは友人が貸してくれたDVDであり、当時の感動を思い起こした。原作が野坂昭如であったことも意外に感じたものだ。
飢餓という事態が想像しづらくなり、肉親との関係も変化し、平和そのものの意味さえ曖昧になった現在、戦争の本質を理解させ改めて生きることの意味を考えさせる作品に思わず涙した。
子供の幸せの小さな象徴として描かれたサクマドロップだが、加工食品が氾濫した豊な消費社会に生きる我々に「これでいいのか」と問うているようだ。残された多くの餓鬼と化した戦争孤児は厄介者として扱われ不幸な人生をおくらざるを得なかった。住民を戦争協力に動員した隣組も孤児への対応は冷たく、人目を忍んで泥棒行為をした話も出てくる。全ては生きるためだ。セツコを必死で支えようとする主人公、たった一人の肉親である兄を慕う妹のつながりは、家族や社会とは何かを改めて考えさせる。
後年の野坂の回想によると妹との関係は本に書いたような綺麗なものでなく食い物を独り占めしたような行為もあったという。そのことの慚愧の念が作品へ昇華したし、心底から戦争を繰り返してはならないという思いに駆られたのだろう。
庶民が最底辺で喘いでいる一方で、敗戦後渋谷の南平台で戦争犯罪人ながら米軍に命乞いし、アメリカのエージェントとして悠々と暮らす岸信介が居た。そこで何不自由なく育ったシンゾウが庶民の気持ちや生活を知る訳がない。知るための想像力も持ち合わせない。
無念の思いで死んだセツコはホタルとなって飛んでいる。共に舞う無数のホタルは自分たち戦争孤児を忘れないでと訴えている。
(2018.4.19)