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                        「国民の生活が第一、自立と共生、政治の根本について多摩地区で議論する広場」

<田吾作の声> 変わる国会    NO.252

 入管法改正が最悪の予想通り通過した。衆院での強行採決の反省もなくただ多数議席の力で押し切ったのだから国会の意義自体が問われる事態でもある。間違いだらけの資料で多数の指摘事項は完全無視した採決優先の姿勢は、シンゾウの十八番である「丁寧に」という言葉の本質を表している。国民をなめ切った彼は薄ら笑いを浮かべて抵抗する野党議員を睥睨している。その場面でテレビのスイッチを切った。
 前回の改正時には低賃金が人権問題として論議を呼んだが以降も一向に改善されず、今回は法務省が最賃以下の状態から逃げ出した労働者の理由を、「より良い労働条件を求めて」と都合良く捻じ曲げ発表した。3年間だけで69人の実習生が死亡し業務上災害も放置され、暴力支配や賃金未払いがまかり通るという現代の蟹工船状態を見ぬふりをして議論もしない国会とは何なのか。改正案では在留資格の技能水準などは定めず具体的には法成立後に法務省令などで定めるという。シンゾウは官僚指導から政治主導へなどと詭弁を弄していたが、その本質が官僚の自由に任せる政治であることを改めて証明する機会になった。その官僚は資料の改ざんは得意だから手練手管で制度設計を行うだろう。
 韓国での戦時中の徴用工問題が外交上の難題となっているが、今後実質的に増える移民労働者の問題が将来は第二の「徴用工」問題となる可能性がある。民族差別、低賃金強制労働に疑問を感じない社会環境は戦前と変わらないからだ。
 戦前の帝国議会がさもありなんだったとの印象を深くした現国会だった。国のカタチが変わるのが国会のありようで知るのは、議員を送りだしたわれわれ国民の責任だと痛感する。
(2018.12.9)
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<みうらのま> ジュリーの正論

 ニュースになった「さいたまスーパーアリーナ」ドタキャン騒動の後、ジュリー(沢田研二)のコンサートに行ってみた。冒頭から、期待を裏切らないロックな弁明を意訳して、おすそ分け。

 会場に来てくれた人には一人ひとり、土下座してでも謝りたい。今回は、みなさんに甘えさせてもらいました。でも、チケットを買ったわけでも、関係者でもない人たちに、ガタガタ言われる筋合いはない。あいつら、バカみたいに騒ぎすぎ。

 何年か前に彼のコンサートを見た時、歌詞を間違えて、ホントに土下座していたから、誇張し過ぎでもないと思う。

 といっても本稿で、マスコミやそれに扇動された巷間の、了見の狭さを嘆きジュリーを擁護したいわけではない。
 シリアから解放された安田純平氏へのバッシングと自己責任論は、報道量のバランスにおいて、2004年のイラク日本人人質事件のときよりも、大幅に改善されたようにさえ、感じている。
 この14年を経て私が感じている変化は、賛否の議論が人を巻き込む引力。つまり、賛否両論に一理あり是非も無い時(これこそ、地上波で情報を得ている多くの人が、多くの行政行為に抱いている感情なはず)、旗幟鮮明にすることが強制されて、「おれにカンケーねーもん」的な立ち位置が許されない風潮。それも、見えやすい外部からの圧力ではなくて、無意識に是か非かを自分に課して決めてしまわないと、安心できないような空気が濃くなってきているように感じている。

 駅伝競争で、たすきつなぐため膝から血を流す少女を見た時、感動して称賛するか、同情して実業団の体質を攻めるか、どちらかを選択しなければ収まらないような気持ち。あれだけ騒がれると、どちらの声に対しても、「カンケーねーだろ、うるせーよ」と当人は感じてたり、しないかしらん。

 市場原理を盲信して種や水道や労働を民営化しちまおうって政策と、飲食店に禁煙を義務付けるなんて条例が、同じ時期に施行されようとしているのが、私には奇妙に思えて仕方がない。
 だって、嫌煙者が増えれば喫煙可の飲食店は淘汰されるだけ。売上げよりも、喫煙の自由を尊ぶ店主、それを愛する客がいてもいいはず。
 逆に、生活に欠かせないモノやサービスを市場原理にまかせてしまっては、(国民が国家に付託している)国家権力が法人に支配され、人間が奴隷になってしまう。そんなのは、値札を付けて株式市場に放り込むべきじゃない。

 私達の脳はロイコクロリディウムに支配されていて、自分で考えたり人と情報交換をする前に、是非や賛否を決定して思考を終わらせて楽になろうとするよう、コントロールされてきているような気がして、仕方がない。

<田吾作の声> 変わる国のカタチ    NO.251

 入管法改正案が衆院で強行採択された。法の名称に見る通り法務省の所管であるが、内容は労働力不足を外国人で補うのが眼目の実質的には「移民法」とも呼ぶべきものだ。国の方向性を大きく転換する重要な法案を議席多数の力でいとも簡単に通すシンゾウの悪辣さはもとより、日本の将来への無責任ぶりが際立っている。考え方や路線の違い以前の議会制度の根幹を問うような重要な問題だけに背筋が凍てつく。多数の物言わぬ国民の責任も重い。
 法案審議の過程で最賃以下という低賃金から失踪する労働者の動機や人数を改ざんするなどの杜撰な実態が明らかになった。数々の疑念に答えずシンゾウの外遊までに通すというのだから、正にハイルヒトラーである。国際的にはアメリカの「総督」並みながら、国内的には「総統」然としている。
 シリアを始めとした多くの難民の難民申請を受け入れず収監しておきながら、一方で多数の労働者を受け入れるというのだから出鱈目を絵に描いたも同然だ。日本社会では技能実習生という名目は現実は低賃金労働者としてしか見做していない現場が圧倒的である。農業実習生といいながらタコ部屋同然の寄宿舎に押し込み賃金は強制貯金で経営者が管理し、支給する時は部屋代食事代などの名目で月当たり5万円未満という例も出ている。そうした事例をきちんと把握し総括しない「移民法」は更に問題を大きくし将来へ先送りするものだ。
 新しい労働力政策の下で、移民労働者の低労働条件への反発は高まるし、日本との社会的待遇格差への抗議は大きくなるだろう。その意味ではぬるま湯の日本人にも活を入れて呉れるかも。だが仕事の奪い合いや治安の悪化という事態も必然化するのも必至だ。どうなる日本!
(2018.11.30)

<田吾作の声> 明日のアメリカへの期待  NO.250

 中間選挙後を図ったかのようなタイミングで映画『華氏119』が公開され早速駆け付けた。監督マイケル・ムーアの作品だけに期待にそぐわぬ内容だったが、小生の絶望的なアメリカ観を修正してくれたことで期待以上だった。
 予想外だったトランプの大統領選勝利の場面から映画はスタートする。何故負けたのかヒラリー陣営、まさか勝つとは思わなかったトランプ陣営という当時の混乱した状況を描き出す。アメリカミシガン州フリントで悪徳州知事によって鉛害が起きるまでになり汚染水問題で州民は苦しんでいた。そこに救いの使者として期待され駆け付けた当時のオバマ大統領が水道水をコップで飲むポーズをとる安全宣言で州民を裏切った。州民の深い絶望観が映し出される。
 フロリア州の銃乱射事件で仲間を失った高校生たちが立ち上がった銃規制反対運動が全米に広がり、規制に反対する議員を選挙で落選させるなどの成果を挙げていることも知った。またウエストバージニア州で低賃金の公立高校教師が健保料金の大幅引きあげに解雇覚悟でストに立ち上がった。バス運転手も連帯ストで支援し完全勝利し、教員ストは周りの州に波及する。
 これらの事例の中で既成の民主党議員の不甲斐なさも暴かれ、闘いの中から新しい民主党議員候補が生まれていることを知った。今回の中間選挙で当選した名前も登場する。
 トランプ当選の背景が民意を忘れた民主党への批判であり、共和党と同じウォール街の意向を代弁するヒラリーやオバマへの怒りだったことが分かる。世論調査によると社会主義を肯定する意見が半数までになりアメリカ人の考えが底流から変化している。その変化の要因が草の根からの運動にあることを明らかにした映画だった。
(2018.11.22)

<みうらのま>進め一億金の玉だ


 憲政記念館で「安倍『壊憲』阻止!市民との対話集会」が開催された。平野妙観の新刊『自民党という病』の即売会のお手伝いをさせていただいた。来場者の半数以上が著書を購入するという人気ぶりは売り子冥利に尽きる。
 あいにく、会場の外にいる時間が長かったため、盛会のもようはお伝えできないので、こちらで視聴していただきたい。

 それにしても、ジ…ぃや、高齢者ばかりだな、開会後の閉じられた扉の外で、そんな事を考えていた。私が足を運ぶ、ほとんどの政治的集会の平均年齢が、こんな感じ。平日の昼であることを差し引いても、日増しに高まる危機感を6年以上も累積している私としては、もう少し若者の・・・ぃや、60代未満の参加者がいても良いのではないかと、感じてしまう。
 
 そして、ハタと気がついてしまったのだ。たぶん70年安保世代のあたりにある世代間の断絶、深くて暗い川の底にある、いつか見た光景に。

 明治維新から太平洋戦争に至る歴史のなかで、士農工商の身分制度が廃されたというものの、結局はすべての国民が「百年の恨みを晴らせ 日本刀」などと、武士のように、あるいは武士の妻のように、考え、生きたり死んだりするようになってしまった。
 同じようなことが、知らないうちに少しづつ、私達の身に起こり、変わって、変えられて、いるのではないか。
 明治憲法以前に、より民主的な私擬憲法を提案した人たちがいたように、国民的洗脳を逃れた人たちこそ、この会場に参集している人たちなのではないか。

 敗戦からバブルまでの高度経済成長、家電や自動車製造業、イケイケの歴史は、日清・日露戦争の頃の、侵略と栄光の歴史に対応している。世界の市場を戦場として栄華を極めた日本は、いつの頃からか、仕事をビジネス、お金をマネー、労働者をコスト(固定費)などと呼ぶようになり、あらゆる生産行為が金儲けの手段に過ぎなくなっていた。かつての企業戦士はマネー戦士に代わり、ブルーカラーやニートまでもが「マネー」を志向し、FXに手を出すような現在の日本は、百姓や商人が忠君愛国などとサムライ気取りでいい気になっていた頃の日本と、似過ぎちゃいないか。

 一億総サムライ社会の結末がヒロシマ・ナガサキの原爆だとすれば、一億総マネー戦士社会の結末は金融市場に投下される(たとえばバーゼル3のような)原爆ではなかろうか。

 そしてまたぞろ、「私達はだまされた」が繰り返されるのだろうか。
プロフィール

日本一新の会 (多摩出張所)

Author:日本一新の会 (多摩出張所)
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当出張所では 日本一新の会の皆様の寄稿を随時、募集中であります。よろしくお願い致します。


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